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 マフムード・ダルウィーシュ氏が、8月9日米国ヒューストンにて、心臓手術の後、容態が悪化し亡くなられました。67歳でした。慎んで哀悼の念を捧げさせていただきます。

 翻訳の掲載は8月末から再開させていただく予定です。もうしばらくお待ちください。

 偉大な詩人を心から惜しみ、何とかこの日本語訳(英語からの重訳ではありますが)を完成させたいと思っております。

『忘却症のための記憶』(10)

それでも鳥は血の籠から立ち上がって、わたしにその約束を尋ねはじめる。「わたしは籠の中の開かれた場所にいるのですか?」

 わたしはベイルートを通り過ぎて、羽根でできた籠を見る。1980年のことだ。わたしの詩は挑発的で冷笑的だった。わたしはただのよそものになっていた。

  ――おれは間違いを犯したのか?
  ――ああ、いっぱい
  ――ここから出ていけ!
  ――戦争は終わったのか?
  ――征服者はみんな去った、そして故郷は生まれ変わったのさ
  ――どこへ戻ればいい?
  ――あんたの国へ
  ――おれの国ってどこだ?
  ――アラブ諸国の中さ
  ――で、パレスチナは?
  ――平和がかの女をのみこんだ

 わたしはただのよそものになっていた。パリで何をしたらいい?あなたがベイルートでそうするようにいつまでロンドンにいればいい?あなたがベイルートにとどまるかぎり。

  教えてくれ――ベイルートに何があった?
  かれは言う――強くなったのさ。
  わたしは尋ねる――アラブ主義がかの女に勝ったのか、それとも……?
  かれは言う――どちらでもないよ。この地域に吹く風が勝ったのさ、かの女は水の中の島でも砂漠のオアシスのそれでもなかったんだから。元にいたところへ帰れ、ここの街はおまえを拒否しているんだから。

 そしてわたしはただのよそものになっていた。

 いったい何度わたしの不平不満を抱いたことか――どうしてレバノンの故郷はパレスチナと置き換えできないのか?どうしてエジプトのパンの一斤はパレスチナと置き換えできないのか?どうしてシリアの屋根の一枚がパレスチナと置き換えできないのか?どうしてパレスチナパレスチナと置き換えできないのか?

 どれほどここでよそものの気分を味わったことか、1980年の春に!風が警告する、空港への道が警告する、そして海が何かを警告する。そしてわたしはただのよそものになっていた。

 壁の上で政府のプラカードが、殉教者の写真と、新しいハイウェイの道標の上に故郷と一緒に掲げられた言葉をいまでも齧っている。ベイルートはこの道を通ってきたのだ。わたしは、南からやってきた政府の身分証明証を食べてしまった少女を待っていた。そしてかの女が政府を称える歌を歌っているのに気づき、かの女を宴へと連れていくための装甲車を待っている。

 故郷とはこういうものか。

 ベイルートは王位に就いた、発明品の美と、雄弁と、ベイルートがこの道を通ってくるときに逆らった約束事とともに。四年戦争を照らしていた不均衡への帰還が、いまやありふれた野望となる。ベイルートはいま一度、それが逆らっていた故郷の言葉になった。そうだろ?そうだろ?そうだろう?そしていま、唐突に、平和が南部を統べた。流血の連なるパレスチナと結ばれた地域を別にして。平和が南部を統べるだろう、パレスチナさえなければ。

 わたしはベイルートが南部を思って泣くのを見た。わたしは知識人や政府が南部を思って泣くのを見た、ということだ。突然かれらはベイルートレバノンの首都であり、南部がレバノンに属していることを思い出したのだ。そしてわたしは、かれらが南部のことを、ジェット機がその場を焼き払っていた間は忘れていたということを覚えている。ハダッドランドが設立される前は、かれらはカフェやバーに腰かけ、ビールを飲みながらビアフラの苦難を嘆いていたのだ。*1この時期故郷という概念が、故郷には国境がないことを認めるイスラエル人たちを苛立たせていた。故郷とは義務を意味し、義務とは南部をイスラエルの戦車やジェット機から防衛することを意味したのだ。そして、故郷という概念の中に、家というものは必要なくなった。

  ――何か新しいことあったか、友だちよ?
  ――豪華な建物が南部からの難民でいっぱいさ。で難民は家賃を払わないんだ
  ――何が新しいんだよ、友だちよ?

 新しい痛みが古い痛みを押しやり、新しい問題が古い問題を追いやってしまう。そしてあなたはただのよそものだ。

 こんな問いかけが、古いものと古い故郷を新しいものに置き換えようとする新しい均衡を求めるベイルートの軽蔑を目覚めさせてしまう。海流は、自分がそこからやってきた貝殻を探し求め、そしてひとは信じるものを死んじる権利を持つ限りにおいてのみ、ひとを責める権利を持つ。かれらは、約束のための戦争が終わり、国家当局の建物の建設が始まったのだと声を荒げる。しかし、鏡はもう、ただその前にあるものを映し出すだけだ。

 そして、まさにこの空が籠になる。

   ==========

そのすべてを超えて、あなたは白くあらねばならぬ――自由と生命それ自体より大切な何かがあるとしたら。それは何だ?

 白さだ。

博物学者の語るところによれば、白貂という、美しい純白の毛皮を有する小獣がいるが、猟師たちはこれを捕まえるとき次のような策を用いるそうだ。つまり、まず白貂がよくやってくるところ、よく通る場所をたしかめて、そのあたりを泥でせきとめてしまう。そうした上で白貂をおびきだし、そちらの方へ追いつめる。すると泥に阻まれた白貂は立ち止まり、泥のなかに踏みこんで自分の白い体をけがすよりはと、猟師に捕まるがままになるという。言うまでもなく、毛皮の白さを、自由や生命よりも大切にしているからさ。*2

   ==========

 爆弾には孫がいるのか?わたしたちだ。

 榴散弾の破片には祖父母がいるのか?わたしたちだ。

 そして沈黙が、見物人の沈黙が、倦怠へと変わる。いつ英雄が砕くのだ?いつかれは砕くのか、驚嘆と日常の行ったり来たりに避け目を入れるのか?英雄的行為は、その場面があまりに長くなって最初の興奮が薄れていくとき、倦怠を招く。この英雄的行為それ自体の問題が、主義主張ややかましい声援に縛られることのない普通のひとびとの中にだけ残っている、人生の文脈における倦怠の源流に至るまで引き延ばされてきたのではないのか?倦怠の地点にまで押しやられることで、そしてアラブの指導者たちは英雄的行為の方に顔を向けつつ、悲惨さの理由を訴えることができるのだ――パレスチナ人には責任があるのだ。畑から小麦が消えたことに対して。宝石と牢獄を戴いた建築の繁栄に対して。農業に代わって、普通の市民ならば支払うのに人生を2度生きなくてはならないほどの負債の状態の重みに縛られ、個人的な消費に関する心配で体重を減らしてしまった新しい階級、新しい金持ちの腹以外の何ひとつ産み出すことのない産業への転換に対して、責任があるのだと。

 エジプトはこの至福の状態を試してきた。パンを約束する蜃気楼の平和がパレスチナという税から解放され、殉教者たちに家族の元への安全な帰還とソラマメよりもましな食事を約束し、華やかに彩られた婚約の日々が、新婚の巣を求める不可能な捜索が終わるまで引き延ばされ、そして飢えはますます飢えたものとなる。そしてサダトは「平和の代わりに何を得られるのだ?」と問うものをみな牢獄に送り込んだ、自分自身の護衛の階級の若者が、ファラオと平和と蜃気楼それ自体を撃つために向けられやってくるまでは。

 そしてほかのものたちはどうなのだ?かれらはかれらの提案を学び、サダトの演説者の演壇への情熱を投げ捨てて、忍耐強く整然と、アラブ人の胃をアメリカ人の申し分ない体調に結びつけることを求めている、既成事実としての平和を先送りにする。かれらはアラブ人の胃を、人質と、英雄的行為の主題に反対する武器と沈黙で宣戦された戦いに変えてしまった。そして、少々当惑しつつ、かれらはイスラエル人を待っている、すべてのひとの代表として。この英雄的行為の舞台を、そしてこの雄弁の新たな形の演壇を焼き払うために。英雄的行為は倦怠をも招くのだ。もう充分だ!そしてかれらはこの倦怠を売り買いするやり方をどれほど変えてしまったのか。未来の時を待つのだと唱えるものがいる、わたしたちに戦争か平和かの状況を規定する権利を保証する、外からやってくる魔法の杖の意図によって、力の均衡がわたしたちの望むようになる時を。別のものは、終末を急がせようと望み、アメリカの船から今すぐ無条件で去るように助言してくる。さらにわたしたちの劇場をあたかも自分たちのものであったかのように乗っ取ろうとして、わたしたちに集団自殺を図るよう促してくるものもいるのだ。

 もう充分だ!いつまでやつらは抵抗してるんだ?死ぬかベイルートから出ていくかしろ。いつまでやつらは、アメリカのテレビドラマを死体で中断させて、アラブ人の夕べを台無しにする気なんだ?いつまでやつらは休暇の季節のピークに、ワールドカップの時期に、戦いを続けて蛙のような醜い腹を膨らませるつもりなんだ?おれたちに受難と恥辱が回ってくる前にやつらを一掃しろ!この喜劇をやめさせろ!こうした上品な同情に威厳どけられた賢いひとびとは、この倦怠の舞台を描いた絵画にさえも深い興味を示す――「希望なんかないとかれらは気づく時だ。アラブ人からの希望なんてない――生きる価値などない国なのだ。指導者の幻想の中だけの国なのだ!これは負け戦で、かれらはその血をいつかのために取っておくべきなのだ」

 沈黙は、歴史の祝杯を空にするすべてのものによって玉座に就かされた。飾り立てられた馬が戦場に出るのは征服の季節だけだ。変わることのない話が言葉の疎外を待ち望み、わたしたちの背後に横たわる。変わることのない話が、弁士が演壇の玉座に登ってからというもの言葉の上に積み重なった錆をさらに重ねていく。変わることのない話が、切り離されて自分たちの間で争っているひとびとの話の上で届けられていった。この大きさで、かくも混沌に満ちたひとつの都市に、自分で別の名前をつけさせる時間を認める権利があるというのか?出来上がった絵の上に落書きをする権利があるというのか?よく囲まれた衝突の柵に近づき、敵の近隣という異なったルールを押しつける権利があるというのか?これこそがかれらの名前であり、かれらの題名「敵の近隣」。この場合は「ベイルートに死を!」というのが、従順の幾何学の外側に横たわった、この最後の通りの住所であるのだ。

 かれらは飽きた。飽きてしまった。待つということはずっと遠くへと行ってしまった、渇ききったアラビアのナツメヤシの木――集めたり貯めたるするより埋めてしまおうとする相続人の前に垂れ下がった――に成った熟れた果実にぶら下がる最後の意味の落下とともに。いつやつらはこの狂気を止めるのだ?いつやつらはいなくなるのだ?いつやつらは不明瞭な砂の向こうに消えていくのだ?やつらが倒れるときはおれたちが倒れるように、それはしかし健全な違いをもって?おれたちは玉座につまづく、やつらが棺につまづく間に、こだまする敗北から玉座へと直接向かおうとするときに。

 倦怠の小刻みな震えには、叡智とどこか似たところがある――わたしたち、そう、わたしたちは戦いの場所とその正解を決定するものなのだ、そしてわたしたちは苦難の時のさなかにしか武器を使うことはない。だれが苦難の時とはどんなものであるかなどと知るものか、そして苦難がこの快適な余暇の中にこそ棲まうものだということも。かれらはわたしたちよりも自分でよく分かっているのだ。怒りの湧き上がる街区や通りからそれはやってくるのだと。しかし何がひとびとを怒らせるのか?わたしたちはかれらの指導者をからかい、一方でかれらの冷淡さを許し、不治の病を治す希望それ自体を待ち望むことに病みつきになってしまっていたのだ。

 この大陸にはノーの言い方を知るものはだれもいないのか?だれもいない?だれも。

 国防大臣はシャンペンの泡を楽しんでいた、殺人者の仲間内で、テル・アル・ザータールの包囲が強化されたとの報せが飛び込んだ時に。ベイルートの包囲が強化された時には、かれらはどうやって楽しむのだろうか?かれらがプールを囲んでいる写真を見た――8月は暑くないのだろうか?そして、重装備で疲労困憊になった護衛兵が、膝まで垂れた笑みを安全に戻そうとして口をぽっかり開けているご主人さまたちの周りに集まっているのを見た。通行人の視線とベイルートの包囲から安全であるために。

 しかしわたしは、騒々しいアラブ人のデモによって、サッカーの試合で偏った判定をする審判に対して抗議の声を噴き出すほかのひとたちのようには、怒っているわけではない――サッカーが長きにわたるベイルートの抵抗以上に熱狂に火をつけるという理由だけではなく、ずっと抑えつけられてきたさまざまな源泉から噴出するアラブ人の胸中が、爆発することを許される地点をそこに見つけるからだ。*3サッカーの中にかれらは戦争の怒りを見いだす、物理的に国家を脅かすことのない戦争の――必ず休戦によって終わらねばならない45分間の士気の紛争、相手側で戦うときは(必要な士気と大衆の支持によってその兵器庫を満たして)隊列を組み直し、攻防戦を張り直し、国際社会で禁止された武器の使用を許可された国際部隊の監督下で戦いを再開する。戦場においてもどこにおいても厳格に管理されたこの限定された戦争は、そしてどちらの国の境界線をも侵すことなく終わる――エルサルバドルホンジュラスの間のような稀な場合を別にすれば。このケースでは国連安全保障理事会が国際的均衡を調整し、強制的に解決案を提出した。*4

