『忘却症のための記憶』(4)

 わたしは瓦礫の下で醜くなって死にたくはない。わたしは通りの真ん中で砲弾に打たれて、突然、死にたいのだ。わたしは完全に燃え尽きたい、炭になるまで。小説のなかの虫たちが、その究極の任務をわたしに対して遂行しないように。虫は炭を食べはしないから。わたしは、犬や猫さえいない空っぽの通りを歩くことを正当化するためにこう自分に言い聞かせて、新聞を探す。わたしは窓の外で起こっていることに注意を払いはしないだろう――砲弾、ロケット弾、戦艦、ジェット機、大砲――荒れ狂う風のように、降りしきる雨のように、大地を揺らす地震のように、わたしの道を吹き飛ばそうとするすべてのものに対して。人間はこうしたものに対して何ができるわけではない。こうしたものは運命であって、押し返すことなどできはしないのだ。すべての人間の想像力とすべての科学の進歩がこれまで積み上げてきた、想像もできないような悪い発明品、その効果がいまわたしたちの体で試されている。今日は歴史のなかで最も長い一日になるのでは?死体を洗うものはいない、死者自らによって洗わせよ――水よりもたやすく流れ出る血によって。わたしは最期の手入れのときにその滴を使うため、水を宝物として蓄えている。すべての一滴に役目があるのだ、わたしはいつだって水を滴で計っているのだ。
500滴は髪を洗うために。2000滴で体。100滴で口の中。100滴で髭を剃る。両耳に20滴ずつ。腋の下には50滴ずつ。それから……、それから……、すべての滴が体の部分に対応しているのだ。

 水とは何だ?だれが水には、色も味も臭いもないなんて言ったんだ?化学的には水とはH2Oだ。でもそれだけか?水は肌から立ち上る香水であり、わたしたちの目に、体の隅々に、いたるところに歓びをもたらすだろうか、わたしたちが蝶の天性をほとんど引き受けてしまうまでは?水は何よりも空気だ。蒸留されて、確かで、知覚される、光の浸透した。こうした理由によって、預言者はひとびとに「水から一切の生きものを創ったのである」と、水を愛するように言い放ったのだ。*1わたしはイブン・ファドラーンの『書簡』*2を思い出し、器一杯の水がすべての兵士を洗うために使われていたことに吐き気をもよおす。*3わたしたちの水は、過去の遺物である十字軍による行為のために切り取られてきた。しかしサラディンは氷と果物を敵に送ったのだ。「かれらの心は溶けるだろう」という希望をもって。

 突然、わたしはある歌の文句に笑いだした。「水は渇きへの渇望を癒やすだろう」。「どうやってこの歌手はこんな素晴しい発見に到達したんだ?」、わたしは自分に問うた。テル・アル・ザータールでは、殺し屋たちがパレスチナ女性を狩っていたのだ、泉のところで、壊れた水道管のところで、まるで渇いたガゼルを狩るように。*4殺人者の水。1杯の水のために危険を冒したひとびとの、渇きの血が混ぜられた水。過ぎ去った時に、ベドウィンの間での戦いに火を灯した水。水によってその乾ききった人間性が融けていないひとびとの交渉のための地位を向上させるのに、水は役に立つ。水はアラブの王族を動かし、アメリカの大統領と密接に電話して有益な取引をするという重荷へとかれらに責任を負わせる。「石油は持ってけ、水をくれ。おれたちを持ってっていいから、おれたちに水をくれ!」

 水の音はどんどんと、どんどんと大きくなる結婚式の祝宴だ、ジェット機の叫びよりも大きな。水の音は地球上の生命の根源の鏡。水の音は自由。水の音は人間性それ自身。

 ワシントンのホワイトハウスが西ベイルートで再度水の栓を開くと発表するやいなや、人々は栓の前にかけつけた、わたしたちを別にすれば。この高いビルの住人たちは一番高い渇きの声を上げていたのだ。ここの大家はベイルートが包囲される数年前から、わたしたちを包囲下に置いていたのだ。この国の権力が崩壊したとき、かれは自分自身の権力に取り憑かれた――水の持つ権力に。かれがだれかと、店子とか奥さんとか銀行の口座についてとか、揉めるといつでもみんなの水を止めてしまうのだ。こんな理由で、かれはわたしたちに水への忍耐を植えつけてしまった。かれはわたしたちに水の価値を教え、ダーヒスの砂漠の部族すべてが感じた以上の、水がどくどくと流れたときの大いなる歓びを感じるように導いたのだ。かれはわたしたちを水道管の監視人に、待ち望んだ水の音の夜明けの見張りに変えてしまった。水の音がゴボゴボと聞こえたとき、わたしたちは休みを宣告して、水をありとあらゆるものに貯めこんだ、鍋、フライパン、瓶、皿、コップ、グラス、はては革ジャケットのポケットに。水のおかげでこのビルには儀式によって祝福された宝物があり、夜に集っての語らいがあった。水の話はわたしたちをひとつにし、わたしたちを家族に変えたのだ。しかしこのビルの大家はアリエル・シャノンに嫉妬でもしてるのか、そのサディズムにおいてかれと競ってでもいるのか。西ベイルートが水の開放によって歓びに沸きたっているとき、わたしたちは稀なる孤独にさらされなくてはならなかった。わたしたちには水が届いていなかったし、かれらの歓喜のなかにわたしたちは含まれてなかったから。「われら最後の囚人なり。おお、大家よ。われらの犯さぬ罪を許したまえ。おお、アブラビよ。戦いは未だ続く。おお、大家よ。寛大たれ。おお、アブラビよ。われらに水の分け前を与えたまえ。おお、大家よ」。だれも聞いてなかった。だれも仲裁にきてはくれなかった、わたしがついに武装人民委員会に助けを求めるまでは。かれらがやってきて無理矢理水を開放した。わたしたちがこの戦争とこの包囲の間忘れていた水への真なる歓びからも。

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 わたしのために、そしてわたしのように水からの傷を焼き付けられたひとのために、イブン・シーダ*5がさまざまな水の名前とその属性を連ねている。次に掲げるのは、大河のほんの一滴だ。

 水。水分。滝。急流。瀑布。小滝。雪。氷。雹。逆流。引き波。送水路。運河。小滴。雫。霧雨。暴風雨。雨。俄か雨。急流。どしゃぶり雨。豪雨。洪水。大洪水。霧。露。湯気。結露。湿気。湿度。蒸気。蒸発。帯水層。難透水層。溜め池。増水。小川。小水路。細流。滴り。小さな川。川。支流。合流点。入江。流域。沼地。湿地。湿地帯。沼沢地。水溜り。池。小池。小湖。湖。潟。小湾。海流。波。小渦巻。渦巻。底流。大波。小波。さざ波。寄せ波。うねり波。しぶき。噴水。流出。迸り。波しぶき。うがい。噴出。奔出。流れ。蛇行。水滴。泥水。漏出。濾過。滴り。滴。漏滴。浸透。びしょ濡れ。ずぶ濡れ。ドボン。ポトン。水浸し。びしょびしょ。びったり。小雨。バチャバチャ。洗濯。ザブン。潜水。飛び込み。水面下。ピチャピチャ。沈下。凍結。解凍。湿気。湿り気。水浸し。ぐしょぐしょ。含水性。水性。水溶性。雨っぽい。*6

 まだまだたくさん。

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 わたしは砕けたガラスが散らばった長い石の階段を降りていった。下の階が攻撃を受けているのかは分からなかった。「死体が頭の上から落ちてきたらどうすればいい?」、わたしは自問する。「どうやって運んでいこう、そしてだれに渡せばいい?だれも話す相手がいなかったらどうすればいい?だれにわたしの言葉を伝えるべきなのか、だれがわたしの沈黙を分かちあってくれるのか?」。わたしは歌を口ずさむ、ベイルートに捧げる歌の始まりの一節だ。この戦争で爆発してしまったベイルートは、もはやこの歌の主人公ではないし、レバノンの詩人たちも「ベイルート」という単語を使わなくなった、それがどんなにアラビア語の韻律に適うものであるとしても。韻文であれ散文であれ滑らかに流れる音楽的な名前だ。

 4階の、開かれた扉。「おはようございます、先生!」。こうしてわたしは過去10年にわたってあいさつをしてきたのだ。80歳の、ハンサムで落ち着いた、2本の脚で歩く心のようなひと。かれは壁のうち3つが陥落したあと、境界線上のかれの家から越してきた。わたしがヨーロッパに隠れていた6か月をわたしのアパートで過ごし、それから娘さんのアパートに移った。

 わたしは毎日かれの元を訪れ、戦争による負担をかれに代わって担う手伝いをし、新聞やゴマのついた丸パンを届けた。かれはかつて革新的な詩人だった。もしかするとかれこそが、最初に散文詩の形式を用いた詩人だったかもしれない。その後かれは詩を書くことを完全にやめてしまい、自身の月刊文学誌に専念することになった。かれはいま、編集者であり、原稿の読み手であり、経営者であり、発行人だ。かれのこの残忍な砲撃に対する不平は、かれの大家と水に関する愚痴を別にすれば何ひとつ肩を並べることのできないものだった。かれはわたしたち仲間や、孫たちとの生活を楽しんでいた、うるさ方の奥さんの圧政すら受け入れて。そしてやってもいない悪事について、微笑みとともに詫びるのだった。神経が限界に達したときは、襲いかかるジェット機が押しつけてくる痛みとともにこう叫ぶのだ。「もういいだろう!わたしたちから何が欲しいんだ?あんたらが強いのは分かってる。新しい飛行機も、もっと効果的な武器もわかった。で、何が欲しいんだ?もういいだろう!」。しかしかれの奥さんはかれを叱り飛ばして言う。「やりたいようにさせればいいのよ!かれらは砲撃したいの、それがあんたにどうだっていうの?」。かの女はとげのあるエジプト訛りで言う、わたしの存在など気にかけずに。「かれらはパレスチナ人を砲撃したいだけよ」。怒りに満ちた電流を阻止しようと、わたしはかれにジョークを言った。「それはそうだ。どうしてあのパイロットたちの通り道を邪魔しようなんて思うんだろうね」。かれは笑った。しかしかの女は笑わなかった。かの女の中では、かの女が属するマロン派以外のあらゆる勢力に対する敵意が育っていたし、イスラエルによる無償援助が、かの女の夢の唯一のヒーローに提供されたことに喝采を贈っていたからだ――バシール・ジェマイエルに。*7かの女はこの戦争が、レバノンからよそものやイスラムを追い出すための好意的な奉仕以外の何ものでもないと信じていた。そして奉仕が完全に終われば、共和国の大統領に上り詰めた宗派の指導者ジェマイエルとともによそものを叩き出したあとは、イスラエル軍は何の代償も求めることなく、元いた場所に戻っていくと。

