『忘却症のための記憶』(4)

 わたしは瓦礫の下で醜くなって死にたくはない。わたしは通りの真ん中で砲弾に打たれて、突然、死にたいのだ。わたしは完全に燃え尽きたい、炭になるまで。小説のなかの虫たちが、その究極の任務をわたしに対して遂行しないように。虫は炭を食べはしないから。わたしは、犬や猫さえいない空っぽの通りを歩くことを正当化するためにこう自分に言い聞かせて、新聞を探す。わたしは窓の外で起こっていることに注意を払いはしないだろう――砲弾、ロケット弾、戦艦、ジェット機、大砲――荒れ狂う風のように、降りしきる雨のように、大地を揺らす地震のように、わたしの道を吹き飛ばそうとするすべてのものに対して。人間はこうしたものに対して何ができるわけではない。こうしたものは運命であって、押し返すことなどできはしないのだ。すべての人間の想像力とすべての科学の進歩がこれまで積み上げてきた、想像もできないような悪い発明品、その効果がいまわたしたちの体で試されている。今日は歴史のなかで最も長い一日になるのでは?死体を洗うものはいない、死者自らによって洗わせよ――水よりもたやすく流れ出る血によって。わたしは最期の手入れのときにその滴を使うため、水を宝物として蓄えている。すべての一滴に役目があるのだ、わたしはいつだって水を滴で計っているのだ。
500滴は髪を洗うために。2000滴で体。100滴で口の中。100滴で髭を剃る。両耳に20滴ずつ。腋の下には50滴ずつ。それから……、それから……、すべての滴が体の部分に対応しているのだ。

 水とは何だ?だれが水には、色も味も臭いもないなんて言ったんだ?化学的には水とはH2Oだ。でもそれだけか?水は肌から立ち上る香水であり、わたしたちの目に、体の隅々に、いたるところに歓びをもたらすだろうか、わたしたちが蝶の天性をほとんど引き受けてしまうまでは?水は何よりも空気だ。蒸留されて、確かで、知覚される、光の浸透した。こうした理由によって、預言者はひとびとに「水から一切の生きものを創ったのである」と、水を愛するように言い放ったのだ。*1わたしはイブン・ファドラーンの『書簡』*2を思い出し、器一杯の水がすべての兵士を洗うために使われていたことに吐き気をもよおす。*3わたしたちの水は、過去の遺物である十字軍による行為のために切り取られてきた。しかしサラディンは氷と果物を敵に送ったのだ。「かれらの心は溶けるだろう」という希望をもって。

 突然、わたしはある歌の文句に笑いだした。「水は渇きへの渇望を癒やすだろう」。「どうやってこの歌手はこんな素晴しい発見に到達したんだ?」、わたしは自分に問うた。テル・アル・ザータールでは、殺し屋たちがパレスチナ女性を狩っていたのだ、泉のところで、壊れた水道管のところで、まるで渇いたガゼルを狩るように。*4殺人者の水。1杯の水のために危険を冒したひとびとの、渇きの血が混ぜられた水。過ぎ去った時に、ベドウィンの間での戦いに火を灯した水。水によってその乾ききった人間性が融けていないひとびとの交渉のための地位を向上させるのに、水は役に立つ。水はアラブの王族を動かし、アメリカの大統領と密接に電話して有益な取引をするという重荷へとかれらに責任を負わせる。「石油は持ってけ、水をくれ。おれたちを持ってっていいから、おれたちに水をくれ!」