 そしてわたしはサッカーを愛しているから、この対照にほかのひとがそうであるほどには怒りを覚えはしないのだ。ベイルートの包囲は、たったひとつのアラブ人によるデモさえかき立てはしなかった、一方でサッカーの試合についてならば、包囲の間にも多くのデモがあったというのに。なぜそういう場合ではないとでもいうのだろうか?サッカーは、支配者とアラブの民主主義――それは囚人と守衛を一緒に破壊すると脅してくるものなのだが――の牢獄の独房の中で支配されるものとの間の秘密の了解によって許された、表現の領域なのだ。ゲームは呼吸するための場所を表し、粉々になった故郷に、共有される何かをひとつに繋ぎ止める機会を許す、そしてその中で、双方のチームにとって、合意は境界線や関連する状況についてはっきりと定義されているのだ、たとえいかなる悪質なほのめかしが忍び込もうとも、そしていかなる抑圧された意味を観衆がゲームに投影しようとも。故郷は、あるいは精神の表明は、「他者」に対してその威厳と模範を保護している。武力の内部の取引に邪魔されることなく、観衆は政治の中で拒否された役割を担い、そこに形を与え、筋肉の知性とある終わり――ゴール――に向けて動き続ける選手たちの駆け引きにかれらを投影しているのだ。

 しかし国家の指導者は、自分自身を国家の精神の代弁者として指名し、勝利をかれの賢い規則とひとびとの意志とエネルギーを引き込む能力の結果として見るのだ。それはおそらく、かれが出来事を解釈するのに熟達した選手ではなく、国家の所有者でありその羊飼いであり、自分のポケットから金を出してスポーツを奨励するひとであるからだろう。しかしながら状況は引っくり返ったのだ、結果が欲し、望んだものから逸脱した時に――選手/故郷が「他者」の前に敗れた時に。このとき指導者は敗北の責任を否定する、そしてチームをあるいは伝統を、コーチを、選手/戦士の運の無さを、あるいは審判に代表される外部の力の持つ偏見をなじるだけなのだ。

 違う――敗北は単なるひとりの父以上のものだ。政治の世界では、敗北した指導者を責めるのはアラブの近代的伝統ではなかった。かれは大衆の前に出て憐みを請うだろう。そして大衆は、敵を出し抜くためにかれに玉座に留まっていてほしいとかれに頼むことで、かれを慰めるのだ。敵は何を望むというのか、指導者を引きずり降ろし、わたしたちをかれの存在の恵みから解放することのほかに?だからこそわたしたちに敵を打ち破らせ、敗れた指導者をわたしたちの死刑執行人として保つかのごときわたしたち自身に対する勝利を勝ち取らせよ。*5

 しかし一方で、サッカーでは状況が違う。ひとびとは選手やコーチや外国の審判に対して怒りを表明する力を持っているのだ。選手たちは国の誇りを裏切った、コーチのゲームプランが悪い、そして審判は偏向している。指導者についていえば、かれはどんな場合でも敗北について罵られることはない、なぜならかれはほかの、もっと大事な、何やかやで忙しいのだ。怒れる群集はいともたやすく街頭に出て、かれの写真を高く、とても高くに掲げ、その下に何らかの表現の自由を滑り込ませる。その自由は、望むのであれば西洋世界を呪うこともできる、国内での消費を高めるためのしぐさをつくるのと同じように。わたしたちが自由のために残してきたすべてのものが、これだ。その時わたしたちはそんなにたやすくそうさせていたのだろうか?わたしたちが快楽のために残してきたすべてのものが、これだ――だからこそ、わたしたちにこの良き存在の徴に対して拍手を送らせろ!国家はこのような熱狂の中に捕らえられている限り健康だ。サッカーの試合はもっと多くのことをわたしたちに教えてくれる。わたしたちに萎縮していない集団的な感情を伝え、いまもなお、倦怠で目覚めることのない街を、ゲームによって目覚めさせることを可能にするのだ。わたしたちの現在を通り過ぎたなにものかの中で、パレスチナ人は、特別な場所を占めることも、情熱と愛国的熱情を生成することもなかったのだろうか?すべてのことはかの女の名において、かの女のせいで、かの女のために行なわれてきたというのに?

 パレスチナ人の心に触れるあらゆるものが、アラブ人にとっても、悲しみや騒々しさや怒りとともに心に触れるものであった――ひとびとはこの集団的な心に下されるいかなる暴力のために指導者を打ち倒してきたのだ。しかし今は、支配者たちはひとびとを買収し、かれらにこの同意を諦めさせるために競い合う。アラブの軍事体制は、アラブ国家とその奴隷根性をなじるパレスチナ人の行動と理想に向けてはっきりと対峙しているのだ。パレスチナがなければ――想像の、架空の、達成不可能な、遅延する約束にあまりにも早く現れて「アラブの統一」を急ぎすぎる――パレスチナさえなければ、われわれにはもっと多くの自由と豪奢と快適があったのに。
このようにして公のアラブの主張が倦怠を抱かせるように放送される。しかしひとびとは知っているのだ、どうやって駆け引きをするか、どうやって出来事を読むか、そしてどうやって比喩的な言葉を解釈するかを。牢獄がパレスチナ解放のための条件などではない。そして「戦いの声を引き起こす声などない!」というスローガンが、たったひとつの声を押しつける――パレスチナはない、戦いはない、声はない。鞭よ永遠なれ!それゆえに、パンと自由の問題が解放という問いへと浸透し、アラブの支配者たちが、パレスチナをあからさまに禁止し、国立競技場の外へと閉め出し、アラブ国家の言論から社会状況への問いを排除することで、かれらのあいまいなゲームを裏切るまでは、かれらは無罪なのだと高く掲げる。

 サッカーが、以前はパレスチナが提供していたはけ口を提供している。その時は街が怒りに包まれるままにする、そして退屈を呼び起こすことのないゲームの中に抑圧された疑問をこっそり運び出させるままにして、支配者が競技場の門を閉めり機会を与えるのだ。

 ひとつの沈黙が、いままですべての立場とすべての色をふたつに裂くことのできたひとびとの幻想によって飾り立てられていた。

 ひとつの沈黙が、いまだに救出を待つことのできるひとびとの幻想によって飾り立てられていた。

 ひとつの沈黙が、外からの待ち望まれた希望によって金メッキされていた。外側から流れ出す革命のレトリックを導くかれらの沈黙――慎重に管理され、深く根づいたおべっかのレトリック、それが街と首都との役割を交換し、その街の名前において他の首都を告発する、自分たちの首都(極めて限定された知識だ)については免除しているというのに。ひとつの首都に絶対的な悪を、そしてもうひとつの首都の絶対的な善を割り当てるこのレトリックは、必要な時はいつでも、ほかの首都を自分たちのものとして代用する、首都と同義のものである革命的な奔出を立ち上げさせることもないまま。

 首都をあらしめよ!資本をあらしめよ!*6

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 なぜ偶像はこんなに揺れているのだ?なぜ揺れる?
 それは、実際とは反対のことを言うだろう。それは、それが包まれている沈黙とは反対のことを口にするだろう。
 それは続けていくだろう、始まりのレッスンを繰り返していくだろう。
 それは事実を栄光に満たすだろう、歴史――殺戮と拷問とともにある――が予言に満ち溢れているという事実を。そう言わなかったか?
 しかし、あなたは何も言わなかった、偶像閣下。
 かれは政権の地位に滑り込む、反体制であるために――そして、かれは反体制に滑り込む、政権の地位を得るために。かれは、別の権威のために権威と戦う。そして、かれはこんなにも絶対的な追随者であるのに、かれには自分の追随者がいない。
 あなたの時間だ、偶像閣下。永遠に偶像であるために何かを言えばいい。
 かれは何かほかのことを言うだろう、何かほかのことを言ったあとに。
 かれはベイルートから追い出されることを承諾しないというだろう。
 かれはわたしたちに、そう言うだろう。
 しかし、かれは何も言ってはいない。
 どうしてわたしは10回も「偶像」に会うのだろう。どうして「偶像」を見るのだろう?*7

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*1:「ハダッドランド」とは、レバノン南部に反政府系レバノン軍指揮官であるサード・ハダッド市長の管理下でイスラエルが設置した、1978年の撤退以降のいわゆる安全地帯であった。本書における南部からの難民に対する繰り返される言及は、この侵略のことを指している。デイヴィッド・ギルモア<1983、149ページ>によれば、生み出された「大量の難民の数は、25万人もの家のない人々を生んだと国連ははじき出している。その多くはすでに2度家を失なう経験をしたシーア派住民である。1回目は70年代初頭のイスラエルによる侵攻でベイルートへの移動を強いられ、再び南部における内戦で、本来の家に戻ることが安全のためだと説き伏せられていたのだ」

*2:セルバンテスドン・キホーテ」――『愚かな物好きの話』から。英訳J.M.Cohenp.290。日本語訳は「ドン・キホーテ 前編<二>」牛島信明訳、岩波文庫、2001、324-325ページ

*3:1982年、ベイルートの包囲中、アルジェリア代表がワールドカップの準決勝に進出し、ドイツに敗れた。この敗退は、審判の偏った判定によるものだとみなされ、アラブ諸国の首都では大規模なデモが行われた――これはおそらく英訳者の勘違いによる記述である。アルジェリア代表は1982年のスペイン・ワールドカップに出場し、第1ラウンド・グループBで西ドイツと対戦し勝利している。その後オーストリアに敗戦し、勝ち点で並びながら得失点差によって予選敗退した。判定をめぐるデモはおそらくオーストリア戦の後のものと思われる

*4:訳注;1969年のいわゆる「サッカー戦争」のことか。実際の調停にあたったのは国連安保理ではなく、米州機構だった

*5:この段落において参照されているのは、ガマル・アブデル・ナセルのことであろう。そのアラブ連盟に関する理想と世俗的アラブ民族主義を、ダルウィーシュは本書のあらゆるところで称えている。ナセルは1967年の敗北の後辞任したが、大衆は大規模なデモをもってかれを支えた。後に噂になったところでは<ダルウィーシュがここでほのめかしているように>、アラブ諸国は実際のところはこの戦争で負けたわけではない、なぜならイスラエルの目的はナセル大統領を引きずり下ろすことにあったので、ナセルが倒れていない限りは、この戦争は実際には負けではなかった、とのことである

*6:訳注;英語における"capital"という言葉には、首都、資本、大文字という意味がある。おそらくこの段落において英訳者はそのあらゆる意味において読まれることを想定しているが、日本語ではそれぞれ別の言葉となるため、その含意を翻訳することは難しい。「首都/資本/大文字」と訳すことは簡単ではあるが、それでは文学の文章としては成立しない。ゆえにこの日本語訳では、「街」との対比からとりあえず「首都」という訳語を採用し、最後の1行のみそれを「資本」と置き換えた

*7:「偶像」とは明らかにパレスチナ指導部の最高権力者のことであろう

『忘却症のための記憶』(9)

 真空爆弾。ヒロシマジェット機での人狩り。ベルリンでナチ兵士によって征服された残りのもの。ベギンとネブカドネザルの個人的紛争の火花。見出しは過去と現在がごちゃまぜになり、そして現在を急かすように駆り立てる。未来はくじになって売られている。ギリシア人の運命が若者たちに待つようにと言って乗しかかる。公の歴史は所有者を持たず、それを受け継ぎたいと望むあらゆるひとに開かれている。この日に、ヒロシマの記念日に、かれらは真空爆弾をわたしたちの肉体の上で試し、その実験は成功したのだ。

 わたしがヒロシマについて記憶していることは、アメリカ人がその名前を忘れようとしているということ、わたしはヒロシマを知っている。わたしは9年前にそこへ行った。その街のある広場で、その記憶を語っていた。だれがヒロシマがここにあったという形でヒロシマを記憶しているのだろうか?日本語の通訳が「ヒロシマ・モナムール*1という映画を見たことがあるかと聞いてきた。「わたしはソドムから来た女性だって愛することができますよ、愛するにせよ遊ぶにせよね。かの女の護衛が窓越しにわたしを殺そうとしたってその女性を愛せますよ」。「意味が分かりません」、かの女が言った。「私的な空想ですよ」、わたしは言った。「で、ヒロシマはどこですか?」「ヒロシマはここです」、かの女が答えた、「あなたはいまヒロシマにいるのですよ」。「わからない」、わたしは答えた。「どうしてその名前が花で覆われているのですか?アメリカ人のパイロットがここに来て泣いたのですか?かれはボタンを押し、雲以外は何も見なかった。しかしかれは後で写真を見て、泣いた」。「人生ってそういうものでしょう」、かの女は言う。「でもアメリカは泣かなかった」、わたしは言った、「自分に腹を立てたわけじゃない、パワーバランスとやらに腹を立てさせられたんだ」。

 ヒロシマは明日。ヒロシマは明日だ。

 犯罪の記念館には殺人者の名を示すものは何もなかった――「飛行機が太平洋上の基地からやって来た」。これが慣れ合いとかへり下りとかいうものか。被害者たちは、名を必要としない。葉の落ちきった裸の人骨。骨でできた枝、形だけの。形式、そう形式だけの。数本の髪の毛が、ひとりの女性がそこにいたことを示す。壁の銘文が死の階層を解説する――燃やされ、燻され、毒をもられ、放射能を浴び。より世界的な殺人の予習。終末への準備。今日ではヒロシマ級爆弾の破壊力は原始的な核兵器とみなされるだろう。しかしそれは世界の終わりのシナリオを書くための科学的想像力を有効にしたのだ――巨大な爆発、巨人のような爆発、それが、山と涸れ谷と草原と砂漠と海と坂と湖と襞と岩と、詩的賛辞と宗教的儀式によって称えられた地上のあらゆる美しき多様性という地球上の組織立った混沌をもって、この惑星を初期段階の情報へと戻す。巨大な爆発の後、壮大な火が燃え上がり、あらゆるものを食い尽す――人間、木、石、あらゆる燃えるもの――そして立ち上る暗い煙は何日にもわたって太陽にしみをつけるだろう、空が黒い雨の涙を流すまでは、あらゆる生きるものへの毒となる核の雨の涙を流すまでは。そして地球は冷えていく、氷河期を迎える。いまの時代から氷河期への急速な移行の中では、ネズミとある種の昆虫くらいしか生き残れない。ある朝ネズミが目覚めると、かれは地球上を支配する人間になっていることに気づく。カフカが引っくり返ったのだ。そしてわたしは問う――どっちが残酷だ?人間が目覚めたとき巨大な昆虫になっているのに気づくのと、昆虫が目覚めたときに、原子爆弾をサッカーボールを扱うかのようにもてあそぶ人間になっているのに気づくのとでは?