 イエス・キリストの生涯とか、聖母マリアとか、パウロの書簡についてなら、かの女を興奮させることなく議論することもできた。しかしバシールの関しては、かの女はその名前を神聖不可侵なタブーのオーラに包んでしまうのだ。ああ、レバノンの聖女よ。わたしたちのためにかれを護りたまえ!だからといって、わたしはかの女に対して怨恨を持っているわけではない、ただ憐れむだけだ、かの女が至ってしまった、あまりにも深いまったくの幻想と他者の拒絶を。わたしはかの女に恨みなど抱いてはいない、店で見つけたパンや葡萄を届けたりもしたのだ、しかしこのかくも閉じてしまい、かくも完全に固まってしまった心の前では、あらゆる議論の試みは止まってしまった。かの女の夫にしても無駄だった。かれは世俗的なひとだったから、かの女にイスラエルレバノンを愛してなんかいないし、守ろうともしてないよと納得させようとした。ジェット機からの1発のロケット弾がこのアパートに向かってくれば、ムスリムだろうとマロン派だろうと、みんな挽き肉になってしまうのだよと。それでもかの女は、こうした結論で心を武装してしまったひとは、実りのない議論だけを好むのだ。

 わたしの味方につこうとしたのか、かの女の夫は時折わたしに意見を求めた。しかし余計な挑発とかの女がわたしに浴びせるであろう癇癪を避けるためにわたしは言った。「わたしの問題ではないですよ」

 かの女は澱んだ水をかき回す。「あんたの問題って何?」
 わたしは知恵を働かせる。「わたしの問題っていうのは、何が問題なのかを知ることですよ。ところで大家は水を開放してくれたのかな?」
 すると言うのだ、かの女が。「この問題から逃げないで。マロン派とユダヤ人の間には何の問題もないのよ」
 わたしは言う。「知りませんよ」
 言うのだ、かの女が。「わたしたちは同盟者なのよ」
 わたしは言う。「知りませんよ」
 言うのだ、かの女が。「じゃあ何を知ってるのよ」
 わたしは言う。「水には色と味と芳香があること」
 言うのだ、かの女が。「何であんたたちパレスチナ人は国に帰らないのよ。そうすれば問題は終わるでしょ」
 わたしは言う。「そうですか?そんなに簡単?わたしたちが国に帰れば問題はなくなる?」
 言うのだ、かの女が。「そうよ」
 わたしは言う。「かれらがわたしたちを国に帰してくれると思います?」
 言うのだ、かの女が。「だったら戦えばいいじゃない」
 わたしは言う。「ここでね、戦ってますよ。これは戦争じゃないんですか?」
 言うのだ、かの女が。「ここにいるために戦ってるんでしょ、帰るためじゃない」
 わたしは言う。「そこに帰るためには、どこかにいなくてはなりませんよ。帰ろうとするひとは、帰ろうとするのなら、どこでもない場所から始めることはできませんから」
 言うのだ、かの女が。「何でアラブの国に行って、そこから始めないのよ」
 わたしは言う。「あなたが今言ったのと同じことをかれらも言いましたよ。かれらがわたしたちを追い出したんです。だからここにいて、レバノンのひとびとと一緒にベイルートと、自分たちの存在を守ってるんです」
 言うのだ、かの女が。「あんたたちの戦争なんて無意味よ。どこにも行けやしないわ」
 わたしは言う。「たぶん、どこにも行けないでしょうね。でも目的は自己防衛なんですよ」
 言うのだ、かの女が。「出ていきなさい」
 わたしは言う。「出ていくことは了承してますよ。出ていきます。それでもここにいる。出ていくことからも妨げられてるんです。しかしどこに行けばいいか気遣ってくれないんですか?」
 言うのだ、かの女が。「あたしに関係ないわ」
 突然、フェイルーズ*8の声がラジオから流れだした。「アイ・ラヴ・ユー」と「オー、レバノン」。二つの争っているラジオ局から流れてきた。
 わたしは言う。「この歌お好きですか?」
 かの女は言う。「好きよ、あんたは?」
 わたしは言う。「好きです。でも傷つきもする」
 かの女は言う。「何の権利があって好きになるのよ。あんたたちパレスチナ人が、どんなに向こうの国境を越えてきたか分かってるの?」
 わたしは言う。「美しいからですよ。レバノンも美しい。それがすべてです」
 かの女は言う。「エルサレムを好きになったら」
 わたしは言う。「エルサレムは好きですよ。イスラエル人もエルサレムが好きで、そのため歌っている。あなたもエルサレムが好きだ。フェイルーズはエルサレムを歌ってる。それからリチャード獅子心王エルサレムが好きだ、それから……」
 言うのだ、かの女が。「あたしはエルサレムが嫌い」

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*1:クルアーン』21章30節

*2:訳注:邦訳は『 イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記』、家島彦一訳注、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1969

*3:イブン・ファドラーンの『書簡』<リサーラット>は西暦921年<イスラム暦309年>に、アッバース朝のカリフ、アル・ムクタディル・ビラのために行われた、アーマド・イブン・ファドラーンに率いられた4人の編成によるロシア地域への旅行の記録である。訪れた部族やひとびとに関し、丁寧に記録がつけられている。英訳者が確認したかぎりでは、水に関する記述は何度も何度も現われ、著者が「ロシア人」と呼ぶ集団の記録のなかに、体を洗う件についての記述もある。しかし軍隊についての記述はない。イブン・ファドラーンは一つの家に10人から20人が住んでいたといいながら、次のように書いている。「かれらはひどく汚れた臭い水で毎日顔や頭を洗わなくてはならなかった。奴隷<あるいは召使>の娘が毎朝大きな器いっぱいの水を持って主人のもとにやってくる。かれはそのなかで手を、顔を、髪を洗い、その上で櫛を使い、そしてそのなかで鼻をかみ、唾を吐く。かれがそれを終えると娘は器を次のひとに回す。そのひとが同じようにすると、娘は家中のすべてのひとが用を済ますまで回していくのだ。みな鼻をかみ、唾を吐く、もちろん顔と髪も洗うのだ」

*4:テル・アル・ザータールは東ベイルートにあったパレスチナ難民キャンプで、その地域は伝統的にマロン派によって支配され、レバノン内戦の熱気のなか1976年8月12日に陥落した。Gilmour,"Lebanon; The Fractured Country" p140参照。「キャンプには少しの水しかなく、井戸のなかにある水は汚染されていた。8月の始めには数百人が死に、生存者のほとんどが赤痢にかかっていた……。しかしほとんどのキャンプの住人はそこに留まり、終わりを待った。8月12日、「虎」とファランジスト<マロン派民兵>が53日間の包囲のあと襲撃した。この最後の攻撃で千人以上が殺され、その直後に、さらに多くのひとびとが列をつくらされて射殺された」

*5:訳注;イブン・シーダ・デル・デニアは11世紀のアラブ時代のスペインの文献学者。アラブ―スペイン語の辞書を作成した

*6:イブン・シーダ「アル・ムカーム」から。語義を一義的に訳したのではなく、訳者が適切な語を選んだ<日本語訳においても同様>

*7:スミスによれば「1980年代終わりには、バシール・ジェマイエル、ピエールの末子、はジェマイエル一族の家長となり、すべてのマロン派民兵に対する支配を確立していた。ジェマイエルは長きにわたってイスラエルの指導者たちと接触を取り、かれの野心を実現することを望んでいた、かれの多くの部下たちは、イスラエルによる1976年のマロン派地域への侵略の時期とその後にも、イスラエルで集中的な訓練を受けた、レバノンにおいては、バシール・ジェマイエルはマロン派の宗教的権威をもって復帰し、いまや民兵集団によって自らもたらした王権的支配の中心にいる<"Palestine and The Arab-Israeli Conflict",p261>。ギルモアによれば「パレスチナ人の撤退が始まって2日後、バシール・ジェマイエルは64人の代理人をもって大統領に選出された。この一件はイスラエルの侵略の結果とは、PLOの撤退にほかならなかったということを示している。なぜならジェマイエルは通常なら、ファランジストとシャムーンの国家自由党からの20票かそこらしか得票することができないのだから<"Lebanon;The Fractured Country",p171>。

*8:訳注;レバノン生まれのアラブ世界を代表する女性歌手

『忘却症のための記憶』(3)

 かれらはわたしに恥をかかせる、わたしがかれらの前で恥じていることを知らぬままに。不明瞭さが不明瞭さに積み重なり、自分自身を擦りつけ、そして明瞭さとなって発火する。征服者は何だってできる。かれらは海を狙い、空を狙い、大地を、わたしを狙う。しかしかれらはわたしからコーヒーの芳香を根こそぎにすることはできない。わたしはいま、コーヒーをつくるのだ。わたしはいま、コーヒーを飲むのだ。まさにいま、わたしはコーヒーの芳香で満たされることだろう。そしてわたしは自分自身を羊から区別し、新たなもう一日を生き、あるいは死ぬのだ、わたしを取りまくコーヒーの芳香とともに。