 水の音はどんどんと、どんどんと大きくなる結婚式の祝宴だ、ジェット機の叫びよりも大きな。水の音は地球上の生命の根源の鏡。水の音は自由。水の音は人間性それ自身。

 ワシントンのホワイトハウスが西ベイルートで再度水の栓を開くと発表するやいなや、人々は栓の前にかけつけた、わたしたちを別にすれば。この高いビルの住人たちは一番高い渇きの声を上げていたのだ。ここの大家はベイルートが包囲される数年前から、わたしたちを包囲下に置いていたのだ。この国の権力が崩壊したとき、かれは自分自身の権力に取り憑かれた――水の持つ権力に。かれがだれかと、店子とか奥さんとか銀行の口座についてとか、揉めるといつでもみんなの水を止めてしまうのだ。こんな理由で、かれはわたしたちに水への忍耐を植えつけてしまった。かれはわたしたちに水の価値を教え、ダーヒスの砂漠の部族すべてが感じた以上の、水がどくどくと流れたときの大いなる歓びを感じるように導いたのだ。かれはわたしたちを水道管の監視人に、待ち望んだ水の音の夜明けの見張りに変えてしまった。水の音がゴボゴボと聞こえたとき、わたしたちは休みを宣告して、水をありとあらゆるものに貯めこんだ、鍋、フライパン、瓶、皿、コップ、グラス、はては革ジャケットのポケットに。水のおかげでこのビルには儀式によって祝福された宝物があり、夜に集っての語らいがあった。水の話はわたしたちをひとつにし、わたしたちを家族に変えたのだ。しかしこのビルの大家はアリエル・シャノンに嫉妬でもしてるのか、そのサディズムにおいてかれと競ってでもいるのか。西ベイルートが水の開放によって歓びに沸きたっているとき、わたしたちは稀なる孤独にさらされなくてはならなかった。わたしたちには水が届いていなかったし、かれらの歓喜のなかにわたしたちは含まれてなかったから。「われら最後の囚人なり。おお、大家よ。われらの犯さぬ罪を許したまえ。おお、アブラビよ。戦いは未だ続く。おお、大家よ。寛大たれ。おお、アブラビよ。われらに水の分け前を与えたまえ。おお、大家よ」。だれも聞いてなかった。だれも仲裁にきてはくれなかった、わたしがついに武装人民委員会に助けを求めるまでは。かれらがやってきて無理矢理水を開放した。わたしたちがこの戦争とこの包囲の間忘れていた水への真なる歓びからも。

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 わたしのために、そしてわたしのように水からの傷を焼き付けられたひとのために、イブン・シーダ*5がさまざまな水の名前とその属性を連ねている。次に掲げるのは、大河のほんの一滴だ。

 水。水分。滝。急流。瀑布。小滝。雪。氷。雹。逆流。引き波。送水路。運河。小滴。雫。霧雨。暴風雨。雨。俄か雨。急流。どしゃぶり雨。豪雨。洪水。大洪水。霧。露。湯気。結露。湿気。湿度。蒸気。蒸発。帯水層。難透水層。溜め池。増水。小川。小水路。細流。滴り。小さな川。川。支流。合流点。入江。流域。沼地。湿地。湿地帯。沼沢地。水溜り。池。小池。小湖。湖。潟。小湾。海流。波。小渦巻。渦巻。底流。大波。小波。さざ波。寄せ波。うねり波。しぶき。噴水。流出。迸り。波しぶき。うがい。噴出。奔出。流れ。蛇行。水滴。泥水。漏出。濾過。滴り。滴。漏滴。浸透。びしょ濡れ。ずぶ濡れ。ドボン。ポトン。水浸し。びしょびしょ。びったり。小雨。バチャバチャ。洗濯。ザブン。潜水。飛び込み。水面下。ピチャピチャ。沈下。凍結。解凍。湿気。湿り気。水浸し。ぐしょぐしょ。含水性。水性。水溶性。雨っぽい。*6