   ==========

 ベイルートの空は暗く敷きつめられた金属のドーム。すべてを覆いつくされた真昼が片隅までも広がっていく。地平線は澄んだ灰色の粘板岩のように、何の色もないままジェット機が遊ぶのを手助けしている。ヒロシマの空だ。もし望むのならば、わたしはチョークを手に、この岩の上にあらゆる願いを書くことができるだろう。出来心がわたしを捕えて、高い建物の屋上に上ったら何と書こう?「やつらを通すな」?これはもう言った。「死は眼前にある。されど故国よ永遠なれ」?さっき言った。「ヒロシマ」?これももう言った。わたしの記憶と指先から滑り出す文字たち。アルファベットは忘れてしまった。わたしが覚えているのはこの6文字だけ――B-E-I-R-U-T。

   ==========

34年前、わたしはベイルートにやってきた。そのときわたしは6歳だった。かれらはわたしの頭に帽子を被せて、アル・ブルジ広場に置き去りにした。路面電車があった、わたしは路面電車に乗った。2本の平行する鉄の線の上をそれは走った、前へと動いた。わたしはこの大きくうるさいおもちゃが何で動くのか分からなかった――鉄の線が地面に敷かれ車輪がその上を回るのだ。わたしは路面電車の窓から外を見た。多くの建物と多くの窓を見た、多くの目に注視されながら。多くの木を見た。路面電車は動く、建物が動く、そして木も動く。路面電車が動くにつれて、周囲のあらゆるものが動いていた。路面電車は、わたしは帽子を被らされた場所に戻ってきた。祖父が慌ててわたしを引っぱった。かれはわたしを車に乗せ、そしてわたしたちはダムールに行った。ダムールはベイルートよりも小さく、もっと美しい街だった、海に大きく開けていたから。でもそこには路面電車がなかった。路面電車に連れてって!そしてかれらはわたしを路面電車に連れていった。わたしは海とバナナ農園のほかにはダムールのことを覚えていない。バナナの葉って何て大きいんだ!何てでかいんだ!そして赤い花が家の壁をよじ上っていた。

 10年前、ベイルートに戻ってきたとき、わたしが最初にやったことはタクシーをつかまえて、運転手にこう告げることだった――「ダムールに行ってくれ」。わたしはカイロからやってきて、少年の小さな足跡を探していた、以前のかれよりも大きな足取りで、年齢を保つこともなく、その歩幅よりも大きくなってしまった男の。わたしは何を探しているんだろう?足跡、それとも少年?それとも、まるでカヴァフィス*2がイタカを見つけられなかったように、それは見つからないのだと告げるためだけに、険しい山を越えてきたひとびと?海はそこにあった。もっと大きくなろうとしてダムールに押し寄せながら。そしてわたしは大きくなった。わたしはどこかに置き去りにして忘れてしまった、かつてかれの中にいた少年を探す詩人になった。詩人は年をとり、そして忘れられた少年に成長することを許そうとはしなかった。ここでわたしは最初の印象を収穫し、そしてここでわたしは最初のレッスンを受けた。果樹園の持ち主だった女性が、ここでわたしにキスをした。そしてわたしは、ここで最初のバラを盗んだ。ここでわたしの祖父は、新聞に帰還が発表されることを待っていた。しかしそれはついになかった。

 わたしたちはガリレーの村からやってきた。わたしたちは不潔なアーメシュの池の側で一夜を明かした、豚や牛の隣で。翌朝、わたしたちは北へ向かった。タイレでクワの実を摘んだ。そしてわたしたちの旅はジェジンで終わりを迎えた。わたしはそれまで雪を見たことがなかった。ジェジンは雪の農園だった、そして滝もあった。わたしはそれまで滝を見たことがなかった。そしてわたしはリンゴが枝にぶら下がっていることを知らなかった――箱に入って大きくなると思っていたのだ。これがほしい。あれがほしい。>わたしはそのリンゴを、山の麓から流れ出し、赤い瓦を戴いた小さな家の間の水路となる小川で洗った。冬になうと、身を切るような風の冷たさに耐えかねて、ダムールに移った。太陽は時自身から時を奪い、海は、夜になって夜の叫びを上げるまで、恋する女性の体のようにのたうっていた。

 少年は家族の元へと戻った、そこへ、遠くへ、その距離では、遠くにあるそこが見つからなかった。わたしの祖父は、柵の向こうの投獄された土地に視線を投げかけたまま死んだ。その表皮が、小麦とゴマとトウモロコシとスイカとメロンから、固いリンゴに変えられてしまった土地を。わたしの祖父は夕日と、季節と、心臓の鼓動をその皺がれた指で数えながら死んだ。かれはその齢に抗って枝に寄りかかることを禁じられた果実のように落ちた。かれらはかれの心を砕いた。かれはここで、ダムールで、待つことに疲れ果てた。かれは友人に、水パイプに、子どもたちに別れを告げ、わたしを連れて、もうそこでは見つかることのないものを探しに戻った。ここは異邦人の数が増えた、難民キャンプはさらに大きくなった。*3戦争が来ては去った、それから二つ、三つ、そして四つ。故郷はさらに遠く、遠くなり、子どもたちはUNRWAの粉ミルクを味わってからというもの、母乳から遠く、遠くへ行ってしまった。だからかれらは銃を買い、かれらの手の届くところから飛び去った故郷に近づこうとするのだ。かれらは、かれらのアイデンティティを存在の中へ、再―生された故郷へと戻し、そしてかれらの細道をたどる、それは内戦の防衛隊によって塞がれてしまうだけなのに。かれらは自分たちの歩みを守った。しかしそのとき細道は細道によって区切られてしまい、孤児は孤児の肌の中に住みつき、そしてひとつの難民キャンプがまた別のキャンプの中に入った。

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わたしには、ダムールの岩に自分の名前を刻むことなどできない、たとえそれが狙撃手によるわたしの人生の意匠として本のカバーに使われていたとしても。できない。そう、できはしない。だからこの写真家を岩の上からどけてくれ。この手の話をいまもそこにある海から遠ざけてくれ。わたしには、バナナの木のてっぺんからぶら下がるわれらの殉教者の死体の肩に幕を掲げることなどできない。そう、できない。「戦争は戦争だ」というのはわたしの言葉じゃない。ダムールでわたしは詩を読まなかった。「難民キャンプを切り離していくものに対して何ができた?」というのはわたしの疑問じゃない。わたしは、何であれダムールの岩に自分の名前を刻むことに興味はない、わたしは少年を探しているのだから、故郷ではなくて。*4

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ダムールの瓦礫の中で、殉教者の子どもたちとテル・アル・ザータールの生存者たちは、移動する避難所の連鎖の中のまた別の難民を見いだす。かれらは、かれらの疲弊と、失望と、ナイフが切り離すことを忘れてしまった体の一部を携えてダムールにやってきた。かれらは風に開かれた1平方メートルの眠れる場所と、愛国の歌を探しにやってきた。しかしこの原始的な短剣は忘れてしまったいた、この人間の継続性への砲撃を止めようとはしない戦闘機によって終わらされてしまったということを。すべての手本はどこにある?どこだ?虐殺から殺戮に至るまで、わたしたちのすべての人民を率い、そして今もなお子孫たちをガラクタの吹きだまる場所に押し込め、Vサインをかざし、結婚の祝宴の準備をするものは。

 爆弾には孫がいるのか?わたしたちだ。
 榴散弾の破片には祖父母がいるのか?わたしたちだ。

 10年にわたってわたしは、セメントの儚さの中にあるベイルートに住んできた。わたしはベイルートを解きほぐそうとした、そしてわたしは、ますます自分に対して無知になった。それは都市なのか、それとも仮面?追放者の場所か、それとも歌か?何と速く終わってしまうのだろう?そして何と速く始まってしまうのだろう?裏側もまた真実なのだ。

 ほかの都市では、記憶は1枚の紙に安らぐ。あなたはただ座って何かを待っていればいい、白い虚空の中で、そして過ぎ去った観念があなたに降り立ってくるだろう。それを、逃げられないように、つかまえる、そして日々が巡るにつれ、またあなたはそれに出くわす、あなたはその源泉を認め、贈り物をくれた都市に感謝する。しかしベイルートでは、あなたは流され、追い散らされる。器になるものといえば水それ自体だけだ。記憶は都市の混沌の形を想定し、あなたが以前出かけた言葉を忘れさせる演説をぶつ。

 あなたがベイルートを美しいと認めることは、まずないだろう。
 あなたがベイルートで内容と形式を区別することは、まずないだろう。
 それは新しくはない、そして古くもない。

 かれらが、「それ好き?」と尋ねてくるとき、あなたはその質問に驚き、自問する。「どうして注意を払わなかったんだろう?わたしはそれが好きなのか?」。その時、あなたは適切な感覚を探そうとして、そして疼きによって目が眩み、朦朧となる。ベイルートでは、あなたはそんなふうに自分を鼓舞する必要など、まずないのだ――そこではあなたは何の証拠も必要としないし、何の証明も必要としないから。そしれあなたは思い起こす、カイロだったらこの質問には、ただバルコニーに出ていって、ナイル川が今もそこにあるかを確かめればいいのだと。ナイル川を見たら、あなたはカイロにいるということだ。しかしここでは銃弾の音が、あなたがベイルートにいるのだということを告げる。銃弾の音と壁のスローガンの金切り声が。

 それは都市なのか、それとも何の見込みもないまま投げ出されたアラブの通りの難民キャンプなのか?それは何か他のものと一緒くたになっているのか?状況が、思考が、状態の変化が、テキストから生まれる花が、想像を落ち着かせることのない若い女性が。

 それが、誰ひとりとしてベイルートの歌を作曲することができなかった理由なのか?
 簡単なことじゃないか!

 たとえどんなにかの女が、言葉と、たとえ同じ歩格と押韻でも、組み合わされることに抵抗したとしても――ベイルートヤクート、タブート――「ベイルートサファイア、棺!」

 それともかの女が自分のことを気楽な通りすがりだと見なしているからといって、だれがかの女をかれの個人的な歓びだなどと思うものか?そのひとびとと名を忘れられたものたちが、他者に出合う驚きを奪われただけのことだ。

 わたしはベイルートを知らない、そしてかの女を愛しているのか、いないのかも分からない。

 政治的難民にとっては、取り替えも置き換えもできない椅子がそこにあるのだ。あるいは、もっと正確を期すのなら、その椅子には、取り替えることのできないひとりの政治的難民がそこにいるのだ。

 難民の商人にとっては、アラブの貧乏人に何かを約束する、そして二度とこちらに吹くことのない五分の風を発見する機会がそこにある。

 かれの国が極めて限定されてしまった、あるいはそのことに疲弊してしまった作家にとっては、どの前線で自分が戦っているのかを知らぬままに、自分の自由を信じる自由がそこにある。

 元・詩人にとっては、ピストルと護衛と、それから金を掴む可能性がそこにある。それでギャングのリーダーになって、ここで批評家を1人殺し、そこで別の1人を買収する。

 伝統的な若い女性にとっては、空港の出発口ランプの上のハンドバッグにヴェールを隠し、それから恋人のホテルの一室に隠れる可能性がそこにある。

 密輸業者には密輸するための。
 貧乏人にはますます貧乏になるための。

 ベイルートを訪れるすべてのひとは、自分だけの特別な都市を見つける、そしてわたしたちには分からない――だれが分かるものか――こうしたすべての都市の広大さがベイルートという都市をつくり上げ、そこではかれらの記憶や個人的関心が終わってしまったとかれらが泣くことで、泣くべきひとたちが泣くことをしないのだということが。

 たぶんこのやり方で――アラブ人が自分の国ではなくなってしまった何かを探しにやってくるやり方――この正反対のものが出合う場所が曖昧な名付けへと、あるいはそれを使って息づこうとするひとびとや殺し屋や犠牲者たちが混ぜこぜになった肺へと変わっていった。これこそベイルートが唯一性と特殊性とを祝う歌となる意味だ。多くはない数の恋人たちが、かれらは本当にベイルートに生きているのか、それともかれらの夢の中に生きているのかと尋ねてくる場所で。

 ベイルートについて、誰もかの女を知らない。そしてたぶん誰もかの女を探してはいない。そしてたぶん、たぶん、かの女はそこにいさえしない。戦争の中でだけ、誰もが誰も知らないかの女に気づいた。そしてベイルート自身が、かの女はひとつの都市ではなく、ひとつの故郷でもなく、あるいは隣り合った国々の出合う場所でもないと気づいたのだ――ひとつの窓と向かい合ったもうひとつの窓の間の距離が、わたしたちとワシントンのそれよりも大きいことがありえるのだと。そして1本の通りと別の平行する通りとの共倒れの争いが、シオニストとアラブ民族主義者との間よりも緊張に溢れることがありうるのだと。

 戦争の中でだけ、戦士たちはベイルートとともにベイルートの平和を迎えることは不可能だと気づくのだ。

 そして休戦の中でだけ、戦士たちと監視人たちは、戦争に終わりがないこと、そして勝利――敗北の均衡の外側での――が不可能だと気づくのだ。

 おそらく誰もが、ベイルートにはベイルートがないことに気づいている――この石の上に座った女性はひまわりのようにかの女に属していないものを追いかける。恋人たちも宿敵たちも同様に偽りの外見の周囲に引きずり集め、時にはかれらと共にあり、あるいは敵対し、また別の時にはかれらと共になく、敵対もしない。