 ポットを弱い火から外し、手は一日の最初の創造に取りかかるだろう。ロケット弾にも、砲撃にも、ジェット機にも気を取られることはない。これがわたしの求めるもの。わたしはわたしの夜明けを所有するために、コーヒーの芳香を行き渡らせていく。あなたの手の先にある、多量の銃火によってパチパチと音を立てる山を見てはならない。しかし、ああ、あなたは向こうのことを忘れることはできやしない。アシュラフィーヤでは、かれらが悦楽のなか踊っているのだ。昨日の新聞が、カーネーションを手にした婦人たちが侵略者の戦車の前に身を投げ出す姿を写していた。かの女たちの胸や太腿は夏の露骨さと喜びをまとい、救世主を受けとめんばかりであった。

 唇にキスして、シュローモ!ああ、唇にキスを!あなたの名前は何というの、愛するひと、わたしはあなたを名前で呼びたいの、わたしのダーリン。入ってきて、シュローモ、入ってきてわたしの家に、ゆっくりと、ゆっくりと、そして一気に、あなたの強さを感じとるわ。あなたの強さを愛してるの、わたしのダーリン!そしてやつらを砲撃して、わたしの愛するひと、やつらを虐殺して!やつらを殺して、わたしたちを待つすべての情熱でもって。レバノンの聖女があなたを守ってくれますように、シュローモさん!やつらを砲撃して、わたしの恋人、わたしが1杯のアラク酒と昼食を用意している間に。終わるまでどのくらいの時間がかかるの、わたしのダーリン?どのくらい時間かかるの?でも作戦はものすごく長いものになってしまったわ、シュローモ、長すぎる!どうしてそんなに遅いの、わたしの愛するひと?2カ月だなんて!どうしてそんなに進まないの?ねえ、シュローモ、あなたの体少し臭い。気にしないで!暑さと汗のせいだって分かってるから。ジャスミン水であなたの体を洗ってあげるわ、わたしの愛する人。どうして道でオシッコなんてするの?フランス語しゃべれる?だめ?どこで生まれたの?ターエズ?ターエズってどこ?イエメン?いいわ。いいの。あなたは違う人なのね。それでもいいの、シュローモ、お願いだからあっちで砲撃してきて、あっちで!*1

 そっと、スプーン山盛りの挽いたコーヒーを置く。カルダモンの香気とともに電気にかけた熱湯のさざなみ立った表面に、それからゆっくりとかき回す。最初は時計回りに、それから上下させる。2杯めのスプーンを加え、上下にかき回す。それから時計と反対回り、いま3杯めを加える。山盛りのスプーンの間はポットを火から外し、そして戻す。最後の接触のときには、スプーンを溶けた粉の中に漬けてしまう。ポットの上で少々沈め、引き揚げ、あとは落としたままにしておく。これを湯が沸き直す間に数回繰り返すと、青銅色のコーヒーが少量表面に残り、さざなみ立ち、沈もうとする、沈ませてはいけない、火を止め、ロケット弾に気を取られるな。コーヒーを狭い廊下に運ぶ。小さな白いカップ、暗い色のカップはコーヒーの自由をだめにしてしまう、に慎重に愛情深く注ぐ。蒸気の路とテントのごとく立ち上がる芳香を観察する。最初のタバコに火を点ける。この1杯のコーヒーのために巻かれたタバコはそれ自体、愛を追い求めるもの以外とは同様ではない味が、実存の風味がする。
女がタバコと一緒に最後の汗とかすれ声を燃やしてしまうがごとく。

 いま、わたしは生まれてきた。わたしの静脈に興奮剤が行きわたっていく、カフェインとニコチンという、その生命が生み出す泉に触れることで。そしてその儀式はともに、わたしの手でつくられたものなのだ。「どんなに手が書こうとも」、わたしは自問する。「コーヒーをたてること以上の創造がありえようものか!」何度心臓医に言われたことか、タバコを吸いながら、「タバコを吸うな、でなきゃコーヒーを飲むな!」。そして何度ジョークで返したことか、「ロバはタバコも吸わないし、コーヒーも飲まない。そして書きもしないだろ」と。

 わたしはわたしのコーヒーを知っている。わたしの母のコーヒーを、そしてわたしの友たちのコーヒーを。わたしはその違いを当てられるし、その違いが分かっている。同じようなコーヒーはない、そしてわたしのコーヒーを守ろうとする思いは、その違い自体を申し立てることなのだ。「コーヒーの風味」などとラベルを貼れる風味などはない。コーヒーはコンセプトではないし、単一の物質でさえない。そして絶対的なものでもない。すべてのひとのコーヒーは特別だ。特別だからこそ、わたしはコーヒーの風味がもたらす、魂の優雅さと味を言い当てられるのだ。コリアンダー風味のコーヒーは台所の片付いていない女性。イナゴマメのジュースのようなコーヒーは主人がしみったれ。香水の芳しきコーヒーはご婦人がお出かけに気を取られすぎ。口のなかで苔みたいに感じるコーヒーは子どもじみた左翼。熱湯のなかで引っかき回しすぎて煮えくり返ったコーヒーは極右。カルダモンの香りでむせかえりそうなコーヒーは最近お金持ちになった女のひと。

 同じようなコーヒーなどない。すべての家にはそこのコーヒーがあり、すべての手についても同じことだ。同じような魂などないのだから。わたしはコーヒーが遥か彼方からやってきたことを伝えられる。最初に直線を描き、そしてジグザグと進み、ゆがみ、たわみ、ため息をつき、それから平らになって、岩ばった地面と斜面となる。コーヒーはそのなかに、ナラの木を巻き込み、そしてほどけて涸れ谷のなかに落ち込んでいき、振り返って、山を登ろうと願い欲して溶けていく。それを最初の家へと戻してくれる、羊飼いのパイプの蜘蛛の巣のように広がって山を登っていくだろう。

 コーヒーの芳香は帰還であり、最初のものへの返還なのだ。それは原始時代の子孫であるのだから。それは旅である、何千年も昔から始まり、そして今も続く。コーヒーは場所なのだ。コーヒーは内側を外へと浸透させる気孔だ。その芳香を通ることなしに、ひとつにできないものをひとつにする隔りだ。コーヒーは離乳のためのものではない。反対に、男を深く養う乳房だ、苦い味のなかから生まれる朝だ。男の世界の母乳だ。コーヒーは地理。

  わたしの夢から立ち上るのはだれだ?
  かの女はほんとうに夜明け前にわたしと話したのか、それともわたしはうわごとを言っていたのか、目覚めているときに夢を見ていたのか?  わたしたちは二度だけ会った。最初のとき、かの女はわたしの名を覚えた。そして二度め、わたしはかの女の名を覚えた、三度め、わたしたちはまったく会っていない。なぜいまになって、かの女はわたしに電話してきたのか、わたしがかの女の膝で眠っている夢から覚めて?最初のとき、わたしはかの女に言わなかった、「愛している」。そして二度めのとき、かの女はわたしに言わなかった、「愛している」。そしてわたしたちは、共にコーヒーを飲むことはなかった。

   ==========

わたしはレンズ豆のスープのなかのゾウムシを数えることに慣れきっていた、刑務所での毎日の食事だ。わたしは嫌悪感に勝利しきっていた、食欲なんてどうにでもなる、飢えは食欲よりも強いのだ。しかしわたしは、朝のコーヒーの不在と、その代わりに出涸らしのお茶を飲むことに慣れることはできなかった、それが刑務所暮らしを受け入れなかった理由だって?最初の釈放後に友人が聞いてきた。「いい時間過ごせた?」。「いや」、わたしは答えた。「コーヒーを出してくれないんだ」。「それはショックね!」、かの女は叫んだ、「でもわたしコーヒー飲まないのよ」。「朝のコーヒーに取り憑かれている女のひとなんてそうそういやしないよ」、わたしは答えた。「男はコーヒーで一日を始める、女が化粧に取りかかるように」

 そのことがわたしを悲嘆させたわけじゃない。ある朝、刑務所仲間がわたしに1杯のコーヒーを差し入れてくれた。わたしは強い欲望に陥ったが、しばし自分自身を熟考する時間を持った。もうひとりの囚人がカップの方向に願い入るかのような視線を投げつけていたからだ。わたしはかれを無視した、これはわたしのものだから。わたしはかれを無視した、そしてコーヒーを加虐的な歓びとともにすすり、そしてその後、罪の感覚が立ち上ってきた。

 20年前のことだ。しかし、あの哀願するかのような視線が、いまもわたしを捕らえて離さない、つねに自分自身を改めて審問し、自分の習慣を正すべきだと訴えてくる。刑務所の中での施しと分かちあいは寛容さの大きな基準なのだから。わたしは自分の精神的バランスを買い戻そうとして、かれにタバコの葉を気前よく恵んだが、それでさえもその罪を追い出すことはできなかった。何と自分勝手なことか!わたしは刑務所仲間からカップ半分のコーヒーを奪ったのだ。そのことがやがてわたしを罰する運命を呼び出した。1週間後、わたしの母がポットいっぱいのコーヒーを持って訪れた、しかし看守はそれをグラスに注いだのだ。

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 コーヒーを急いて飲んではならない。それは時の姉妹であり、ゆっくり、ゆっくりとすすらなくてはならないのだ。コーヒーは味覚の音であり、芳香の音だ、記憶と魂のなかへの侵入であり瞑想なのだ。コーヒーはひとつの習慣、タバコとともにある、でありもうひとつの習慣と組み合わせなくてはならない――新聞と。

 新聞はどこだ!今は朝の6時で、わたしは確かに地獄にいる。しかしニュースとは読むべきものなのだ、聞くものじゃない。記録されるまでは、起こったことは正確には起こってなどいないのだ、わたしは知っている、イスラエルの研究者がベイルートが包囲下にあることを「噂」だと否定し続けているということを。ヘブライ語で書かれていないかぎり、かれが読んでいることは真実ではないのだ。そしてまだ、イスラエルの新聞はかれの下に届いていない、かれはベイルートが包囲下にあることを認めはしないだろう。しかしそれは、わたしが被っている狂気ではない。わたしにとって、新聞とは習慣なのだ。新聞はどこだ!