 まだまだたくさん。

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 わたしは砕けたガラスが散らばった長い石の階段を降りていった。下の階が攻撃を受けているのかは分からなかった。「死体が頭の上から落ちてきたらどうすればいい?」、わたしは自問する。「どうやって運んでいこう、そしてだれに渡せばいい?だれも話す相手がいなかったらどうすればいい?だれにわたしの言葉を伝えるべきなのか、だれがわたしの沈黙を分かちあってくれるのか?」。わたしは歌を口ずさむ、ベイルートに捧げる歌の始まりの一節だ。この戦争で爆発してしまったベイルートは、もはやこの歌の主人公ではないし、レバノンの詩人たちも「ベイルート」という単語を使わなくなった、それがどんなにアラビア語の韻律に適うものであるとしても。韻文であれ散文であれ滑らかに流れる音楽的な名前だ。

 4階の、開かれた扉。「おはようございます、先生!」。こうしてわたしは過去10年にわたってあいさつをしてきたのだ。80歳の、ハンサムで落ち着いた、2本の脚で歩く心のようなひと。かれは壁のうち3つが陥落したあと、境界線上のかれの家から越してきた。わたしがヨーロッパに隠れていた6か月をわたしのアパートで過ごし、それから娘さんのアパートに移った。

 わたしは毎日かれの元を訪れ、戦争による負担をかれに代わって担う手伝いをし、新聞やゴマのついた丸パンを届けた。かれはかつて革新的な詩人だった。もしかするとかれこそが、最初に散文詩の形式を用いた詩人だったかもしれない。その後かれは詩を書くことを完全にやめてしまい、自身の月刊文学誌に専念することになった。かれはいま、編集者であり、原稿の読み手であり、経営者であり、発行人だ。かれのこの残忍な砲撃に対する不平は、かれの大家と水に関する愚痴を別にすれば何ひとつ肩を並べることのできないものだった。かれはわたしたち仲間や、孫たちとの生活を楽しんでいた、うるさ方の奥さんの圧政すら受け入れて。そしてやってもいない悪事について、微笑みとともに詫びるのだった。神経が限界に達したときは、襲いかかるジェット機が押しつけてくる痛みとともにこう叫ぶのだ。「もういいだろう!わたしたちから何が欲しいんだ?あんたらが強いのは分かってる。新しい飛行機も、もっと効果的な武器もわかった。で、何が欲しいんだ?もういいだろう!」。しかしかれの奥さんはかれを叱り飛ばして言う。「やりたいようにさせればいいのよ!かれらは砲撃したいの、それがあんたにどうだっていうの?」。かの女はとげのあるエジプト訛りで言う、わたしの存在など気にかけずに。「かれらはパレスチナ人を砲撃したいだけよ」。怒りに満ちた電流を阻止しようと、わたしはかれにジョークを言った。「それはそうだ。どうしてあのパイロットたちの通り道を邪魔しようなんて思うんだろうね」。かれは笑った。しかしかの女は笑わなかった。かの女の中では、かの女が属するマロン派以外のあらゆる勢力に対する敵意が育っていたし、イスラエルによる無償援助が、かの女の夢の唯一のヒーローに提供されたことに喝采を贈っていたからだ――バシール・ジェマイエルに。*7かの女はこの戦争が、レバノンからよそものやイスラムを追い出すための好意的な奉仕以外の何ものでもないと信じていた。そして奉仕が完全に終われば、共和国の大統領に上り詰めた宗派の指導者ジェマイエルとともによそものを叩き出したあとは、イスラエル軍は何の代償も求めることなく、元いた場所に戻っていくと。

 イエス・キリストの生涯とか、聖母マリアとか、パウロの書簡についてなら、かの女を興奮させることなく議論することもできた。しかしバシールの関しては、かの女はその名前を神聖不可侵なタブーのオーラに包んでしまうのだ。ああ、レバノンの聖女よ。わたしたちのためにかれを護りたまえ!だからといって、わたしはかの女に対して怨恨を持っているわけではない、ただ憐れむだけだ、かの女が至ってしまった、あまりにも深いまったくの幻想と他者の拒絶を。わたしはかの女に恨みなど抱いてはいない、店で見つけたパンや葡萄を届けたりもしたのだ、しかしこのかくも閉じてしまい、かくも完全に固まってしまった心の前では、あらゆる議論の試みは止まってしまった。かの女の夫にしても無駄だった。かれは世俗的なひとだったから、かの女にイスラエルレバノンを愛してなんかいないし、守ろうともしてないよと納得させようとした。ジェット機からの1発のロケット弾がこのアパートに向かってくれば、ムスリムだろうとマロン派だろうと、みんな挽き肉になってしまうのだよと。それでもかの女は、こうした結論で心を武装してしまったひとは、実りのない議論だけを好むのだ。