 それは未だ形となっていない形のための形なのだ、その中にある戦争――その周囲にという意味だ――は今、勝利し、今、敗北するのだから。なぜならば、不変のものは変わるものであり、そして永続するものはつかの間のものであるのだから。

 あるいは波をつかまえる。ラウシュの岩の上に置き、壊す。あなたが見つけるものは、あなたの手が始まりも終わりもない魔法のゲームの中に沈んでいくであろうということだけ。

 質問 それは鏡なのですか?
 回答 波が岩に適おうとする限りでは。
 質問 それは道なのですか?
 回答 詩が通りであろうとする限りでは。
 質問 それは嘘をついているのですか?
 回答 信じられないものを信じようとするときは。

 長い戦争の間、かの女をはっきりと見分けることができた。流血と銃火の向こうに、それらの顔が、鏡に反射するそれとして、それまでに見せたことのないような、そしてそれらの反射の源をも変えてしまうようなものとして見えてくると、その時のわたしには思えたのだ。ベイルートが、水上のあるいは砂漠の真ん中の島であるかのように、わたしには思えたのだ。部族が火の踊る周りに輪をつくり、故郷へと向かう部族の隊列に向けて忠誠を誓うかのように。故郷の観念が国家の観念の一部へと変わり、国家がその実存の自己―証明的状態を発見するように、まるで誰が、あるいはどこが敵であると知るかのごとく。この殉教者たちが、この新しい言葉が、そしてこの巨大な灰の集積が、わたしたちのために少なくとも徴をつくり出しているかのように、わたしには思えたのだ。変化が始まり、地域主義の殻が砕け、そして真珠が、真髄が、自ら現れると思えたのだ。

 そう、その時、わたしにはそう思えたのだ。
 そう、わたしにはそう思えたのだ。

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*1:アラン・レネ監督作品「二十四時間の情事

*2:訳注;カヴァフィスは、コンスタンチヌ・P・カヴァフィス<1863-1933>、ギリシャの詩人。「イタカ」はオデュッセイアに範をとったかれの代表作。邦訳は「カヴァフィス全詩集」中井久夫訳、みすず書房、1991がある

*3:難民について、デイヴィッド・ギルモアは"Disposessed: The Ordeal of The Palestinians<「持たぬもの パレスチナ人の試練」、London: Sphere Books,1982>の74ページでこう述べている。「難民の正確な数は、いまだに確定されていない。国連経済調査団の報告では726000人とされ、国連パレスチナ調停委員会難民事務局は900000人としている。実際はこの間のどこかの数字となるであろう。1948年の冬、戦闘の終了にともない、おそらく800000人近いパレスチナ人が家を失なった……。かれらは数週間、悪くとも数カ月で帰宅を許されると期待していた」。スミスは"Palestine And The Israel Conflict"<「パレスチナイスラエルの紛争」>の154ページで、本作で言及された時点での難民の状況を以下のように述べている。「パレスチナのアラブ人は、以前の故郷から離れて暮らし、今は難民として、公式の同情と非公式の疑念を受けている、それはかれらが定着したほとんどの国でかれらの孤立を招くことになった。追放中のパレスチナのアラブ人の大部分は、1956年には500000人以上、ヨルダンに住み……200000人近くが、エジプトの支配下にあるガザ地区に押し込まれ、移動を制限された。1956年には100000人近かったレバノンへの難民は、市民権を恵まれることもなかった、キリスト教マロン派を指導するエリートたちが多くのムスリムを人口に加えることを恐れたためであった」

*4:テル・アル・ザータール難民キャンプの陥落後<4回の注4>、海岸都市ダムールはパレスチナ武装勢力の手に落ちた。ダルウィーシュはここで、ダムール占拠の正当化<「戦争は戦争だ」>、支配の簒奪<指導者たちはかれらの写真を撮らせた>、かれらが犯した残虐行為<死体がバナナの木からぶら下がる>を厳しく批判している

『忘却症のための記憶』(8)

この1時間ほど、わたしは友人Zと言葉を交わしていない。かれはあてもなく車をぐるぐると走らせている。「どこにいるんだ?」。わたしたちは互いに尋ねあった。「どこにいたかは知ってるよ」。わたしは言う。「本当のことを教えろ。パイロットの奥さんに何か乱暴なことをしたんだって?」。かれは唸った。「どうして知ってるんだ?」「おれも同じようなことをずっとやってきたからな」。わたしは言う。「だから死がおれたちをどこに連れてくかは分かってるのさ」

  「メシの時間だな」、かれは言う。
  「またサーディンか?」、わたしは尋ねる。
  「何でもいいよ」、かれは答える。

 この何でもが、ただの何でもではなくなった。突然かれは車を止めて叫ぶ――ラム肉がぶらさがってるぞ!わたしたちはコモドア通りの入口にいた。ラウシュに通じる道だ。わたしたちはこの肉屋を知っている。肉屋らしくない――どちらかといえば葬儀屋――のような男だ。写真に映るためだったら、どんな葬儀でだって、どんな指導者らしい面にもなれる男だ。「パレスチナ人現象ってのは何て逆説に満ちてるんだ!」。わたしは言う。「芝居を書いてなかったのは幸運だったよ。で、この絵面の裏側を見せなきゃいけないな。作家の目ってのが指導者たちの耳と同じようにネガティヴだってことがわかったかい?連中はここにある傷ついた逆説に、ここにある中傷に魅せられてるんだ。中傷はおれたちの荒廃しきった政治的生活の中に広まってる、インフレの友として、ぶくぶくと包丁した体で、問いかけへの関心だけは縮小させて。オフィスは全部開いてるぞ、エアコンも全開だ、だけど中傷と広まった噂を店頭にずらりと並べてるだけさ。それで殉教者の商売はその中の小さな派閥相手に花盛りだ。『リストにあと20人の殉教者の名前がいるんだけど、派は分からないが武装した殉教者の小競り合いがあったって、別の派では友だちを撃つのを拒んだ戦士の処刑があったと、で、その死体は女占い師が見つけるまでは、使われてない井戸に捨てられてたと、それで……』」

 Zが話に割り込む。「今夜カメラと影のゲームを見せてやるよ」
 「興味ないよ」、わたしは言う。
 「どこで食おうか?」、かれが聞いてくる。「炭がいるし、どこかそこそこ安全な建物もな」

 わたしたちはジェット機に汚されていない、澄んだ青い空に気絶させられそうだ。この1分間、ジェット機は飛んではいない、疲れてしまったのか?

 安全らしきビルの安全らしき部屋は腹を空かせたひとびとで溢れていた。避難所からこぼれ出てきたのだ。ジェット機がいない!ジェット機がいない!そのなかのひとりが叫んだ「バフチンの本はどこだ!」。もうひとりが答える。「この部屋に住んでた評論家が持って逃げちゃったよ」。だれかがかれを貶めようとする。ほかのだれかが言う。「もう充分だ!マルクス主義とか言語学とかに興味のある生きたパレスチナ人が必要なんだとさ」。中傷を始めるにはいいきっかけだと考えたのか、ジェット機の嵐がわたしたちの上を通ったのはともかくとして、わたしたちは通りに散らばって、不在の評論家の評判を拾い集めていた。

 腹の鳴るような音――今まで聞いたことのなかったほどの。低く、遠く、深く、そして秘密めいた、まるで地球の腹から鳴っているような、審判の日の音のように恐しげな。わたしたちすべてが――殺人的音響学の権威にでもなったかのように、通常を越えた何かが、この通常でない戦争の中で起こったのだと感じている。新しい兵器が試されたのだ。この長い一日はいつ終わるのか?それが終わるとき、わたしたちは生きているのか死んでいるのか分かるのだろうか?

 肉を運んできた男が言う。「この脚どうする?」。わたしたちはみな、その貪欲な質問を無視した。しかしかれは間抜けにも同じ問いを続ける、わたしたちが切り取られた部分を集めるための助けとなる何かを探すのに忙しいというのに。かれはわたしが言うまで問い続ける。「この肉を一番近い避難所に持ってって、穴でも掘って、そこでヤッてろ。で。そいつと一緒に終わっちまえ!」

 しかしこの遠くから響く腹の鳴りはわたしたちを古代の恐怖――深く未開のジャングルから呼び出される恐怖――の中でかき乱す。Zとわたしは歩き続ける、わたしたちの恐怖に導かれて。サナヤ庭園の近くの光景は審判の日からのもののようであった。何百もの怯えたひとびとが巨大な石棺の周囲に集っている。不安げな沈黙が、あらゆる色の灰によって覆われた太陽の下で金属の重みを運ぶ。わたしたちは人混みの中に滑り込む、ぎっしると連なった肩の向こうを覗こうと場所を探す、人間の柵が恐怖や怒りとともにそこにあった。そしてわあいたちは見る――ビルディングが大地に呑み込まれていたのを。人間が地球上に月と太陽と奈落の底以外の何ものも見ることのないように作り出し、わたしたちが忘れてしまった終末へと手を伸ばすことのほかには、歩くことも読むことも手を使うことも学ばなかったかのごとく、人間性を覗きこまれた底なしの穴へと押しやってしまう、世界を待ち伏せして横たわっている宇宙的怪物の手に掴まれてしまい、あとはただこの喜劇を正当化し、始まりと終わりを結びつける何かを探し続け、わたしたちが唯一の真実から除外されているのだと想像させられてしまうのだ。

 このものの名は何だ?

 真空爆弾。*1それは目標下を全滅させる完全な空虚をつくりだし、建物を倒壊させ埋められた墓場へと変貌させる真空状態の吸引をもたらす。それ以上でもそれ以下でもない。その場所に、その下に、新しい領域下に、形はそのままに保ったままで。建物の住民たちは以前の形を保ったまま、さまざまな最期の形を迎える、窒息して、身振りして。そこで、その下で、その一瞬前がどのようなものであれ、かれらは別れを告げる間もなく肉でできた彫刻に姿を変えてしまう。眠っていたひとは眠ったまま。コーヒーを運んでいたひとは運んだまま。窓を開けていたひとは開けたまま。母親の乳そ吸っていたひとは吸ったまま。女房に乗っかっていたひとは乗っかったまま。ただ、たまたま屋根の上にいたひとは、服を埃だらけにしてエレベーターを使わずに通りに下りることになる。建物が地面と同じ高さになってしまうから。そういうわけで鳥たちは助かる、籠を屋根に乗っけているから。

 しかしなぜやつらはこんなことをしたのだ?最高司令官はそこにいた、しかしもう去っていた。でも本当にかれは去っていたのか?わたしたちの不安な問いが代々にわたってかれに向けられる。わたしたちには問いかけを問う時間はなかった。かれはそこにいたのだ。だからどうした?それでやつらに100人ものひとびとを抹殺する権利が与えられたとでも言うのか?

 もうひとつの疑問が頭をよぎる。かれは本当にジェット機や真空爆弾のような最新兵器による度重なる暗殺の企てを乗り切って生き延びてきたのだろうか?昨日、かれはアメリカのカメラの前でチェスをした、そしてベギンを気違いじみた過剰へと追い込み、かれの政治的濫用の土台を奪い、人種差別主義者との罵声の中へと追いやった――「このパレスチナ人どもは人間ではない、4本の脚で歩く獣だ」。かれはわたしたちを殺すことを正当化するために、わたしたちの人間性を剥ぎ取った。動物を殺すことは――犬であろうとも――欧米の法律では許されていないというのに。ベギンはかれの狂気と歴史を繰り返したのだ、かれはかれの兵士を、獣の狩人たちをサファリの狩場へと送った。しかし数千の叫びによって持ち上げられた数百の棺が、かれの顔に投げつけられる。「いったいいつまでだ?」。わたしたちは人間ではない、かれがアラブの首都を占領していることをわたしたちが許さないから。そしてかれは信じようとはしない、ただの人間がかれの「伝説」を止め、あらゆる価値とあらゆる人間性への罪を裁く法廷へと呼び出したことを、あらゆる時間と場所における絶対的かつ永遠の法廷へと。ゆえにかれは、かれに抵抗するひとびとを人間ではない何かに変えてしまわなくてはならなかった、かれの信じる「伝説」が尋ねうるすべての問いかけに対して窓を閉ざしてしまったあとでは。「だれが本当の獣だ?」かれがディル・ヤシンで全滅させたひとびとの幽霊――かれが時間と場所から姿を消してしまったはずの、それゆえにその不在を通して、かれに時間と場所に対するかれ自身の存在の状態を負わせしめるであろうはずの――幽霊たちがいまベギンの夢と白昼夢を急襲しているのだ。*2まさにこれらの幽霊たち――勇ましくも肉体と骨と精神をもって甦ってきた――が、いまやかれをベイルートの包囲に到らしめた。幽霊と英雄の間で、嘘つきの預言者旧約聖書――自分たちの手で人類の歴史を書くことができると考えた――にあるように、再び欺きによって包囲に到ったのだ。

   ==========

七度目に、祭司が角笛を吹き鳴らすと、ヨシュアは民に命じた。「鬨の声をあげよ。主はあなたたちにこの町を与えられた。町のその中にあるものは、ことごとく滅びつくして主にささげよ。ただし、遊女ラハブおよび彼女と一緒に家の中にいる者は皆、生かしておきなさい。我々が遣わした使いをかくまってくれたからであるあなたがたはただ滅ぼし尽くすべきものを欲しがらないように気をつけ、滅ぼし尽くすべきものの一部でもかすめ取ってイスラエルの宿営全体を滅ぼすような不幸を招かないようにせよ。金、銀、銅器、鉄器はずべて主にささげる聖なるものであるから、主の宝物倉に納めよ」。角笛が鳴り渡ると、民は鬨の声をあげた。民が角笛の音を聞いて、一斉に鬨の声をあげると、城壁が崩れ落ち、民はそれぞれ、その場から町に突入し、この町を占領した、彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。


 ヨシュアは、土地を探った二人の斥候に、「あの遊女の家に行って、ラハブとその父母、兄弟、彼女に連なる者すべてを連れ出し、彼女の親族をすべて連れ出してイスラエルの宿営のそばに避難させた。彼らはその後、町とその中のすべてのものを焼き払い、金、銀、銅器、鉄器だけを主の宝物倉に納めた。遊女ラハブとその一族、彼女に連なる者ははすべて、ヨシュアが生かしておいたので、イスラエルの中に住んで今日に至っている。エリコそ探る斥候としてヨシュアが派遣した使者を、彼女がかくまったからである。ヨシュアはこのとき、誓って言った。「この町エリコを再建しようとする者は、主の呪いを受ける」*3

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最高司令官はチェスをしていた。かれはゲームをベギンの神経――ウザイのごみ山の上の電線のごとくぶら下がった――と同様に支配していた。チェスの盤上では、公的に表明してはいないベイルートの包囲を行なう男が追い込まれていた。わたしたちの読みでは、かれが包囲を敷いたのは盤上のひと駒以上のものとしてであり、ゲーム外のキングひとつ以上のものとしてだったのだろう。映像的に言えば、かれは涙――王政の、民主制の、人民民主主義の涙の――にあふれた、1カ月前に行われたはずの追悼演説を延期させたのだ。イスラエルの攻勢がわたしたちの公的な弁士に侵略(崇高な無関心によって祝福された)の可能性への不安をなくさせて、ガリレーの子がガリレーを持ち続けるという、軍に対するガリレーの安全の保証があってからは。

 その直前かれはここにいたのか?かれはこの場を去ったのか?