 ジェット機のヒステリーは高まっていく。空は狂ってしまった。すっかり荒れ果てた。この夜明けは、今日が創造の最後の一日となると警告している。次はどこが攻撃されるのだ?どこが次に攻撃されないのか?空港の周りの地域は、こんな砲撃を吸収するには充分な大きさだし、海が自らを殺そうとするのを受け入れることだってできるのではないか?わたしはラジオを点けた、そして幸福なコマーシャルを聞こうと強いた。「メリット・タバコ――アロマをもっと、ニコチンをカット!」「正しい時間にシチズン時計!」「マールボロへどうぞ、歓びのある場所へ」「ヘルス・ミネラルウオーター、高山からの健康を!」。しかしどこに水があるというのだ?ラジオ・モンテカルロの女性アナウンサーの声は、まるで入浴でもしているか、興奮に満ちた寝室から中継でもしているかのように、はにかんだ様子を増していく。「ベイルートへの集中的な爆撃は」。ベイルートへの集中的な爆撃!こんな普通のニュース番組で、普通の戦争の普通の一日の普通のニュースのように報じられるようなものなのか?わたしはBBCにダイヤルを回した。死人のように生温いアナウンサーの声が聴取者の耳にパイプの煙を吹きかける。短波で放送された声は中波に変換される際に拡大され、ぞっとするような声の戯画化がほどこされた。「われわれの通信員によりますと、専門家の慎重な判断では、広報担当者がその件について触れることが困難であるということを別にすると、徐々に明らかになるであろうことは、抗争中の党派が疑いなく、そこで旋回しているパイロット不詳の戦闘機を明らかにする確実な両義性について特に言及しないかぎりにおいては、正確を期すことを欲したうえで確認したところ、美しい服をアピールするひとたちがいたということであります」。形式ばったアラビア語での正確な情報が、ムハマッド・アブド・アル・ワッハーブのくだけたアラビア語での歌でしめくくられた。「ぼくに会いにくるにせよ、どこで会うかを知らせてくれるにせよ/それともきみをひとりにして、ぼくが行くべき場所を教えてくれるのかな」

 まったく同じように単調な声。砂が海を説明する。雄弁な声には非難の余地がない、天気を説明するように死を説明するのだ、競馬やオートバイレースのようにはしない。わたしは何を探しているんだ?わたしは何度もドアを開けた、しかし新聞はなかった。ビルがあらゆる方向に倒れようとしているこの時に、わたしは何で紙なんか探しているんだ?書き足りないのか?

 まったくそうではないのだ。こんな地獄の真ん中で紙を探すやつなんて、孤独の死を逃れ集団の死へと向けて走るようなものだ。かれはひと組の人間の目を探している。沈黙を分かちあい、互いに語りあうための。かれはその死に加わってくれる何かを探し求めているのか、証拠をもたらす目撃者を、死体を覆ってくれる墓石を、一頭の馬が倒れた報せをもたらしてくれる人を、発話と沈黙の言葉を、そして確実な死を待つことへの少なからぬ倦怠を。この鋼と鉄の獣が、だれひとりとして安らかに残ることはない、だれひとりとしてわれらの死者を数えることはないと叫ぶのを。

 わたしは自ら横たわる。わたしはわたしの周りのことやこの穴だらけの室内について説明する言葉を探す必要はない。ことの実際として、わたしは、この廃墟の中心へと落ちていくこと、だれひとり聞くことのない呻き声の餌食になることに怯えているのだ。そしてそれは苦痛である。わたしの苦しみの感覚の限界に到るほどの、まるでその出来事がいま実際に起こっているかのように思えるほどの苦痛。わたしはいま、そこに、瓦礫のなかにいる。わたしはわたしの中の獣が、苦痛で破裂するのを感じている。わたしは苦痛に叫びを上げるが、だれひとりそれを聞くものはない。これは幻想の苦痛なのだ、反対の方向からやってくる――これから起こるであろうことに発するものの。脚に傷を負ったひとが、切断手術の何年あとになっても痛みを感じることがあるという。かれらはもはや太腿などない場所に痛みを感じ、そこへと手を伸ばすのだ。この幻想の、想像上の苦痛は、かれらの日々は終わったのだと、かれらを追い立たることだろう。わたしにしても、わたしは起こったことのない負傷の苦痛を感じとる。わたしの両脚が瓦礫の下で砕けてしまったのだ。

 これはわたしにとって不吉の前兆なのだ。おそらくわたしは、恐れを感じることもなくロケット弾で一瞬にして殺されることはないだろう。おそらく壁が、ゆっくり、ゆっくりと倒れてきて、わたしの苦難は終わることなく、だれひとりわたしの助けを求める叫びを聞くことはないだろう。壁はわたしの脚を腕をあるいは頭を砕くだろう。あるいはわたしの胸の上に載しかかるだろう。そしてわたしは何日も、だれひとりとしてほかの生存者を探す時間のない時を、生きたまま送るだろう。おそらく眼鏡の破片が、わたしの目に残り、わたしは盲目になる。わたしの横腹に金属の棒が突きささり、わたしは、瓦礫のなかに押しつぶされた肉体として残された群集として、忘れられるだろう。

 しかしどうしてわたしはこんなにわたしの死体に何が起こり、どうやって終焉を迎えるかなどということを考えてしまうのか?わからない。わたしはよく整えられた葬儀をしてほしいのだ。わたしの全身、潰れてなどいない、は四つの色がはっきりと見える(その名は、その音が意味を示さない詩の一行から取られていたとしても)旗にくるまれた木の棺に納められ、わたしの友人たちとわたしの敵であった友人たちの肩で担がれていく。*2

 そしてわたしは、赤と黄色の花輪が欲しい。安っぽいピンク色は嫌だ。紫も嫌だ、死の香りを振り撒く色だから。それからラジオのアナウンサー、あんまりペラペラとしゃべらず、そんなにしゃがれ声でもなく、もっともらしく悲しみを表すことのできる人がいい。テープの合間にわたしの言葉を挟んで、かれにちょっとしたスピーチをしてほしい。わたしは静かな、粛々とした葬儀をしてほしいのだ、盛大で、離れ難く、ほかとは似ていない、美しかろうものを。喪の最初の一日に死んだばかりの死者の運とは何とよきものであろうか、弔問者たちが競い合ってかれを讃えてくれるのだから!かれらは一日の騎士であり、ある日の最愛の人であり、その日の純潔なのだ。誹謗もなく、悪意もなく、妬みもない。それはわたしにとっても良いことだ、わたしには妻も子もいないのだから。友人たちは、未亡人が弔問者に同情を抱くようになるまで終わることのない長く悲しげなお芝居から救われる。子どもたちも、部族のお役所仕事で運営される組織のドアの前に立たされる屈辱から救われる。わたしは独りで、独りで、独りでよかった。そういうわけで、わたしの葬儀には香典はいらないし、お互いの儀礼のために勘定を取っておく必要もない。だから葬儀が終わったあと、葬列に加わったひとたちはそのままかれらの日常に戻っていくことができるのだ。わたしは優雅な棺、そこから弔問者を覗き見られるような、で葬儀を行なってほしい、戯曲家タウフィク・アル・ハキームがそうしたかったように。わたしはかれらが立ち、歩き、ため息をつき、どのようにその唾が涙に変わっていくのかを見たい。かれらのあざけるかのような話を聞きたい。「かれは女ったらしだった」「やつは服の選択にやたらうるさかった」「やつの家の敷物は膝まで埋まってしまうような豪華なものだった」「やつはフランスのリヴィエラに城を、スペインに大邸宅を、チューリヒの銀行に隠し口座を持ってた。それから自家用ジェットをこっそりと。それから5台の高級車をベイルートのガレージに」「ギリシャにヨットを持ってたかは知らないが、家には難民キャンプをまるごと造れるような海上用のボートがごっそりあったぞ」「いつも女に嘘をついてた」「詩人は死んだ、かれの詩とともに。やつは何を残した?やつの役目は終わりさ、やつの伝説はおしまいだ、やつは詩と一緒に消えてしまったのさ。ま、何にせよ、やつの鼻は長かった、舌もな」。こんな調子の厳しい話だってわたしは聞き、想像力が緩むにつれ、わたしは棺のなかで微笑み、言おうとするだろう。「もう充分だろ!」。わたしは生き返ろうとするが、できるわけがない。

   ========== 

 しかし、ここで死ぬということは――嫌だ!瓦礫の下で死にたくはない。わたしは新聞を探して通りに降りていくと偽るだろう。恐怖は、この人々のなかから爆発した英雄的行為――その前列には名前はよく知らないが、ベイルート在住者から選ばれた"純然たる魂"のようなひとびとがいて、このどしゃ降りの爆撃のなかで25リットルの缶を満たすだけの水を探すために日々の精力を傾けていたり、歴史のなかに抵抗と忠義の刻まれた瞬間を広げようとしたり、爆発する金属との戦いにかれらの肉体をもって報いようとしている――の熱狂のなかでは恥ずべきことなのだ。英雄的行為は、この燃えさかる夏のさなか、分断されたベイルートの、まさにこの部分に存在している。ここは西ベイルート。ここでは人は偶然死ぬのではない、むしろ生きているのなら、それは偶然生きているということなのだ、ロケット弾の射程から逃がれられる地表などないし、爆発から救われながら足を下ろせる場所などないのだから。だが、わたしは瓦礫の下で死にたくない。わたしは開かれた通りで死にたいのだ。