 わたしの味方につこうとしたのか、かの女の夫は時折わたしに意見を求めた。しかし余計な挑発とかの女がわたしに浴びせるであろう癇癪を避けるためにわたしは言った。「わたしの問題ではないですよ」

 かの女は澱んだ水をかき回す。「あんたの問題って何?」
 わたしは知恵を働かせる。「わたしの問題っていうのは、何が問題なのかを知ることですよ。ところで大家は水を開放してくれたのかな?」
 すると言うのだ、かの女が。「この問題から逃げないで。マロン派とユダヤ人の間には何の問題もないのよ」
 わたしは言う。「知りませんよ」
 言うのだ、かの女が。「わたしたちは同盟者なのよ」
 わたしは言う。「知りませんよ」
 言うのだ、かの女が。「じゃあ何を知ってるのよ」
 わたしは言う。「水には色と味と芳香があること」
 言うのだ、かの女が。「何であんたたちパレスチナ人は国に帰らないのよ。そうすれば問題は終わるでしょ」
 わたしは言う。「そうですか?そんなに簡単?わたしたちが国に帰れば問題はなくなる?」
 言うのだ、かの女が。「そうよ」
 わたしは言う。「かれらがわたしたちを国に帰してくれると思います?」
 言うのだ、かの女が。「だったら戦えばいいじゃない」
 わたしは言う。「ここでね、戦ってますよ。これは戦争じゃないんですか?」
 言うのだ、かの女が。「ここにいるために戦ってるんでしょ、帰るためじゃない」
 わたしは言う。「そこに帰るためには、どこかにいなくてはなりませんよ。帰ろうとするひとは、帰ろうとするのなら、どこでもない場所から始めることはできませんから」
 言うのだ、かの女が。「何でアラブの国に行って、そこから始めないのよ」
 わたしは言う。「あなたが今言ったのと同じことをかれらも言いましたよ。かれらがわたしたちを追い出したんです。だからここにいて、レバノンのひとびとと一緒にベイルートと、自分たちの存在を守ってるんです」
 言うのだ、かの女が。「あんたたちの戦争なんて無意味よ。どこにも行けやしないわ」
 わたしは言う。「たぶん、どこにも行けないでしょうね。でも目的は自己防衛なんですよ」
 言うのだ、かの女が。「出ていきなさい」
 わたしは言う。「出ていくことは了承してますよ。出ていきます。それでもここにいる。出ていくことからも妨げられてるんです。しかしどこに行けばいいか気遣ってくれないんですか?」
 言うのだ、かの女が。「あたしに関係ないわ」
 突然、フェイルーズ*8の声がラジオから流れだした。「アイ・ラヴ・ユー」と「オー、レバノン」。二つの争っているラジオ局から流れてきた。
 わたしは言う。「この歌お好きですか?」
 かの女は言う。「好きよ、あんたは?」
 わたしは言う。「好きです。でも傷つきもする」
 かの女は言う。「何の権利があって好きになるのよ。あんたたちパレスチナ人が、どんなに向こうの国境を越えてきたか分かってるの?」
 わたしは言う。「美しいからですよ。レバノンも美しい。それがすべてです」
 かの女は言う。「エルサレムを好きになったら」
 わたしは言う。「エルサレムは好きですよ。イスラエル人もエルサレムが好きで、そのため歌っている。あなたもエルサレムが好きだ。フェイルーズはエルサレムを歌ってる。それからリチャード獅子心王エルサレムが好きだ、それから……」
 言うのだ、かの女が。「あたしはエルサレムが嫌い」