 たまたまかれの護衛のひとりに会った、わたしに嘘をつくようなやつではない。そしてわたしはいっそう滅入ってしまう。「かれはいませんよ」、かれはささやく、「かれは去りました」「そしてあなたもここを出ないといけません」、かれは付け加えて言う。「こんな群集こそが空の狩人に、また襲おうとする気分をかき立ててしまいますから」
 
 数日前に機構の事務所でわたしの前に駆け寄り、耳元でささやいたのと同じ若者だった。「一緒に来てください!」。わたしは何かを期待したが、それが司令官と一緒に座っているドイツ風の面持ちのこの男と差し向かいになることだとは思わなかった。「わたしを覚えてますか?」、かれは聞く、「ウリです」。わたしは怒っていた、それでも冗談めかして言った。「何!イスラエルベイルートを征服してしまったのか?それともきみは囚人になってしまったのか?」。「どちらでもありません」、かれは答えた。「アシュラフィーヤからアラファト氏にインタビューするためにやって来たのです」。わたしの怒りはいや増しになったが、何も言わなかった。ベイルートには世界中の報道機関が多くのジャーナリストを置いている。だれか特定のジャーナリストとのインタビューがいま必要なのか?すべてのテキストにはコンテキストがある。そしてこのテキストにはコンテキストがないのだ。

 しかしアラファトには情報を管理しようとする別の視点があった。おそらくかれは直接にメッセージを送り、ベギンをより深い狂気の中にのたうち回らせたいのだ。かれは、動揺したイスラエルの市民に送ろうとしているメッセージよりも遥かに落ち着いていた。ジャーナリストが、ベイルートを去った後どこへ行くのかを尋ねたとき、かれはためらわずに言った。「わたしは自分の国に行くのです。わたしはエルサレムへ行く」。わたしはイスラエル人ほどにはこの演説に感銘を受けなかった。かれの目は恥の涙に溢れていた。「そうでしょう?」、アブ・アマルが付け加えた。「どうして自分の国に行こうとしないものでしょうか?どうしてあなた方にわたしの国へ行く権利があるのに、わたしにそこへ戻る権利がないというのですか?」

 沈黙。

 対話は終わった。女性カメラマンとジャーナリストの女性アシスタントは、この伝説の敵の顔をさらに真剣に見つめていた。ひとりが聞いた。「あの有名なカフィア*4はどうしたの?」。「そこら中にありますよ」、わたしは答えた。「今は戦闘中ですから、戦闘帽を被ってますけどね」。かの女はさらにかれに近付いた。

  「かれは魅力的ですか?」、わたしは尋ねた。「独身ですよ」
  「ええ」、かの女は答えた。「とても魅力的」

 わたしからすれば、インタビューは嫌いだ、それとアパートの大家の不誠実さが。かれは家族をイスラエルのカメラの前に晒したのだ、かれのそこの家族に、かれのここでの幸せな写真を見せようというだけの理由で。わたしは自問する。「何を待ち望んでいるかを知るのはわたしたちの義務だ。それは故郷のことなのか?故郷の外にいるわたしたちの写真?それともわたしたちが故郷を求めている写真が故郷の中で見られること?」

  ==========

Sはどこだ、わが近所の雄弁な雄鶏は?ピストルと言葉と露わな肉体に愛されたものは。この2日間わたしはかれと会っていない。食べ物と水を見つけることができただろうか?それが気がかりだ。わたしがかれを自分の翼の下に連れて来てからというもの、かれはわたしと二人のときは滅多に口を開かなかった。たぶんわたしのことを父親だと信じているのだろう。かれは包囲以前に住んでいた場所から近所に移ってきて、カルディア*5系のレバノン人の若者たちと一緒に家を借りた。カルディアの仲間たちはどこにいるのか、そしてSはどこだ?クルドか?かれらは包囲の最初の日に友人となった。その中のひとりは筋肉のように張りつめていて、ほかのものたちは月のごとく冷静だった。SはいつもJを探していた。一方でJは、かれを殉教者たらしめるために、この世から消えてしまう方法を探していた。かれらは会うといつも、互いに罵り合い、それから連れだってハムラの通りを歩いた。武器と自負とで完全武装して。あたかも空気自体を、敵の侵入と反革命から守っているかのように。

 わたしはSのことを、数年前の何か不明なものへの警戒体制の時に見いだしてからずっと好きだった。とんでもない照れ屋で、会話に挑もうとするだけで神経質になってしまう。確固とした態度で厳格で、自分の考えやものごとへのあらゆる姿勢において、自分を安売りするようなことはしなかった。かれは自分の中の奇妙な世界を隠そうとはしないが、枕元の紙っきれだけは別だった。雄弁が溢れ出す夢想家。わたしには、かれの中の小説家がどこで生まれ、かれの中の詩人がどこで終わるのかは分からない。かれは夜通しの嵐の中のベイルートで文化的生活を奪われてきたのだ。かれは書いたものを凶暴なほどに守ろうとする、時には拳を使ってでも。かれは評論家の間で交わされる話など信じていないのだ、ただの無駄口だとみなしている。ピストルを手に人目を引く筋肉で、かれは適当なコーヒーショップに入る、横になって、日刊紙の文化欄を書いているようなけちな評論家を待つ。そして評論家たちがかれに向けて書いたことについて、自分の言葉を切り刻んで出すことはしないのだ。あるときわたしはかれに言った。「ウラジミール・マヤコフスキーゴーリキー通りで同じように評論家をもてなしたんだよ」。「これが批評への、唯一の真の批評のやり方ですから」、かれは答えた。

 Sは戦争に意気揚々だった――混沌に満ち、それと同盟さえ組んだかれの抑圧された暴力を許してくれたから。戦争の中でかれは自分の馬に自由な手綱を与え、埃ではなく銃弾を撒き散らす蹄の歌を抜き放ったのだ。そして戦争の中でかれは古代の山岳の時代へと戻っていく、彼方のダンスを生む羊飼いのパイプへと、自尊心と最初の武装した騎士の煌きを帯びた騎士道と剣戟の音へと戻っていく。まもなく、戦争の中でかれは気づく、戦場の風がかれを解き放つことはなく、すでにそこを通り過ぎてきた敵とのフェンシングにおいて新しい剣を抜くことはないのだと。そしてかれは理解しないのだ、かれは、作家がなぜ戦争の中でも書くのかということを理解しないのだ。だれが、力だけがものを言う瞬間に、かれらになど気を払うものか?ピストルを叩いてかれは脅す。「おれたちは勝つ!おれたちはやつらの鼻を泥に押しつける!」。かれは自分が勝つのか負けるのか知らない――もともとかれは負け戦の子であり、そして息子は目算に逆らって生まれてくるのだけど。かれにとって意味があるのは挑戦であり、馬上槍なのだ。

 Sはドン・キホーテとサンチョの間のどこかに立っている、敵を間近に迫った抽象へと変えながら。かれは愛国的熱情の発作に塗れ、自分自身をボールのように丸め、引き伸ばし、張り詰めさせて、あらゆるものを打ちのめそうとする。しかし、その時かれは自分をJの影響下に置いていた――思慮深く、詩の叙情の敵であり、哲学的真実の追求者であるJの。Sは水と肉と女性の全面的な欠乏のただなかで、「比類なき美の女性」を見いだしたのだ。気をつけろ、S、かの女はおまえの爺さんドン・キホーテのつくり出したもので、真夏日の熱気の中の渇きで裂けた魂のひびから生まれたトカゲの子なのだ。かの女の声は、廃墟に囲まれた自然の中の乾いた植物の声なのだ。それでもSは、大きくそして後戻りのできない飛躍を、自分自身の真実から切り離された自己変貌の方向へと行なってしまった。騎士がその遊歴の中で見失ってしまったものを達成しようとする喜劇の中へと深く突入してしまった――ひとりの女へと。

 いまどこにいる、S?破片がかれを追いつめてなどいないか、それともかれは自分で鶏を追いつめて、かれの「比類なき美の女性」への贈りものにしようとしているのか?

   ==========

*1:以下の引用は"Israel in Lebanon: Report of the International Commission to Enquire into Reported Violation of International Law by Israel during Its Invasion of the Lebanon<「レバノンにおけるイスラエル――レバノン侵略期におけるイスラエル国際法違反に関する国際委員会の報告」>からのものである<86ページ、47ページ>。「委員会は『気化燃料爆弾』『震動弾』『真空爆弾』などと呼ばれる兵器が少なくとも一回、IDF<イスラエル国防軍>によって使用されたとの証拠や証言を受け取っている、この事象は、この兵器がサナヤ庭園付近でのわずか2発の使用で、近隣の物体の破壊を伴うことなく、驚くほどの完全な破壊を行うという結果をもって、多くの人々に警告をもたらした。この兵器の成果と効果についてはいくつかの解説がある<マイーア・コーエン"Ha'aretz"紙1982年9月12日号、ロビク・ローゼンタール"Al-Hamishmar"1982年8月11日号、ジョン・ブロック"Daily Telegraph"1983年8月9日号参照>。さらに、「1982年8月6日、西ベイルートのサナヤ庭園付近での8階建マンションの爆破については、多くの信頼できる近隣や現場からの報告がある。委員会は現地――いまは巨大なクレーターとなっている――を訪れ……、PLO代表部がこの建物内に位置していたのではなく、むしろこの地域が本来の市民の住居地域であり、250人と推測される人々が廃墟の中で死んだという証拠を受け取っている」

*2:メナヒム・ベギンは<1948年4月9日の>ディル・ヤシン虐殺のとき、民兵組織「イルグン・ツヴァイ・レウミ」の指導者だった。Smith,p143によると「ディル・ヤシンの村はエルサレム街道を見下ろしていた。しかしそれは明らかにハガナの不可侵条約の範囲内であった。しかしながらイルグンとLEHI<レヒ>の共同部隊は村を襲い、レジスタンスを鎮圧後、250人の男、女、子どもを虐殺し、切断した遺体を井戸に詰めこんだ……ディル・ヤシンの意義とは、その実際の災難を遥かに越えたものであった」

*3:ヨシュア記、6:16-22New English Bible、日本語訳は新共同訳聖書「ヨシュア記」6:16-26

*4:訳注;イスラム男性が着けるスカーフ

*5:カルディア人は東方聖教会のネストリウス派に属するセム系の人々。中東一帯に散らばってコミュニティを保持し、シリア風の独自の言葉を放す、米国内にも一定の規模のコミュニティを持つ

『忘却症のための記憶』(7)

 外国人ジャーナリストたちが根城にしているホテル・コモドアで、アメリカ人記者がわたしに質問する。「この戦争の最中に何を書いているのですか、あなたのような詩人は?」

  ――わたしの沈黙を書いています。
  ――いまは銃がものを言うときだということでしょうか?
  ――そうです。その音の方がわたしの声よりも大きいのです。
  ――そのとき何をするのでしょう?
  ――断固とした信念を呼び起こすのです。
  ――そしてこの戦争に勝つのだと。
  ――いいえ、大切なことは持ちこたえることなのです。持ちこたえることそれ自体が勝利なのですよ。
  ――そしてその後は?
  ――新しい時代が始まります。
  ――それで、いつ詩を書くことに戻られるのでしょう?
  ――銃声が少しでも静かになるときに。あらゆる声に満たされたわたしの沈黙をわたしが爆発させるときに。わたしが適切な言葉を見つけたときに。
  ――そのときにあなたの役目があるのですか?
  ――いや、詩にとってのわたしの役目がないのは今なんですよ。わたしの役目は詩の外部にあるのです。わたしの役目はここにいること、市民や戦士たちと共にね。

 知識人の中にはこの包囲が、かれらのツケを払ったり、かれらの持つ有毒なペンを大学の胸元に突きつける良い機会だと気づいたものもいる。わたしたちは虚しく叫ぶ。「けちな真似はやめろ!ベイルートを包囲したのは物書きじゃないんだ。こいつらの怠惰や逃避がビルを住人の上に倒しているのでもないぞ。かれらの書いてるものは、最悪でも文学なんかじゃないし、最良でも対空砲なんかじゃない」。「いや、違う」、かれらは言う。「これは作家や詩人に対する、かれらが革命的であるかどうかの最初で最後のテストなのだ。あるいは、いま詩が生まれるべきなのか、それとも生まれる機会を失うのかどうかの」