 突然、虫が、いくつかの小説で有名になったやつだ、わたしの目の前で散らばった。虫たちは色や形状によって厳格に自ら隊列を組み、死体を食い尽くし、肉体をほんの数分で骨まで引き剥がす。たった一度の襲撃、二度の襲撃で骸骨以外の何も残らない。虫たちはどこからともなく、地表から、死体それ自体から現れる。死体は、そのなかからやってきた、よく訓練された軍隊によって一瞬にして食べ尽くされる。確実に、それは英雄的行為と肉体をまとった人間を空っぽにする映像だ。かれを馬鹿げた運命に裸で突き出す、絶対的な不条理の前に、全面的な無のなかに。それは、死の賛辞から飛行への逃避から生まれた歌をも引き剥がす映像だ。この無から精神を救い出すための場所を開くという人間の想像力――死体のなかに棲むもの――が、この事実の醜さに勝利できるのだろうか?それは宗教とか詩とかが提示する解法なのだろうか?たぶん、たぶん。

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わたしはサミールを子どものころから知っていたから、かれが病院で昏睡状態にあると聞いても行かなかった。ジェット機がかれの脚と腕1本をずたずたにし、腹を引き裂き、目をえぐった。かれはスポーツシティの広場から負傷者を避難させようとしていたのに。かれに何が残されたのだろう?思うに、かれが最後に見たものは、少女たちのスカートの下で放てられた銃火だったのではないか?わたしたちはクフール・ヤシフの同級生だったが、かれはめったに出席しなかった。かれはさぼりがちな性格だったし、実際さぼっていた。本を読むよりも、海に行ったり、鳥を追いかけることを優先していた。かれは子どもっぽいいたずらに加わることはなかった。かれは聖書のヨセフのようにハンサムで、敬虔ではなかったが恥ずかしがりやだった。青く澄んだ目はアクレの海とかれの美しくも専制的な母親から受け継いだもの。くるみ色のちりちりの髪に、目を引きつける広い額。かれはとても遠くに住んでいて、肉体的に強かった。わたしたちは、なぜかれが学校を、家族を、故郷を捨てると決めたのかを、かれが6月戦争で逮捕されるまで知ることはなかった。少なくともイスラエルの新聞が「ハイファ爆破のため国境を侵入したフェダイン戦士を逮捕」と大きく巻頭に掲げるまでは。1967年の6月戦争の前夜だった。イスラエルプロパガンダは戦争の地慣らしをしようとして捻じ曲げられたものだった。それまでかれはわたしたちと運動をともにすることはなかったので、かれの背の高い手錠をされた姿を新聞で見るまでは、かれがフェダインの戦士であるとは信じられなかった。かれの父親は、わたしの従兄弟だが、途切れることのない拷問下でのサミールの呻き声を、警察がどのようにして壁越しに聞かせたかをわたしに語った。かれは、自分の甘やかされた息子―優雅でハンサムで、快適に満たされて育った――の体から立ち現れるゆっくりとした死の音によって完全に壊されてしまっていた。しかしかれの母親、際立って美しい女性、は母としての誇りによって自分の神経を落ち着かせ、精神的なバランスを取ることができた。かの女の息子は、他国に敗れた国を立て直そうとする男になったのだという理解に目覚めることで。こうしてかの女は悲しみを誇りへと変えたのだった。

 かれらはサミールに終身刑を宣告した、刑務所でかれは協力者としてふるまい、仲間のフェダインたちからの嘲りの目にさらされていた、かれがその計画を実行に移すまでは。かれは刑務所の調理場で働き、必要とする鋭利な物品を手に入れることができた、かれは計画実行の時間が訪れるまで何カ月も独房の鉄格子を切り刻み続け、そして数人の囚人仲間を自由にすることができた。かれは最後に脱出することに固執したので、看守たちは行動中のかれを捕まえ、再び格子のついた窓の向こうに押し込んだ。また終身刑が宣告された。三度めの挑戦のあと、三度めの終身刑が宣告された。このようにして、かれは自由になるまでに、3回の人生を送らなくてはならなかった。

 捕虜交換ののち、サミールはついに偉大なアラブの故郷の地の光のなかに抜け出した。しかしかれは理想とその現れの違いを信じることができなかった。かれは夢とそのための手段との矛盾を受け入れることができなかったし、外側の世界を例える囚人の伝統のなかに安んじることもできなかった。そしてその明らかな自由、内側において想像された自由は、確固たる信念からわき出る自由、心の安らぎ、外の世界との絆であり、規範として持たれるものであった。わたしたちはこうした心のなかの自由が、わたしたちのゆがんだ自由のなかに出てくるときの不平に慣れきっていた、わたしたちがかれらの理想をゆがめているという不満や、外の世界がどのようなものであるべきかというかれらのイメージにも慣れきってしまうように。

 20年後、ダマスカスでかれに会ったとき、かれは言った。「これでほんとうにいいのか?おれはこんなことのために入ったんじゃないし、こんなことのために出てきたんじゃない!」。しかしかれには、手段がもっと調和的でよりバランスのとれたものに置き換えようとする主張への極端な幻滅からかれを防ぐ、組織と理想が持つ紐帯への充分な忠誠心があった。かれは国家機構にひどく失望していたが、そこに密接に繋がっていた。「おれみたいな男は」、かれは言った、「肌の色を変えるみたいなことはできないよ。別に組織が脅迫してくるわけじゃないよ、でも、バランスを取って成り立っている物質のうちのひとつが壊れてしまうんじゃないかと思うと怖いんだ。で、おれはパレスチナの理想とそのひとびとのしもべじゃないかって考えてみるんだ、この派閥に属していようとどこにいようともね。派閥の抗争やらそのうちのどれか(別におれを代表してるわけじゃない)の選択に追随するような不実に溺れることもなく、こっちにいようとあっちだろうと、アラブ政権が主人なんだって」。

 かれは自分から離れていった、かれ自身を不条理の翼に下に隠して。かれは、かれの中核部隊の何らかの変化が、歴史の真実とその精神の温かさを損ねてしまうのではないかと恐れていた。なぜなら異議が、実際に社会と故郷にその存在をもたらす価値の不在が、倫理と愛国心によって強いられたものではない言葉の戦いのなかで流布する疑念と疑惑を浮上させかねないからだ。この類いの「国家的対話」は暗殺以外の何かを生んだためしはないし、わたしたちのだれひとりとして、告発を向けられることから免れはしないのだから。

 サミールはベイルートにとどまった。「自由」の代弁者が、かれの地位もかれのアラブ政権の主導権争いのなかで大声で主張する権利も失なうことのないまま、派閥のほかの構成者に仕返しをするためだけにビルを住民たちの上に倒壊させることができるような場所で、牢獄のなかの自由と自由のなかの牢獄というかれの疑問を問い続けるために。おそらくパレスチナ革命法廷は、目に余る罪を犯したとして、その指導者たちを審理するような伝統は持ち合わせてはいないと思われている。結局のところ、都合のいい言い訳が熱烈な演説に変わってしまうのを目の当たりにすれば、「人倫に対する罪」で裁かれるのはマリファナタバコで暇潰しをしたり、魅力的な女性の腕を掴んだりした、若き未来のある殉教者だけだ。サミールにとっては、イスラエルの刑務所から出てきたかれのようなひとびとにとっても、どうしてアラブの秘密警察の代表者たちが国民運動の指導者になって、他国とうまくやっていくために革命は「バランス」を保たなくてはならないと言いつくろうのを理解するのは、困難なことだ。わたしたちはアラブ連盟なのか?かれはこんな混乱した伝統に慣れることなどけっしてできなかった、かれは成熟したことなどなかったのだから。アラブの基盤とアラブの頂点との複雑な関係によって引き出されるパレスチナの政治談義の大きなひとまたぎに関する知識を通すことだけによって得られる「リアリズム」の段階に、かれが到達することなどなかったのだから。この談義が、甘やかされた息子であることよりも囚人であることを自ら見いだしたとき、一方で民主主義への問いが、アラブ民族主義への問いから切り離された。双方が別の方向に行ってしまったのだ。その結果として、わたしたちの「国家的統一」はアラブ政府間の団結の一構成要素に引きずり下ろされてしまったのだ。組織としてではなく、その一部に。

 しかしサミールは、牢獄のなかの自由と自由のなかの牢獄という問いに苦しめられ、わたしたちすべてを運命論の岸辺へと押し流す一般的な耽溺の波のなかへと向こうみずにも自分を追い込んでいった。そしてわたしは、かれのことを子どものころから知っていたから、バーヒル病院にかれを訪ねてはいかなかった。「かれだってこと分からないよ」、かれらは言った。「かれのことを愛していたとしてもね」、かれらは付け加えた。「かれが死ぬよう祈ってくれ。死だけがたったひとつの解放なんだから。かれは昏睡してる、死のうとしてるんだ、生きたまま」。

 かれは牢獄から解放されたのではなかった、やつらはベイルートでかれを追い抜いて、終身刑の代わりにジェット機で処刑したのだ。サミールは死んだ。家族のバジルの木が死んだ。

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*1:この節は、マロン派社会の構成員によるファランジスト民兵の根拠地であるアシュラフィーヤへの侵略の初期における、イスラエル郡に対する歓迎にかかわる皮肉な参照である

*2:パレスチナの旗の色は白、黒、緑、そして赤。文中の「詩の一行」とは「白はわれらが偉業、黒はわれらの戦い、緑はわれらの牧草地、赤はわれらが剣」。ダルウィーシュによる「その音が意味を示さない」という説明は、先の注5<第2回の注4>でほのめかされた、形式と実体の剥離を示す別の言い方ともいえる

『忘却症のための記憶』(2)

 わたしはもはや、この海からやってくる鉄のような唸り声がいつ止まるのかなどとは考えなくなった。わたしはビルの8階に住んでいる。どんな狙撃手だって狙ってみたくなるような、もちろん、海を地獄の源泉に変えてしまった艦隊にしたって同じことだろう、そんなビルにだ。このビルの北側はガラス張りになっていて、居住者たちに海上の波濤の美しい景色を見せるようになっている。しかし、いまやそのことは、容赦なき殺戮に対する盾が存在しないということでもあるのだ。どうしてこんなところに住むことにしてしまったのだろう?何て馬鹿げた質問だろうか!わたしはここにもう10年も住んでいて、その間ガラスの醜聞についてなど、一度も不満を抱いたことなどなかったのだから。

 しかし、どうやって台所にたどりつこう?