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*1:クルアーン』21章30節

*2:訳注:邦訳は『 イブン・ファドラーンのヴォルガ・ブルガール旅行記』、家島彦一訳注、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所、1969

*3:イブン・ファドラーンの『書簡』<リサーラット>は西暦921年<イスラム暦309年>に、アッバース朝のカリフ、アル・ムクタディル・ビラのために行われた、アーマド・イブン・ファドラーンに率いられた4人の編成によるロシア地域への旅行の記録である。訪れた部族やひとびとに関し、丁寧に記録がつけられている。英訳者が確認したかぎりでは、水に関する記述は何度も何度も現われ、著者が「ロシア人」と呼ぶ集団の記録のなかに、体を洗う件についての記述もある。しかし軍隊についての記述はない。イブン・ファドラーンは一つの家に10人から20人が住んでいたといいながら、次のように書いている。「かれらはひどく汚れた臭い水で毎日顔や頭を洗わなくてはならなかった。奴隷<あるいは召使>の娘が毎朝大きな器いっぱいの水を持って主人のもとにやってくる。かれはそのなかで手を、顔を、髪を洗い、その上で櫛を使い、そしてそのなかで鼻をかみ、唾を吐く。かれがそれを終えると娘は器を次のひとに回す。そのひとが同じようにすると、娘は家中のすべてのひとが用を済ますまで回していくのだ。みな鼻をかみ、唾を吐く、もちろん顔と髪も洗うのだ」

*4:テル・アル・ザータールは東ベイルートにあったパレスチナ難民キャンプで、その地域は伝統的にマロン派によって支配され、レバノン内戦の熱気のなか1976年8月12日に陥落した。Gilmour,"Lebanon; The Fractured Country" p140参照。「キャンプには少しの水しかなく、井戸のなかにある水は汚染されていた。8月の始めには数百人が死に、生存者のほとんどが赤痢にかかっていた……。しかしほとんどのキャンプの住人はそこに留まり、終わりを待った。8月12日、「虎」とファランジスト<マロン派民兵>が53日間の包囲のあと襲撃した。この最後の攻撃で千人以上が殺され、その直後に、さらに多くのひとびとが列をつくらされて射殺された」

*5:訳注;イブン・シーダ・デル・デニアは11世紀のアラブ時代のスペインの文献学者。アラブ―スペイン語の辞書を作成した

*6:イブン・シーダ「アル・ムカーム」から。語義を一義的に訳したのではなく、訳者が適切な語を選んだ<日本語訳においても同様>

*7:スミスによれば「1980年代終わりには、バシール・ジェマイエル、ピエールの末子、はジェマイエル一族の家長となり、すべてのマロン派民兵に対する支配を確立していた。ジェマイエルは長きにわたってイスラエルの指導者たちと接触を取り、かれの野心を実現することを望んでいた、かれの多くの部下たちは、イスラエルによる1976年のマロン派地域への侵略の時期とその後にも、イスラエルで集中的な訓練を受けた、レバノンにおいては、バシール・ジェマイエルはマロン派の宗教的権威をもって復帰し、いまや民兵集団によって自らもたらした王権的支配の中心にいる<"Palestine and The Arab-Israeli Conflict",p261>。ギルモアによれば「パレスチナ人の撤退が始まって2日後、バシール・ジェマイエルは64人の代理人をもって大統領に選出された。この一件はイスラエルの侵略の結果とは、PLOの撤退にほかならなかったということを示している。なぜならジェマイエルは通常なら、ファランジストとシャムーンの国家自由党からの20票かそこらしか得票することができないのだから<"Lebanon;The Fractured Country",p171>。

*8:訳注;レバノン生まれのアラブ世界を代表する女性歌手