 「だったら何でホメーロスにイリアードやオデュッセイアを書くことを許したんだ?」。わたしはかれらを皮肉った。「そして、何でアエスキュロスやエウリピデスアリストファネストルストイや、いろんなひとたちに許可を与えたんだ?同じやり方で逆らうやつなんていやしない、作家なんだぞ!かれがいま書けるなら、かれにいま書かせろ!そしてかれが後で書けるのなら、かれにあとで書かせろ!そしてもしあなたがわたしの思ってることを言うのを――だれも非難することなしに――許可するのならわたしは、傷つき、渇き、水とパンと避難所を探しているひとたちは詩を求めることはないと言うよ。そして戦士たちもあなたの詞に気を取られることなんてないさ。歌おうとあなたが願おうとも、黙っていようと欲しようとも――わたしたちは戦争の埒外にいるのさ。でもわたしたちの中には、ひとびとに別の奉仕を用意する力があるんだ――20リットル缶いっぱいの水がゲニウスの谷と同じ価値があるように。*1いま人間たるものが献身すべきことは何なのか、創造的表現における美なんかじゃない。だから、あなたたちの中傷なんてもうたくさんだ!批評家の神経が壊れて、それでかれがベイルートを去ったからってそれがどうしたって言うんだ?劇作家が怖くて道を渡れないからって?詩人がリズムを失なってしまったからって?批評家が自分の詩や劇の崇拝者じゃないからって、かれを包囲下に置いて、そしていまや中傷の砲撃にさらすのか?」

 わたしたちの中にある、かき回された声での戦いの叫び――詩人の引き受けた役目が出来事の報告者として、ジハードの扇動者として、あるいは戦争特派員として残されているのであれば――に接続された文化的な残りのものに応答して、アラビア語の環境が過熱する戦争の中での詩の問いかけを引き起こしてくれるようになるだろう。あらゆる戦いはこの問いかけを立ち上げる。「詩はどこにある?」。詩の政治的概念は、その歴史的文脈にもかかわらず、出来事の観念によって混乱させられるようになるのだ。

 そしてこの特別な瞬間が、わたしたちや知識人の体を引き裂くジェット機の失なわれてしまった身体の上でのはばたきとともに、詩に空襲に匹敵する、あるいは武力の均衡を引っくり返すだけのものを要求するのだ。もし詩が「いま」生まれないとすれば、いったい「いま」の価値とは何なのか?この問いかけは易しくもあり難しくもあり、複雑な回答を要求してくる。たとえばあるひとつの場所で、あるひとつの言葉と身体の中に生まれるであろう詩があり、しかしそれは喉や紙に届くことはない、ということを許すと言うようなものだ。この無垢なる問いかけは、無垢なる答えを求めている。この――仲間たちの中で――沈黙を守るとあえて発言しようとする詩人を暗殺したいとする欲望に満ちているという答えを別にすれば。

 この空襲のさなかに、独特な作品をつくる詩人の役目を守ろうとして、こんなおしゃべりをして時を無駄にしなくてはならないのは苦々しいことではないか。かれの現実との関係が、開かれたものとして根づいているからこそ、わたしたちはすべてのものが話すことをやめてしまうまさにこの瞬間、ひとびとの叙事詩が自らの歴史を磨き上げる、分かち合われた想像力の瞬間に何かをなさねばならないのだ。ベイルートはそれ自体が作品なのだ、熱狂的で創造的な。真の詩人、真の歌い手とは、弦の切れたリュートによって慰められることも励まされることも必要としない人民であり戦士のことだ。かれらは作品というものの純粋な創始者であり、その英雄的な行為や驚嘆すべき生の言語的等価物こそを、長い長い時間にわたって探し求めなくてはならない。どうすればかれらは新しい作品――それをつくるには充分に暇な時間が必要なのだけど――を水晶化させ形を与えられるのだろうか、こんなロケット弾のリズムが覆う戦いの中で?そしてどうすれば古典的な韻文――そしてこのとき、あらゆる韻文は古典的だ――が、いま火山の腹で腐っていこうとしている詩を定義できるのか?

 忍耐せよ、知識人よ!生と死への問いかけこそがいまは最上のものであり、意志への問いかけは戦場に向かうあらゆる武器へと働きかけ、実存への問いかけは神聖かつ即物的な形を取る――こうしたものは詩と詩人の役目へ倫理的な問いかけよりも重要なものなのだ。そしてその問いかけが、わたしたちが開かれた時間に対して抱く畏怖を讃えるべく、適応する。その時間とは、ひとつの岸からほかの岸へと、ひとつの存在の形からほかの形へと、人間という存在を変化させる時間なのだ。その時間はまた、古典的な詩が、いかにその謙虚な沈黙を新しく生まれてくる目の前のものの中に保つことができるのかを知るためにも、適応していくのだ。そしてもし知識人が狙撃手に変わるためにそれを必要とするのなら、その時はかれらに古い概念を、古い問いかけを、古い倫理を撃たせるがいい。わたしたちはいま、説明するためにここにいるのではない、説明されるためにここにいるのと同じくらいに。わたしたちは完全に生まれつつある、でなければ完全に死につつある。

 一方、わたしたちの親友であるパキスタン人、フェイーズ・アフマードはほかの質問に忙しかった――「画家たちはどこにいるんだ?」

  「どの画家だい、フェイーズ?」、わたしは尋ねる。
  「ベイルートの画家だよ」
  「かれらから何が欲しいんだい?」
  「この街の壁にこの戦争を描いてほしいんだよ」
  「どうしちまったんだ?」、わたしはわめいた。「壁が倒れてるのに気がつかないのか?」

   ==========

なぜわたしは孔雀を見ているのか、この年老いた孔雀、よろよろと象牙の杖をつき、二丁のリボルバー武装して、プライドでふんぞり返り、軽蔑に酔いしれ、涎塗れの王冠に魅せられたこの孔雀を?

 なぜわたしはこの年老いた孔雀を見ているのか、色とりどりの羽をした泥棒、わたしの脳髄に短剣を突き差す間に抑えた微笑みでわたしを買収しようとするこの孔雀を?

 なぜわたしはこの年老いた孔雀を、わたしに汗の香りとアラク酒を振り撒き、その下の墓に滑り込もうとしてわたしの靴に口づけするこの孔雀を見ているのか?

 なぜわたしはこの年老いた孔雀を、わたしの心を見抜く視界を得ようとして椅子と壁に手を伸ばし、レモンの悲しみを盗み出し、そしてそれを決して到着することのない船の船長に密輸しようとする、その船をいまだ到着することのないノアの箱舟と勘違いするこの孔雀を見ているのか?

 わたしはなぜこの年老いた孔雀を、屠殺された馬の靴を履き美しく飾られて、名誉のメダルを受け取る孔雀を見ているのか?

 わたしはなぜこの年老いた孔雀を、二丁のリボルバー――ひとつはわたしを殺すため、もうひとつは自分のあさましい尻のため――で武装した孔雀を見ているのか?

 わたしはなぜこの年老いた孔雀を見ているのか?

 わたしはなぜ孔雀を見ているのか?

 わたしはなぜ見ているのか?

 なぜ?

   ==========

 わたしの書斎は燃え落ちていた。海からの砲撃がそれを炭の倉庫に変えてしまっていた。わたしたちが到着する数時間前に燃えていた。どこでぺちゃくちゃとおしゃべりをする場所を見つけたらいいものか?戦争にせよ休戦にせよ、わたしたちが永遠に呼び入れるものは――おしゃべりなのだ。どこでそれを続ければいいのか?わたしたちが撤退するのか、しないのか?知識人たちはこの問いかけがかれらによるものだと、そして持ちこたえようとする計画の中にかれらのエネルギーが充満していくのを見守ることこそが素晴しいことなのだと考えている。かれらは政治的決定に対する拒否権を有していると信じているのだ。かれらの中には「アル・マーラカ(戦い)」の出版こそがこの戦いの運命を握っていると確信するものもいる。*2かれらはこの玉砕的な説教壇こそが、このねじれを支配する歴史の目撃者となるだろうと決心しているのだ。何とかれらは美しいことか!何と美しい!

 11時、2万砲撃と、そして30秒。わたしたちは燃え尽きた書斎から燃え上がる空の下に出た。空は大地を燻った抱擁で抱きしめる、空は融けた鉛のように重く、何もない暗い灰色の中を、銀色の機体をまばゆい白に輝かせたジェット機だけが、オレンジ色の遺留物とともに貫いていく。優美な飛行機だ、すらりしとして、皺の寄った空をしっかりと乗りこなす。

  「行こう!」、Zが言う。
  「どこへ!」、わたしは尋ねる。
  「何か探しに」、かれは言う、「昼飯だな、とりあえず」

 何て事態だ?恐ろしい。撤退の状況は屈辱的であり、そしてわたしたちは策略をめぐらしているだけなのだ、ただ時間を買おうとして。いったいいくらで?いくらでも。弾薬の切れた対空砲でもって、軍事科学すら動揺させる若者たちの英雄的行為と狂気をもって。でもどのくらいまで?起こりえない何かが起きるまで。何も変わらなかった。わたしたちは今でも孤立しているのだ。やつらはベイルート市内に進軍してくるのか?いや、しない。かれらはその状況に耐えられないほどの大きな損害を負うだろうから。しかし市の端あたりに噛みつくくらいのことはする。美術館近辺を狙い、失敗した。防衛隊の士気が高い、きわめて高い。まるで悪魔のように。かれらは外からの助けなど諦めている。かれらはアラブ世界からの何らかの動きも諦めている。かれらは戦略的バランスなど諦めているのだ。*3こうして、かれらは取り憑かれたかのように戦った。撤退の話はかれらに届いているのか?そうだ、しかしかれらは信じてなどいない、単なる策略だとかれらは言い、そして戦い続ける。そしてかれらは気がついているのだ、いまや世界を頂上にそびえ立つ沈黙が、かれらにそこから話すようにと説教壇を用意していることを。かれらの血が、かれらの血だけが、この日々を語るものだ。わたしたちは「アル・マーラカ」で何を、こんな交渉と撤退の話など書くべきだろうか?わたしたちは戦うことと持ちこたえることをこそ呼び求める。わたしたちは持ちこたえることと戦うことを呼び求めるのだ。

 ベイルートは外側から、イスラエルの戦車とアラブの公的勢力の麻痺によって囲まれ、闇と恐喝の中に叩き込まれた。ベイルートは渇いている。

 しかし、ベイルートの内側では、ベイルートの内側からは、ほかの現実が準備されている。それが気力を保たせ、それが喜びの光を守るために銃を掲げさせるのだ、アラブの希望の首都という意味の。

 「ベイルートを救え!」をモットーに掲げるひとびと――悪魔的で口達者で、口あたりの良い毒のように致命的な――によって、この希望がアラブにとってのマサダ砦」において自殺させられるべく企てられている。かれらの勝利の頂点において自殺を遂げるというお話だ。「ベイルートを救え!」のスローガンの発案者たちにとっての唯一の条件とは、捨て去ることが降伏だということ。歴史の教える降伏の意味とは血に塗れるということだ。それは、怒りのすべての降伏。それは、すべての武器の降伏。まったく犠牲のない降伏。

 しかし恐喝産業の玄人たちは、この絶望の意味を、そしてその結果がどうなるのかを知っているのか?わあいたちはここで恐喝の仕返しの話をしてるんじゃない。わたしたちは、自分達や、わたしたちの敵や、わたしたちの同盟者の神殿を引きずり倒そうとしているんじゃない。ただ、わたしたちは、自分たちの唯一の条件、唯一の自由を交渉のテーブルにもう載せているのだ――そしてわたしたちは戦い続ける。

 ベイルートは人質ではない。そして、ベイルートの、バリケードの内側でわたしたちは、その未来においてすべての世代のひとびとの静脈をめぐる血が新しくなることを抜きにして、命を懸けているわけではない。だから、わたしたちにはほかの選択肢がないのだ、わたしたちの実存の現在の状況――わたしたちの武器――を押し進めることのほかには。諦めてしまうことはわたしたちの実存の道具を、わたしたちの血の砦に灯された炎を守るすべを、抑圧的な体制によって早くも眠りについたアラブの大陸を目覚めさせるわたしたちの能力を、敵に渡すということなのだ。

 わたしたちがベイルートという要塞で持ちこたえること、不屈であることは、ふたつの大海の間に広がったアラブの巨人を目覚めさせる唯一の手段なのだ。それだけが、銃口から、戦士の軍靴の穴から、この暗い時代に灯りをともす傷者から見えてくる唯一の地平線なのだ。

 こうして、こうしてわたしたちはベイルートから、数百万の怒りから包囲を引き揚げる。

 こうしてベイルートは、内側から見えてくる、外側から見えてくるものにはまったく似ていないものとして。

 「こうしておれたちは書いてきたんだ。いまおれたちは何を書くべきなのかね?」
 「まったく同じことだよ」、Zはためらわずに言った。
 「それですべての住民は何を思うのかな、ベイルートのひとたちは?」
 「持ちこたえることを考えてるさ」、かれは言った。
 「持ちこたえることを考えてる、おれたちが撤退するまでは」、わたしは言った。「それを無視できるか?」
 「いや」、かれは言った。「無視できない。でもおれたちに何ができる?おれたちに何ができる?」
 
   ==========

 普通ではあり得ない音が鳴り響く、ほかの音より遥かに大きいというだけでなく、まったく異っていて彼方から響くものだったのだ。その場所をひったくり駆け抜けていく音。空間と空虚を容易に切り裂いていく音。