 わたしはコーヒーの芳香が欲しい。コーヒーの芳香以外の何も欲しくない。そして、いま、わたしは過ぎ去った日々がわたしにもたらすあらゆるものよりも、コーヒーの芳香が欲しいのだ。コーヒーの芳香こそがわたしをわたし自身として留めてくれる。自分の脚で立った、這いつくばる何ものかから変身し、人間という存在にしてくれる。コーヒーの芳香こそがわたしを、この夜明けに起こったことへの自分の役割に耐えさせてくれる。そしてわたしたち、この一日とわたし自身、は共に街へと下りていき、別の場所を探すだろう。

 どうやってわたしのこの部屋にコーヒーの芳香を漂わせることができるのか?海上の艦船から、この海に面した台所に向かって弾丸が降りそそぎ、火薬の悪臭と何もないことの味わいを振りまこうとしている、この最中に。わたしは二つの艦船からの時間を測った。1秒。1秒。息を吸い息を吐く間よりも短い時間だ。心臓の鼓動二つ分。1秒はわたしにとって、海に面したガラスの外装の側のストーブの前に立つには充分に長い時間とはいえない。1秒はわたしにとって、水のボトルを開けて、水をコーヒーポットに注ぐには充分に長い時間とはいえない。1秒はマッチを擦るには充分に長い時間とはいえない。しかし1秒はわたしにとって、燃え上がるには充分に長い。

 ラジオを切った。もうこの狭い廊下の壁が、ロケットの雨からわたしを実際に守ってくれるかなどと考えるのはやめた。この壁が、人肉を探し、直撃し、窒息させる金属に満ちた空気――榴散弾の破片から隠してくれたからといって何になる。こういう場合には、単に暗いカーテンこそが想像の安全壁としてふさわしい。死とは、死を見ることなのだ。

 わたしはコーヒーの芳香が欲しい。わたしには1杯のコーヒーをたてるための5分の休戦が必要だ。わたしには、1杯のコーヒーをたてるほかには何の個人的な望みもない。この狂気に導かれ、わたしは、わたしの義務と目的を定義する。わたしのすべての感覚を照準に合わせ、わたしの渇きをたったひとつのゴールへと前進させる。コーヒー。

 コーヒー。わたしのような中毒者には、それが一日の鍵となるのだ。

 そしてコーヒー、わたしと同じような人なら分かるだろう、それは自分でたてるもので、トレーに載せられて運ばれてくるものではない、なぜなら、トレーを運んでくるひとは、言葉を運ぶひとでもあるからだ。そして最初のコーヒー、静かな朝の処女、は最初の言葉によって汚されてしまうのだ。夜明け、わたしの夜明けはおしゃべりとは正反対のものだ。コーヒーの芳香は音によって遮られ、黴臭いものになってしまう。もし優雅な「おはよう」以外の音が聞こえてしまったのならば、

 コーヒーは朝の静寂、早々にして急かされず、静けさだけがあなたを安らかに保つ、創造的で、たったひとりで立ち、いくらかの水とともにあなたは気怠い孤独へと到る。小さな銅のポットから神秘的な輝きを注ぎ――黄色が茶色へと変わっていく――あなたは小さな火の前に立つ。ああ、これが薪の火ならばよかったのに!

 火の前から離れ、パンを求めて目覚めた街を観察する。まるで類人猿が木から自らを解放し、2本の脚で立ち上がったかのように。通りは果物や野菜を積んだ荷車で溢れている。物売りたちの叫び声は気の抜けた賛辞を書き留め、それはやがて農産物を単なる値段のついたものへと変えていく。また少し下がって、冷たい夜の残した空気を吸い込む。そして小さな火の前に――薪の火ならばよかったのに!――戻り、二つの物質が接触していくのを愛と忍耐をもって眺める。緑と青に彩られて火と、小さな白い細粒を立てて湧きたち息づく水。やがてそれは1枚のフィルムへと移り変わり、大きくなる。ゆっくりと拡大し、それから泡となって膨らみ大きく大きくなっていき、そして壊れる。膨らみそして壊れ、渇きを癒やすかのようにスプーン2杯分の粗挽きの砂糖を呑み込み、それが浸透するやいなや、すぐにも小さくシューッと音を立てつつ泡は静まる。再びチリチリとコーヒーそれ自体にほかならぬ本質の叫びを上げる――きらめく雄鶏のごとき芳香と東洋の男らしさである。

 ポットを火から下ろし、片手の対話を続ける。タバコとインクの香りの自由、この最初の創作とともに、この時間があなたの一日の香りとあなたの運命の弧を決定する。これから働くにせよ、一日だれとも会うことも避けるにせよ。この最初の創作とそのリズムからいったい何が現れることとなるのか、前の一日から立ち上る眠りの世界からいったい何が弾きだされるのか、そしてあなたの中からいったいいかなる謎が暴露されるのか。こうしたものごとが、あなたの新しい一日のアイデンティティを形作る。なぜならコーヒーは、最初の1杯のコーヒーは手の中の鏡なのだ。この手がコーヒーに、それをかき回している人物がだれであるのかを明らかにさせる。いうなればコーヒーは、開かれた魂の書物のオープンリーディングだ。そしてあなたがどのような秘密を抱えていようとも、それを暴露してしまう魔女でもあるのだ。

   ==========

 鉛でできた夜明けはいまでも海の方向から進行している。いままでわたしが聞いたこともないような音に乗って。海は完全にさまよえる艦隊によって閉ざされた。海洋の自然は金属に変わってしまっている。死とはみなこのような名前を持っているのだろうか?どうしてこんな赤く黒く灰色の雨が、離れ留まるものたちの上に、人々の、木々の、石々の上に降りそそぐことになったのだろう?わたしたちは離れるときに言った。「海から?」かれらは尋ねた。「海から」わたしたちは答えた。どうしてかれらはこの重苦しい大砲をもって波とあぶくを制圧したのだろう?わたしたちの海への歩みを早めるためか?しかし最初にかれらは海の包囲を破ってしまうにちがいない。かれらはわたしたちの血の最後の連なりの最後の通路を片づけてしまうにちがいない。ただ、かれらがそうしないのならば、わたしたちも離れないだけだ。さあ、行こう。コーヒーをたてよう。

   ==========

 このあたりの鳥は朝6時には目を覚ます。朝の最初のかすかな光のなかにかれらだけがいることを知ってからというもの、かれらは中立の歌を口ずさむ伝統を保ってきた。いったいだれのためにかれらは、このロケット弾の衝突のさなかに歌うのだろう?かれらはかれら自身のために歌うのだ。わたしたちのためではない。わたしたちは前から気づいていたのだろうか?鳥たちは燃え上がる都市の煙から自分たちのための場所を清め、砲撃のなかかれらを包み込む音の矢をジグザグと進ませ、空の下、安全な大地を指し示すのだ。殺し屋が殺し、戦士が戦うように、鳥は歌う。そしてわたしは、もはや比喩の言葉を探し求めることを停めた。わたしは意味を提示することを完全にやめた。なぜなら戦争の本質は、象徴を貶め、人間の間の交渉と空間と時間をもたらす、そして物質を自然の状態に戻し、わたしたちを、道路の壊れた水道管から噴き出す水によって歓喜させるのだ。

 こんな状況下での水は、わたしたちにとって奇跡のようなものだ、いったいだれが、水には色も味も匂いもないなんて言ったんだ!水は渇きが広がるにつれ、その色を明らかにしていく。水は鳥の歌の色を持つ、ことにスズメのそれだ――鳥たちは海から近づいてくる戦争に注意を払うことはない、かれらのための場所が安全であるかぎり。そして水は、水の味がする、それは小さなスズメが低くはばたくときにきらめく光にも似た輝きの広がる、穂の実りきった小麦のなびく畑から吹く午後のそよ風の香りがする。空を飛ぶすべてのものが飛行機であるということはないのだ(おそらく最低のアラビア語のひとつは「ターイラ〈飛行機〉」だろう。「ターイル〈鳥〉」の女性形だ)。鳥たちはかれらの歌を歌い続ける。海からの大砲の唸りに抗って。だれが水には、味も色も匂いもないなんて言ったんだ?そしてジェット機は鳥の女性形だなんて言ったんだ?

 しかし突然、鳥たちは口をつぐんだ。かれらはおしゃべりといつもの夜明けの滑空をやめた。飛行する金属の嵐が吹き始めたので。かれらはこの鉄の叫びのために口をつぐんだのか、それともその名前と形状があまりに不釣り合いであるからなのか?鉄と銀の二つの翼対羽根でできた二つの翼。鋼線と鉄の鼻が歌でできたくちばしに向かう。ロケット弾の積荷に対して大麦の粒と藁。かれらの空は、もはや安全なものではなくなった、鳥たちは歌うことをやめ、戦争に注意を払う。

   ==========

 空はコンクリートの屋根のようにたわむ、海は乾いた大地へと姿を変えていく、空と海はひとつの物質となり、息をすることさえ困難だ。ラジオをつける。何もない。時は凍りついた、時はわたしにのしかかり、首を絞めつけている。ジェット機はわたしの指の間を抜けていく。わたしの肺を突き刺す。どうやったらコーヒーの芳香にたどりつける?わたしはコーヒーの芳香のないまましなびて死んでいく存在なのか?望まない。望まない。わたしの意志はどこだ?