 さあ、行こう!この数日、ラウシュに足を向けてはいなかった。広い大通り、人通りもなく、その場を踏む足がないせいかいつもよりも広く見える。まるで海自体の持ちものにでもなってしまったかのようだ。煙を上げるビル。炎が上から落ちてくる。天地が引っくり返ってしまったかのような大火。上の階から助けを求める声がわたしたちに届く、はっきりと突き刺すように。火とビルの瓦礫に包まれた人間はたいてい最初の一撃のショックで壊されてしまう。あれは救急隊があそこにいて、人体が鉄とセメントとガラスで練り物に捏ね上げられてしまうことから救おうとしているのだ。

 わたしは負傷者が集められた場所から顔を背けることができなかった。血が地面に流れ、そして壁には凶悪な裂け目。わたしは救いようのない感情を捨てることも和らげることもできなかった。激しい混雑。市民防衛隊の雑役兵が仕事の邪魔になるから立ち去ってほしいと言ってくる、そしてジェット機が戻ってきて、このおいしそうな群集を食い物にするだろうと。熱湯が、抱えていた怒りから湧き上がり、わたしの顔を濡らす。友人がわたしの腕を掴んだ、「来い!ここから出るんだ!」

 やつらがまた襲ってきた。再びやつらは襲ってきた。何という日なんだ。史上最長の一日なのか?わたしは反対側のビルを見た、最後に目に映ったわたしの書斎だった。

   ==========

海からの波。わたしはこのバルコニーから自分の目で、それがラウシュ岩――恋人たちの自殺の名所――にぶつかり砕けるのを眺めていたものだった。

 波は最後の数文字だけを運び、青き北西と蒼き南西へと戻っていく。その岸辺へと戻り、自らを純白の綿で刺繍し、そして砕ける。

 海からの波。わたしはそれを見つけ、長きにわたって追いかける。ハイファやアンダルシアに着く前に疲れてしまうのか。キプリスの島の岸辺で疲れて休息を取っている。

 海からの波。それはわたしではありえない。そしてわたしは、わたしは海からの波ではありえない。

   ==========

わたしがどんなにわたしの書斎を愛していたことか、最初から破壊に脅かされていたことか!「どんなプレゼントが欲しい?」。鉢植えと薔薇。花と鉢植え。わたしはそれを巣のように作った。わたしはそれを雑誌に載った文章のようにしたかった、黄色い紙の上の茶色い文字、そして海が見える。わたしはそれを野生の馬の背中に結ばれた花瓶のようにしたかった。わたしはそれを詩のようにしたかった。しかし壁に絵を飾る間もなく、自動車爆弾が爆発し、すべての調度を滅茶苦茶にした。そしてまた、頭を左肘に乗せて休み、コーヒーを待とうとした途端に、外に出ている自分に気づいたのだ。爆発の轟音がわたしを以前のように持ち上げ、ペンとタバコを持ったまま、わたしを安全にエレベーターの前に残したのだ。シャツに薔薇の模様が付いているのに気づいた。1分後、わたしは書斎――いまやドアもなく、割れたガラスと飛び散る紙で満ち溢れた空間になってしまった――に戻ろうとしたが、2度目の爆発の衝撃がわたしをエレベーターの側に留めたのだ。若い守衛がピストルの射撃で爆発に返事をした。「何してるんだ?」、わたしは尋ねた。「自分の銃を撃ったのです」、かれは答えた。「何に向けて撃ったんだよ?どこにあるんだ?」わたしは聞いた。たぶん、今までだれもかれにそんな質問そしたことはなかったのだろう、だからかれはみんなのことを馬鹿ものだと思っていたのだ。しかし、それがいつものことだった。わたしたちの即座の、無意識でたぶん本能的な、あらゆる出来事や暴力的感情――見慣れぬものとか、単にボールをぶつけられたとか――に対する返答とは空に向けて銃をぶっ放すことなのだ。

 新たな殺戮がラウシュの近くであった――別の20人の死者がこの新たなる熱病で、自動車爆弾という熱病で――モサドと地元のその手先によって完遂された。この複数の車が侵略のための道を舗装したのだ。この包囲を自然状態へと転換する心理的土台を準備したのだ。この現代のトロイの木馬は、西ベイルートには安全も無事もないのだと一般に知らしめるためにいなないている。歩道に停められたあらゆる車は死の前兆を抱えているのだ。野蛮人を呼びこめ、いざ!

   ==========

海からの波がわたしの手の中にある。それは漏れ出し流れ出す。それはわたしの胸の岩の周りを進み、近づき、くつろぎ、降伏する。わたしの胸の体毛にぴったりとくっつく、源流へと戻ることのないように。熱くそして湿っている。波はリンゴを食む猫のようだ。かの女は理不尽なほどの軽薄さでわたしにキスをする――「あたしにはあなたを愛する権利があるの。そしてあなたにはあたしを愛する権利があるのよ」。愛は権利じゃないよ、子猫ちゃん、そしておれはもうぴったり40だ。。かの女は隅へと退却する。「そしてあたしは、男性を追いかける女性の半月なの」。熱くそして湿っぽい。ただその小さな体の体温は調節されていて、冬は温かく夏は冷たい。新しい海の岸辺のように新鮮な体だ、そこに生えた苔に小動物がまだ触ってもいないほどの。それは滑り、離れていく――燃え上がり、そして近づく。牛乳の芳香がわたしをそれから遠ざけている。「どうして8月を椅子の上に架けておかないの?どうして眠りの白さの中で泳ごうとしないの?」。かの女は目を夜の輝きで覆っている。きみが若いからだよ。「あたし若くないわ」。かの女は唸る。「あたしは男を追いかける、カルダモンの芳香にくっついていく女半月。どうしてあたしに泳ぐ権利がないの?」。でもこの白さは海じゃないんだ。かの女は怒ってリンゴと自分の爪に噛みつく。わたしは両の唇を指で集めて大きくなるようにした、キスへと変わるように。「ほら!あなたはあたしを愛してる。愛してるって白状しなさい。愛してるって言いなさい。それでどうしてわたしの潮を飲んでくれないの?」渇きがおれの精神の優雅さを粉々に砕いているからだよ。かの女は怒りだす、離れて隅にうずくまる。「詩なんていらない。詩なん嫌い。体が欲しい。体のかけらが欲しいの。この臆病者!」。臆病なのはきみのせいさ、おれじゃない。「あたしの持ってるもので何をしてくれるというの?あたしは自分のものなら自分の思い通りにできるわ」。かの女は立ち止まる。近づく。かの女の鳴き声ががさついてくる――「何か遊ぶものをちょうだい!人形をちょうだい!どんな人形でもいいから。小さな猫を、引き締まって頑丈な、その唾液があたしの胸に流れるまで両手で優しく動かすから」

 波は溺れ死にしそうだった、ただ紫の破裂が海の岩を揺らしていた。波は道へと辿り、そしてわたしは寝床へと辿った。

   ==========

*1:ゲニウス<ワジ・アブカル>の谷<あるいは渓流>はジン<イスラムの精霊、ひとびとに悪戯をする>が棲む場所であるとする伝説がある

*2:「アル・マーラカ<戦い>」は「パレスチナ人、レバノン人、そしてアラブの作家とジャーナリストがベイルートで編集する」出版で、包囲下のベイルートでの出来事を、1982年の6月23日から8月25日にわたって毎日掲載した

*3:「戦略的バランス」とは「アサド・ドクトリン」<シリア・アラブ共和国大統領・ハフェズ・アサドにちなむ>とも呼ばれるキャッチフレーズで、軍事的バランス――あるいは軍事的対等性――を得る前にイスラエルと軍事的に事を構えるのは不適当だとする考え方

『忘却症のための記憶』(6)

 わたしは愛国的熱情の発作を起こしている。

 その一方で、占領された空、海、松の木の山は、原初の恐怖とアダムの楽園からの脱出伝説、終わりなく繰り返されるエクソダスの伝説、に向けて砲撃を続けている。わたしはもう国を持たない――わたしはもう体を持たない。砲撃は賛美歌と死の対話を粉砕しようと続けられている、馬鹿げた疑問を費やす光のように流れる血をかき回しながら。

 わたしは何を探してるんだ?いっぱいの火薬と魂の怒りの消化不良。ロケット弾はわたしの毛穴を貫いて無事に出てきた。何て強力なんだろう!わたしが地獄の空気を吸い、煉獄の汗に塗れるかぎり、わたしはもうゲヘナ*1で息づくことはないだろう。しかし、わたしは歌いだしたい。そう、わたしはこの燃え上がる日を歌いたい、わたしは歌いたいのだ、わたしは自らを精神の鋼へと変える言葉を見つけたい――これら輝く銀の昆虫、ジェット機に抗う言葉を。わたしは歌いたい。わたしがそれに身を寄せ、わたしに身を寄せる言葉が欲しい、わたしに目撃証言を求め、わたしが目撃証言を求める言葉――この宇宙的な孤立に打ち克つものがわたしたちの中にあって欲しい。

 そしてわたしは歩き続ける。

 わたしは歩く。わたしが歩くのを見ながら、はっきりとした足どりで、わたし自身からすら自由で、通りの真ん中を、正確に真ん中を。空を飛ぶ化け物がわたしに向かって吠える、銃火の唾をかける、しかしわたしは無頓着だ。わたしはクレーターのようになったアスファルトの上のわたしの歩みのリズムだけを聞く。そしてわたしはだれにも出会わない。わたしは何を探してるんだ?たぶん、わたしの歩みを止め、眠れる街に敵対するものを攻撃するのは、孤独の恐怖や瓦礫の中での死の恐怖を隠した不屈のレジスタンスだろう。わたしはいまだかつて、かくも重大な朝の眠りにつつまれたベイルートを見たことがない。初めてわたしは木を見ている、幹と枝と多年生の緑の葉に覆われて見える木を。ベイルートはそれ自体が美しかったのか?

 運動、諍い、人混み、そして商業活動のどよめきがこんな受け取り方を隠してしまい、ベイルートを都市から観念に、意味に、表現に、表象に変えてしまってきたのだ。この都市は本を印刷し、新聞を発行し、世界の問題を解決するための講演と会議を開いてきた。しかし自分自身には何の関心も持たなかったのだ。あざけり砂を噛むような口調で目立つことと、すべての陣営に制止をかけることに忙しくて。自由のためのワークショップ、その壁は近代世界の百科事典を運んできたものだ。ポスターを作る工場だ。

 実際この街が、ポスター製作を新聞発行の域にまで高めた最初の都市であることは疑いない。それはおそらく表現上の力、死とカオスと自由と疎外と移民と人々の混合が形作る力がかくも充分に変えてしまったのだ、そして、かくも充分に、ポスターだけがつかんでしまう平凡な意見にすぎないものを超えていく表現の力をつくり出す余地から生まれた発言のための知れわたった方法をあふれさせているのだ。こうしてポスターは同期的な表現となった――詩と小説が担っていた特別な何かを伝えるためのものとして。壁の表面では殉教者たちがいきいきと生と新聞報道から身を起こし、ひとつの死それ自体がつくり直されている。ひとりの殉教者がほかの顔に取って代わり、壁の上の場所を手に入れる、また別のひとか、あるいは雨で消されるまでは。スローガンはほかのスローガンに場所を譲るか、あるいは拭い取られるか。スローガンは国家の優先事であり、政府の日々の業務なのだ。世界で起こることはここでも起こる、時に外で何が起こっているのかを映しつつ、時にその先例を追いつつ。2人の知識人がパリで口論したとすれば、それはここでは武装を伴う衝突になるだろう。ベイルートでは連帯意識がないと生きていけないし、何でもかんでも新しいものや、あらゆる更新された古いものや、あらゆる新しい運動や理論といったものに敏感だから。高速撮影された革命映画だ。ビデオがそのうってつけの道具。あらゆる分野の新しい指導者やスターが、ベイルートの新しい指導者やスターとして名を挙げられる。その壁は写真と言葉でいっぱいだ、そして通行人たちは、どんどん移り変わっていく経験の中から、かれらの息遣いをつかまなくてはならないのだ。

 こうしてここでのスターや指導者たちの王位は短い。観客たち――ここに観客など実際はいないのだけれど――が簡単に飽きてしまうからというだけではなく、その目指すところは反米であるのに、レースがアメリカ流で行われているからでもあるのだ。わたしたちが持っているのはすべての新しい意識、すべての新しい曲、すべての新しい流行を永続的に代表するもの――首の周りのチェーンにタバコのライターをぶら下げたジーンズ姿の女の子は不適切な左翼思想を映し出し、顔と手を覆うヴェールは伝統性あるいはカール・マルクスがいまや東からの風が吹くと証明したオリエンタリストを生み出した何らかの象徴に飛び付いたかという証し。これがベイルートだった。グローバルな転換の駅、ここではあらゆる逸脱が規範から、水とパンを手に入れたり死者を埋葬するのに忙しい一般大衆のための行動計画へと転化されていくのだ。

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わたしはだれひとり歩くもののない通りを歩いている、わたしは以前、だれひとり歩くもののない通りを歩いていたことを覚えている。そしてわたしは、わたしと一緒にいなかっただれかがこう言ったのを覚えている。

  ――この対話はやめだ、一緒に来い
  ――どこへ?
  ――この男に会う
  ――この男は何をしてるんだ?
  ――家に帰るのさ
  ――でもかれは前に進んで、それから下がってるぞ
  ――あれがかれの歩き方さ
  ――歩いてるんじゃないだろう。スウィングしてる、踊ってるんだ
  ――よく見てみろ、かれのステップを数えるんだ。ワン、ツー、フォー、セブン、ナイン、進む。ワン、ツー、スリー、セブン、エイト、戻る
  ――どういう意味だ?
  ――歩いてるのさ。これがかれが唯一知ってる家への帰り方なのさ。10歩進んで9歩下がる。つまり、1歩ずつ前に進む
  ――もし悩みとかあったら、数を間違えたりするのかな?
  ――そのときは家には着けない
  ――これに何か意味があるのか?
  ――いや、何も