 それはそこで止まっていた。通りの向こう側で。南からわたしたちに迫り来る「伝説」に対して応えを出したこの日。生々しい人体が精神の筋肉をこわばらせ「やつらを通すな、ここから離れないぞ!」と叫んだこの日。生々しい人体は金属に対して立ち塞がった。そして高等数学に対して勝利した。征服者たちは壁によって止められた。死者を埋葬する時間が生まれた。武装する時間が生まれた。そしてわたしたちが望むままに時を使う時間が生まれた。この英雄的行為は続いていくだろう。なぜならわたしたちはいまや時の支配者なのだから。

 パンは土から湧き出し、水は岩から溢れ出す、やつらの砲弾がわたしたちの井戸を掘る。そしてやつらの殺意の言葉が、わたしたちに「ここから離れないぞ!」と歌わせることになった。わたしたちはわたしたちの顔を遠い異国のスクリーンで見た。大いなる約束にわき立ち、確固たるVサインをもって包囲を打ち破ったのを。これからは、わたしたちには失なうものはもはやない。ベイルートがここにあるかぎり。そしてわたしたちは、ここ、ベイルートにいるのだ、異なる故郷の名とともに、意味が海の真ん中と砂漠の端で再び言葉を見つける場所に。こここそが、わたしたちがどこにいようとも、盗まれて消えてしまいさまよったままの意味と言葉と、中心から追い払われて消滅し迷い子となった光のためのテントなのだから。

 しかしかれらは気づくだろうか、この「完全武装青年団」は、武力のバランスを創造的に無視することで、古い歌の始まりの言葉を携えて、手榴弾とビールの火炎ビンを抱えて、防空壕のなかにいる少女たちの切なる願いを連れて、賢明な両親たちの復讐という明確な望みをもって、そしてかれらが、この死のスポーツについて何も知りはしないというそのことをもって、耄碌した理想からの解放のために怒りをこめて武装したのだということを――かれらは気づくだろうか、かれらの傷と独創的な無鉄砲さをもって、かれらは言葉のインク(中世のアクレの包囲から現在のベイルートの包囲まで、連中の目的はすべての中世史への復讐なのだ)を修正しようとする。それは奴隷をもっとたやすく奴隷としておこうとすること以外の何も望もうとしない西洋世界に向けて、地中海の東側のすべての領域を突き動かす行為なのだと。*1

 そしてかれらが包囲の下での包囲に取りかかったとき、かれらは知っていたのだろうか?かれらは驚異の中から現実を日常のなかにもたらし、「伝説」に取って代わり、自己証明から自己証明への運動によって編み出された英雄的行為の秘密によって、「破滅の預言者」の心得違いを暴き出すのだと?男が男であることを試され、女もまた女であることを試されるように。自己防衛に立ち上がるかそれとも自殺するかを選ぶ力を気品ある心が持つように。あるいは独りゆく騎士が、公式の騎士道を待たねばならないかれ個人の武勇と心身両面での英雄的行為を受け入れるよりは、独力でこの傲慢なる場所を引き裂きかれの中に隠された動機への通路を開くという選択をするかのように。ひと握りの人間存在が物事の秩序に反旗を翻すのだとすれば、それはこのような人々だろう。強硬な銃火によってその誕生が鍛えられ、「伝説の防衛者」との衝突がもたらした「圧政の守護者たち」の共謀によってさえも、柵の向こうに飼われた羊の群れとは同一のものとはならなかった人たちだ。*2

 やつらを通すな、この体に命のあるかぎり。やつらを通すときは、やつらがみんな通ってきたのならば、それは精神の抜け出したあらゆる死体を越えてくるのだ。

 そして、わたしの意志はどこだ?

 それは向こうで止まっていた、集団の声の向こう側で。しかし、いまは、わたしはコーヒーの芳香以外の何も欲しくない。わたしは、いま、恥ずかしく思う。恥ずかしく思う、わたしの恐怖を、遠く離れた故郷の地の香りがかれらに守られていることを――その香気をかれらは嗅いだことはないだろう。かれらはかの女の土から生まれたわけではないから。かの女はかれらを生んだ。しかしかれらはかの女から離れて生まれたのだ。かれらはかの女について常日ごろ疲れることも飽きることもなく学んだのだろうけど――。そして抗いがたき記憶と絶え間なき追求によって、かの女のものであることとはどういう意味なのか、かれらは学び取った。

 「あなたはここの人ではありませんね」。かれらはそこでかれらに言った。
 「あなたはここの人ではありませんね」。かれらはここでかれらに言った。*3

 そして、ここそこの間でかれらは、死がかれらの上で自らを祝福するまで、震える弓のように体を伸ばしていた。かれらの両親たちは、ここの客、仮の客となるために、そこを追い払われた。故郷の地の戦場から市民たちを払いのけるために、アラブの土地からの、恥および不名誉による栄誉の追放を正規軍に許すために。昔の歌にあった、「兄弟たちよ、迫害者は破りたくなるような境界をつくるんだ/戦って、そしてわれらはつくろうとする……/突然われらに死が訪れる/むなしき戦い、何も変わらない」。*4この詩が侵略者たちの残余から弾き出されたように、一行一行、国を解放する、この若者たちはここで生み出された。どんなやり方でも――ゆりかごもなく、おそらくは藁のマットかバナナの葉の上、あるいは竹の籠の中で――歓喜も祝宴もなく、出生証明も氏名登録もない、かれらは家族や近所のテントのひとびとの重荷だ。単純にいえば、かれらは余計者だ。かれらにアイデンティティなどないのだ。

 そして最後に何が起こったのか、起こったのか。正規軍は撤退した、そしてこれらの若者たちは、いまだ理由もなく生まれ、理由もなく育ち、理由もなく記憶され、そして理由もなく包囲の下に置かれた。かれらはみんなこの話を知っている――まったくもって宇宙における交通事故か大自然破局のようなこの話を。しかしかれらはまた、かれらの体とかれらの掘っ立て小屋からなる書物から実に多くのことを読みとった、かれらは分離政策について読み、アラブ民族主義の演説を読んだ。かれらはUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)のお触れ書きを読み、警官の鞭を読んだ。*5かれらが育ち続け、難民キャンプと収容所の境界を越えていくようになったにもかかわらず。

 そしてかれらは、征服者たちがかれらの名をかれらのものではない土地に生かし続けるために、岩とオレンジのアイデンティティを捏造するために用いた砦や城の歴史を読むことだろう。歴史は買収されることはないのか?そして、なぜ、そのとき、多くの場所が――湖が、山が、都市が――軍事指導者の名を持ち、かれらが最初に抱いたときの印象を口に出さずに言ったのに、その言葉が今もなお使われているのだろう?「オー、リッド!(何て美しい!)」、これはローマ人の将軍が初めてマケドニアの湖を見たときに言った言葉で、その驚きがその名前となった。これに加えて何百もの名前をわたしたちは、かつて征服者たちによって選ばれたときのまま、その場所を指し示すものとして使っている。そこにおいては敗北からのアイデンティティの解放が困難になってしまうのに。砦と城とは、忘却を保護する時間を委託しないために、名前を護持する試み以上の何かではない。戦争の反-忘却とは、石の反-忘却である。だれも忘れたくなどない、もっと正確に言えば、だれひとりとして忘れられたくなどないのだ。あるいは、もっと平和的に、ひとびとは子どもたちに名を与えて、名の重みと栄光をもって、この世界に生み出していく。この忘却の長きキャラバンに対面しつつも、署名を置き、名の縛りを解こうとする捜索のための二重の作戦には、長い歴史があるのだ。

 なぜそのとき、ベイルートの岸に打ち上げられる忘却の波のごときひとびとが、自然に抗うはずのものと予期されてしまうのか?なぜかれらはかくも記憶を失っているはずだと予期されてしまうのか?そして、だれがかれらのために、鉄板の小屋でのかすかな生の壊れた記憶以外の中身を持った新しい記憶を組み立てられるというのか?

 そこには、かれらにとって、忘れるに足る忘却があるというのだろうか?

 そしてだれが、この場所と社会からの疎外というかれらの想起を止めることのない苦痛のさなかに、かれらが忘れることの手助けとなるのか?だれがかれらを市民として受け入れるのか?だれがかれらを差別と追撃の鞭から守ってくれるのか、「おまえらはここのものじゃない!」。

 かれらはアイデンティティの追求のために存在している。国境にさらされ、伝染病を確認するかのように警報を鳴らされ、そして同時に、まさにかれらのアイデンティティこそがアラブ民族主義の精神として利用されるという特別なものとして言及される。これら忘れ去られたもの、社会の織物から切り離された、これら追放者、仕事と平等の権利を奪われた、は同時にかれらの辛苦に拍手するようにも期待されている。なぜなら、それがかれらに記憶の恵みを与えているのだからと。このようにしてかれは、故郷の地を忘却するという病苦からかれを自由に導く人権からの排除を受け入れる人間であることを期待されるのだ。かれは結核にかからなくてはならない、肺があるということを忘れないために。かれは露天の地で眠らなくてはならない、かれにはもうひとつの空があるということを忘れないために。かれは下僕として働かなくてはならない、かれには務める国があるということを忘れないために。そしてかれは定住の特権を拒否しなくてはならない。パレスチナを忘れないために。単純にいえば、かれはアラブの兄弟たちにとっての「他者」であり続けなくてはならないのだ、解放という固い契りのゆえに。

 よしよし、かれは自分の任務が分かっている。わたしのアイデンティティ―わたしの銃だ。なぜかれはこうして数限りなき告発――トラブルを起こす、歓待のルールを侵す、問題を生みだす、武器の所有を広げる――に立ち向かっていくのか?かれが平和を手にするとき、かれの魂は野良犬に差し出される。そしてかれが故郷の地を踏むとき、かれの体は犬の前に引き出される。最新モデルの理論を試す余裕のある知識人たちは、かれが現状の体制に対する唯一のオルタナティヴだと説得する。しかし現状の体制がかれに襲いかかるとき、かれらは、かれがかれの愛国心から遠く離れてしまった、かれが現状の体制の折り目を越えてはるか彼方に行ってしまった、と自己批判を要求する。状況は熟していない、状況はまだ熟していない。かれは待たねばならない。かれは何をすべきなんだ?ベイルートのコーヒーショップで生涯おしゃべりして暮らすのか?かれはもうずっと長いこと、ベイルートがかれを堕落させてしまったと、ペチャクチャと言われてきたのに。

 社交界のご婦人方は、国で生まれたものたちによる義勇軍(ムジャッダラ)の防衛のためのパーティーで、宝石をジャラジャラさせながらスピーチをする。そのときかれは困惑を覚え、故郷とは米とレンズ豆の料理のことではありませんねとかいう趣旨の話をする。そしてかれが国外で、国境の上で武器を取ったときには「国境を越えてるぞ」とかれらは言うのだ。そしてかれが自分自身を守るために国内で武器を使えば、シオニズムの手先相手であっても、「地域社会の迷惑だ」とかれらは言う。いったい何をしたらいいというのだ!いまだ存在してもいない実存のために謝罪すること以外に、この自己批判の過程を終わらせるために、いったいかれに何ができるのか?そこに行くことはない、ここに属することはない。この二つの否認の間で、この世代は、かれらが知ることのない国の香気を撒き散らす人体のように象られた蒸留酒の瓶を守って生まれてきた。かれらは読んだものを読んできた。かれらは見たものを見てきた。そしてかれらは敗北が不可避であると信じることはない。だからかれらはその香気に導かれて出発するのだ。

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*1:「完全武装青年団」<"RPG=ロケットプロペラ弾=キッズとして知られている>はレバノンの難民キャンプで生まれたパレスチナ人の子どもたちである。パレスチナレバノンの正規軍の傍らで、かれらはイスラエルの侵略に対してきわめて英雄的な抵抗を見せた

*2:「伝説」とはイスラエル陸軍の呼び名であり、「破滅の預言者」とはアリエル・シャロン、1982年のレバノン侵攻を開始したイスラエル防衛相、のことであろう。「圧政の守護者たち」はアラブの指導者たちのことであり、「伝説の防衛者」は、この後にも登場するが、当時のイスラエル首相、メネヘム・ベギンの呼び名である

*3:全編を通じ、「そこ」と「ここ」は、テキストの中で大きな二つの経験の極として繰り返される。パレスチナ=そこ、とレバノン=ここという呼ばれ方で

*4:1948年のパレスチナ喪失のあと、エジプト人歌手ムハマッド・アブド・アル・ワッハーブ<本書では後でもかれについて参照する>、によってこの詩は書かれた。ダルウィーシュにとっては、革新的かつ実験的な詩人であり、この詩は古典的アラビア詩の形式である「カシーダ」の退嬰的な用法を象徴している。この詩に続く、「一行一行、国を解放する」という一文はきわめて苦く皮肉なものだ。このような種類の詩がいまでも書かれている一方で、実際には国は失なわれた。この詩の内容は、この本で見る詩人にとって、別の形での退嬰の形式を表現してもいる。それは1967年以前のアラブ世界における全般的な政治的言説と、特にイスラエルに対する言説の空虚を示す。アラブ世界の1967年の敗北<アラブ近代史における分岐点であり、この本における主要なテーマでもある>は多くの知識人にとって、すべての戦線における刷新の必要性に関して、目を覚まさせるものであった

*5:UNRWA国連パレスチナ難民救済事業機関、は1950年にアラブ諸国の難民キャンプに暮らすパレスチナ人を保護するために、「難民問題の解決などないということが明らかになったよう」な時期に設立された。Charles C. Smith,Palestine and the Arab-Israeli Conflictp.152による

『忘却症のための記憶』(1)


 ひとつの夢が覚めて、またひとつの夢が生まれる――。

   ――だいじょうぶ?わかる、生きてるの?
   ――どうやってわかった、この時間に、おれがあんたの膝に頭をのっけて眠ってることが?
   ――あなたが、わたしの腹のなかをひっかきまわしたんで、目を覚まされたのよ。わたしはあなたの墓石だったのね。生きてる?聞こえる?
   ――そういうことだったのか。ひとつの夢から覚めて、また別の夢を見る。それもまた、その夢の解釈だったのかな?。
   ――そうでしょう。あなたに起こったことが、わたしにも起こったのよ。生きてる?
   ――だいたいは。
   ――悪魔に呪文でもかけられた!
   ――わからない。しかし早いうちに死で満たされることになるだろうな。
   ――完全に死んじゃだめよ。
   ――そうならないようにしてみるよ。
   ――ちょっとでも死んじゃだめよ。
   ――そうならないようにしてみるよ。
   ――教えて。何が起こったの?わかる、わたしたちはいつ会った?わたしたちはいつ別れた?
   ――13年前だ。
   ――よく会ってた?
   ――二度だ。一度は雨のなか。もう一度も雨のなか。三度目は、まったく会ってはいない。おれは去ってしまって、おまえのことを忘れた、そしてその間、おれは覚えていた。おれは、おれがおまえを忘れてしまったことを覚えていた。おれは、夢を見ていたんだ。
   ――それは、わたしにも起こったことよ。わたしも、夢を見ていたの。わたしはあなたの電話番号を、ベイルートであなたに会ったというスウェーデン人の友人から聞いたわ。おやすみなさい。死なないということを忘れないで!わたしにはまだあなたが必要なの。そして生きて帰ってきたら電話して。月日の経つのは早いものね!13年!いや、すべては昨夜起こったことなのよ。おやすみなさい!

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 午前3時、夜明けは銃火に乗ってやってきた。悪夢は海からきた。金属の雄鶏、硝煙。金属は主人を金属の饗宴で迎えようと準備に勤しんでいた。夜明けは、まだ訪れようとするまえに、炎となって燃え上がっていた。叫び声がわたしをベッドから追い払い、この狭い廊下に投げ出した。わたしは何も欲しくはなかった。わたしは何も望まなかった。わたしはこの大混乱のなかに脚を運ぶことができなかった。注意を促す時間はなかった。時間そのものがなかった。もしも分かっていたとしたら――それ以降流れ続けることになる死の破壊を調和させるすべを知っていたのなら、この中断されることなき砲撃のカオスのなかで自分自身を守ろうとする必死の努力からもはや自分のものとは思えなくなった体を支えようとする叫びを解放するすべを知っていたのなら。「もう充分だ!」「もう充分だ!」。わたしはささやく。わたしをわたし自身に導く何ごとかをまだできるのではないかと。そしてこの六つの方向に開かれた奈落の底を指し示すことができるのではないかと。わたしはこの運命に屈することはできない。しかし抗うこともできない。鋼鉄は唸り声を上げる。ただほかの鋼鉄に吠え返そうとして。金属の熱気が、この夜明けの歌となった。

 この地獄絵図が、もし5分間の休憩を取ったのならば、その後に何が起こるのだろう?たった5分間!わたしは口に出して言った。「5分間だけ。そのあいだにできるたったひとつの準備なんて、生きるか死ぬかの覚悟を決めるくらいだな」。5分間で充分か?そうだ、この廊下を這い出るには、寝室に、書斎に、水の張られていない浴室に開かれた、台所に開かれたこの廊下から抜け出すには充分だ。ここでわたしはこの1時間ほど、ここから飛び出そうとしていた。しかし動くことができなかった。わたしは、まったく動くことができなかった。

 2時間前、わたしは眠りについた。わたしは耳を綿で塞ぎ、最終のニュースを聞きながら眠りについた、そこではわたしが死んだとは報じられてはいなかった。ということはわたしはまだ生きているのだろう。わたしは体のあちことを点検し、すべてがそこにあることを確認した。目が二つ、耳も二つ、長い鼻、足指が下に10本、手指が上に10。真ん中に指1本。もちろん心のなかでのことだ。見えるものではない。そして、自分の脚を数える常軌を逸した能力を別にすれば、何かを指し示すものなどないことに気がついた。そして書斎の棚に横たえたピストルのことを思い出した。エレガントな拳銃で――清潔で、輝いていて、小さくて、空っぽの。一緒に一箱の銃弾ももらったはずだ。ただ2年も前に、どこか分からない場所に隠してしまった。愚劣な行為をおそれ、行き場のない怒りの表出をおそれ、はぐれた銃弾をおそれて。その結果として、わたしは生きている。もっと正確にいえば、わたしは存在している。

 だれもわたしが、立ち上る硝煙とともに送った願いを気に留めることはないだろう。わたしには5分の時間が必要なのだ。この夜明けを書き留めるために。わたしがそれを分かちあうために。その両脚で立ち上がって、この叫びが生まれるこの一日のなかに乗り込んでいく、その準備のために。わたしたちは8月にいるのか?そう、わたしたちは8月にいる。

 戦争は包囲へと変わった。*1わたしはこの時間のニュースをラジオで聞こうとしたが、それは三番目の手のように無駄なことだった。そこにはだれもいなかったし、何のニュースもなかった。ラジオはまるで、眠っているかのようだった。

*1:David Gilmoure,Lebanon;The Fractured Country.(New York:St.Martin's Press 1983)を参照。レバノンの包囲は侵攻(6月6日)の1週間後に始まり、その後2カ月にわたって続いた。ベイルートは6月13日から8月12日までの間、6月の終わりと7月の半ばの二度の短い中断を除いて、恒常的に爆撃された。この期間、空爆海上射撃、砲弾による弾幕(155ミリ銃と122ミリ榴弾砲による)、戦車からの砲撃、追撃砲とロケット弾による攻撃が行われていた

Memory for Forgetfulness: August, Beirut, 1982 (Literature of the Middle East)

Memory for Forgetfulness: August, Beirut, 1982 (Literature of the Middle East)


忘却症のための記憶
1982年、ベイルート、8月

マフムード・ダルウィーシュ

(英訳・イブライム・ムハーウィ)