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ホテル・キャバリエの近くで腕時計を見る、8時。詩人Y は目覚めているだろうか?だれが眠れるものか、こんな戦闘機の群れを頭の上に侍らせて。わたしは詩人が書くことができているのかどうかをやたらと知りたかった、どのようにかれはこの言語のための言葉を見つけてるというのか。Y は悠然とした映像的な毎日の詩を書いている、そしてかれは人間性の本質を示唆する細部をつかまえることができるのだ。かれは瓦礫から出てきた喜びをあやすことができる詩人だ、そしてそれを驚かすことも。そしてかれが書くときは、わたしがそうする必要をなくしてしまう。かれが、わたしたち自身が言いたいと願うことを代わりに言ってしまうからだ。かれはわたしを悲しみで満たしてしまう、その純粋さがわたしの中の何とも幸福な実体を目覚めさせてしまうから。そしてこの詩人が書いているかぎり、わたしは詩の中に有形の危機の証拠を見つけることができないだろう。要するに、かれはわたしと同じ類いの詩人なのだ。

 バグダッドで初めてかれに会ったとき、かれはわたしを殺そうとした。夕食の時にかれが飲んだものには口論を引き起こすものしか混ぜられていなかったから。かれには飲み物の違いなど分からなかった。すべてのアルコールは同じ、ビールだろうとウイスキーだろうとワインだろうとアラク酒だろうとジンだろうと――すべての飲み物は平常心を失なわせるのだ。そして夜の終わりが近づいたとき、かれはわたしたちをホテル・バグダッドに車で送り返した。かれには車でもチグリス川で泳ぐ権利でもどちらも手に入ったのだろうけど、わたしたちが目を見開いて警告の叫びを上げたので。「心配すんな」、かれはわたしたちの恐怖をなだめながら言った。「おれは今は灌漑局の職員だぜ」。「灌漑?」、わたしたちは尋ねた。「そう、灌漑」、かれは答えた。「灌漑」

 しばらくして、かれはバグダッドの灌漑局から、ベイルートの血液局に移った。わたしたちは詩の朗読会を一緒にやった、ベイルートやダマスカス、そして数週間前にはタイレのフェダイーンのキャンプで。昨夜、わたしはプラザ・ホテルの近くでかれを見かけた。夜の闇の中でかれはわたしの顔に懐中電灯を当てて叫んだ、「何でこんなところをひとりで、ボディガードも連れずにウロウロしてるんだ?」。「おれがボディガードと一緒にどこかへ行ったことなんてあったか?」、わたしは尋ねた。「で、ここで何してるんだ?」、かれは尋ねた。「タクシーを待ってるのさ、で、作戦室へ行くんだ」、わたしは返事をした。

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わたしはホテルのロビーで詩人を待っていた。しかしどうしてカタツムリがわたしの目の前を這いつくばっているのか?背の高いカタツムリで、そのたるんだ形を見せることを躊躇しなかった。ソファーや壁の上でその姿を見せびらかす、ピアノを弾く若い女性の上に緑色の涎をだらだらと垂らしながら。カタツムリは叫ぶ、カタツムリは笑う、カタツムリは酔っ払う、スクリーンの中に入り、スクリーンから出てくる。何ものにも向けられていないさまようような視線を早める。カタツムリは何も見ていない。壊れる。除ける。曲げる。曲がる。溜息をつく。ばらばらになる。カタツムリはよろめくゴムの足で動き回る。それでどうしてそのカタツムリが今朝わたしの顔に迫ってくるのか?神よ、このかくも醜き光景からわたしたちを守りたまえ!

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 詩人はイナゴに寄りかかられながら部屋から下りてきた。
 何だ!おまえもか!どうやってここに来た?わたしたちは抱き合う。眠りの楽園を振り払おうとかれの肩を叩く。「どうだい?」「ペシミスティックさ。何て変な日なんだ!連中は一瞬たりとも砲撃を止めやしない、空を踏み荒してるぞ。どこにいたんだ?」「自分のアパートさ」「狂ってる。どうかしちまってるぞ、友人よ。そこで眠れたか?」「明日はここで寝るよ。しかし必要なのはそんなことじゃない、この砲撃の成果ってのはカタツムリとイナゴだっていうのか?」「どういう意味だ?」「何の意味もないよ」。10歩進む、9歩下がる、合わせてみれば1歩前進。よし。それでよし!

 また1匹のイナゴ、怯えたやつが、わたしの膝に舞い降りた、ジェット機の恐怖にかきたてられた純潔の空気をまといながら、かの女は擦ってくるあらゆるものに擦り返していた。わたしはかの女に、ジョーク交じりで助言する――「今日は終わりのない一日になるぞ。連中は1万の作戦可能な千のジェット機を持ってるんだ。で、きみがその作戦にいちいちそんなに擦り返していたら、おれはひからびちまう。枯れきった男になっちまうよ」。わたしは詩人の方へ向き直る。「教えてくれ。どうして若い女たちはこんな最悪の状況で興奮してるんだ?愛し合うための時間なのか?愛し合うための時間なんかない、突然の欲望のためだ。ふたつのはかない体がひとつのはかない死――別の言い方をすれば甘美な死――をためらうために協力するんだ」

 わたしたちの親友Fがやってきて、フレーズの中に陥った詩人を引き揚げる手助けをしてくれる。「兄弟、不可能だよ。不可能。兄弟、絶対不可能なんだ」。かれは表現で吹き飛ばされそうで、窒息して、そのてっぺんに積み上げられていた。助けてくれ、F。Yが口ごもっている表現からおれを助けてくれ。わたしたちは突然笑いだした。わたしたちは笑いに笑い、ついにはピアノの若い女性を狼狽させた。「ピアノの時間じゃないぞ。笑う時間だ、あるいは詩の」。わたしたちはかの女に言う。「ジェット機の時間、カタツムリの時間」

 「ふたりとも書いてるのか?」、Fが尋ねた。

 Yは毎日書いている。かれはわたしたちに、かれの敏感な内心のカメラからのスナップショットのひとつを読んでくれた。かれはそれを持たずに出かけることなどないのだ。

 「おまえは?」、かれらがわたしに聞いた。

 「貯めこんでるよ」、わたしは言う、「喉が詰まりそうなところにね。で、友だち連中にからかわれるんだ『詩の役割って何だ?戦争が終わるときに何の役に立つ?』ってね。でもおれは叫びがどこにも行けないようなまさにそのときに、叫ぶんだ。で、その言葉がおれを撃つために、いろんな声が同じにはならない戦いの中に自分から入り込んでいかなくちゃならないんだよ。おまえの塞いだ声の方がいいよ、Y」

 ――しかし、何を書いてるんだ?

 「わたしは叫びを口ごもる」、わたしは答えた。

わたしたちの切り株――わたしたちの名前
ない。逃れることはない!
落ちたのは、仮面の上の仮面
仮面を覆っていたもの
落ちたのは仮面だ!
あなたに兄弟はいない、わが兄弟よ
友はない、砦はない、わが友よ
あなたに水はなく、そして救いもない
空はなく、血もなく、そして帆もない
正面はなく、そして背面もない


そしてあなたの封鎖を塞ぐのだ、逃れることはない!
あなたの腕が落ちた?
拾い上げ、敵を撃て!逃れることはない!
わたしが側に落ちた?わたしを拾い上げ
そして敵を撃て
あなたはいまや自由だ
自由、
自由
あなたの死者と傷者が
あなたの武器だ
それをもって撃て、あなたの敵を撃て


わたしたちの切り株、わたしたちの名前――わたしたちの名前、わたしたちの切り株
狂気とともに封鎖を塞げ
狂気をもって
そして狂気をもって
かれらは去った、愛するかれらは。去った
あなたは生きるべきものであり
生きることなきものでもあろう
落ちたのは、仮面を覆う仮面
仮面を覆うものが
落ちた、そしてだれもいない


あなたしかいない空間の広がりが
敵と忘却の病の間に開かれている
すべての銃を配置せしめよ、そして
あなたは家にいるんだ
いない!だれもいない!
仮面は落ちた
フランク人に従うアラブ人が
魂を売ったアラブ人が
失なわれたアラブ人が
落ちたのは仮面だ
仮面は落ちた*2

 「きみたちふたりはどこへ行くんだ?」、Fが尋ねた。
 「アデンさ」、Yが言う。
 「きみもか?」、Fがわたしに聞く。
 「わからない」、わたしは答える。

 沈黙。金属のように重く。わたしたちは3人だった、しかしいま、崩れ落ちようとするわたしたちの周りの世界の中でひとつになっていく。わたしたちはいわば危険物の番人としてここにいて、わたしたちの現実をそのまま丸ごと、わたしたちの視界の中で形作られる記憶の領域へと移動する作戦を準備しているのだ。そしてわたしたちが去っていくにつれ、わたしたちは記憶に変わっていく自分たちを見ることができるだろう。わたしたちはこのような記憶なのだ。まさにこの時、わたしたちはお互いを、それまでよりももっとブルーになってしまった憂鬱の中に消えていく遠い世界を記憶するように、記憶する。わたしたちは憧憬の音程の中へと別れていくだろう。わたしたち3人は真実を知っている――わたしたちはベイルートから引きずり出されたのだ。そしてわたしたちは、だれも視界の中で起こっていることを見ようとすらしないほどのつらい苦難を知っているのだ――ひとびとは間違いなくわたしたちと共にある、なぜならわたしたちは去っていくのだから。

 「おれは行かないよ」、わたしは言う。「どこへ行ったらいいか分からないから。どこへ行くのか分からないから。おれは行かない」

 「おまえは?」、わたしはFに聞いた。

 「ぼくは残るよ。ぼくはレバノン人で、ここがぼくの国だ。どこへ行けというんだい?」

 わたしは自分の質問に困惑した。そしてその程度には、ベイルートがわたしの歌であり、故国を持たぬあらゆるひとたちの歌になっていたのだった。そしてわたしは、「理想」の壮大なる両義性に困惑させられている。

その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群集がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群集は皆岸辺に立っていた、イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた、「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところがほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは4倍……


そしてイエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐んでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかしイエスは何もお答えにならなかった。そこで弟子たちが近寄って来て願った、「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので」。イエスは、「わたしはイスラエルの失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主と、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って子犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし子犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです」。そこでイエスはお答えになった、「婦人よ。あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」。そのとき、娘の病気はいやされた。*3 *4

*1:訳注;聖書における地獄とされるエルサレム郊外の場所

*2:この詩は、明らかにベイルート包囲時に書かれ、「アル・カーメル」7号<1983>に発表されたダルウィーシュによる長編詩の一部である。題名は「高い影を讃えて」。『包囲下のエレジーのアンソロジーに収録されている

*3:マタイ福音書13:1-8,14:21-28、Revised Standard Editionによる

*4:訳注;原注の14:21-28は15:21-28の誤り。日本語訳は日本聖書教会「新共同訳」を元に一部英訳に合わせて変更した。なお、最初の段落の最後に「4倍」とあるのは通常どのテキストでも「百倍」と書かれている。この違いが英訳によるものか、あるいはダルウィーシュによる原文からのものなのかは不明

『忘却症のための記憶』(5)

 通り。午前7時。地平線には鉄でできた巨大な卵。だれにこの無垢な沈黙を伝えるべきか?通りは広くなっていく。わたしはゆっくりと歩く。ゆっくりと。わたしはゆっくりと歩く。ゆっくりと。ジェット機がわたしを捉え損ねないように。空虚が顎を開けている。しかしわたしを呑み込もうとはしない。わたしは目的もないまま動く。始めてこの通りにやってきて、ここを歩くのはこれが最後であるかのように。一方的なさよならだ。わたしは葬列に加わって歩くものだ、自分自身の葬列を歩くものだ。

 一匹の猫すらいない。猫を見つけることができたのならよかったのに。悲しみはない。喜びはない。始まりはない。終わりはない。怒りはない。満ち足りはない。記憶はない。夢はない。過去はない。明日はない。音はない。沈黙はない。戦争はない。平和はない。生はない。死はない。エスはない。ノーもない。波は遥か彼方の岸の岩の苔と結婚し、わたしはその、百万年にもわたって続く結婚から現れてきたものだ。わたしは現れた、わたしがどこにいたのかも知らぬまま。わたしの名前を、この場所の名前を、わたしは知らなかった。わたしに肋骨の一本を抜き取り、この絶対的な沈黙の対話の脚本を明かす力があるのか、わたしは知らなかった。わたしの名前は何だ!だれがわたしに名前を与えた!だれがわたしをアダムと呼ぶというのか?

   ==========

……そして神は「ペン」を創られ命じられた、審判の日まで残るであろうあらゆる存在を書き留めよと。それから繊細なる雲を創られた――その霧は預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)がアブ・ルザイン・アル・ウカージに「主は創造を始められる以前にはどこにいらしたのですか?」と尋ねたときに述べたものである。そしてかれは答えた、「麗しき霧の中に。空気が主の上も下も覆っていた。そして主は水の上に玉座を創られた」。

 わたしは言った。「この話は、すでに言われているように、神(あまねき至高の!)が最初に『ペン』を創られ言われた、『書け!』と。そしてペンは1時間も経たぬ間に仕事に取りかかった。また同様に言われる通り、神はペンを創られ、世界に存在を書き込ませたのちに、麗しき霧が創られたのだ。いま明らかなことは、書くための道具が無ければ書くことはできず、ゆえにペンがあり、そして何か書き付けるものもなくてはならず、それゆえに「守護された碑板」*1がある。それゆえに碑板はペンのあとに現れねばならないのだが、それは神のみぞ知ることだ。あらゆる陳述はそれなくしてはありえない、なぜならばその存在が表現というものの欠くことのできない一部分であると理解されているからだ」

 学識者たちの間でも、神が霧の後に何を創られたかということについては意見の一致を見ていない。アル・ダーハクによればイブン・マザームは、イブン・アッバースに従って、神はお座りになる玉座を創られたとした。しかしほかのものによれば神は玉座を創られる前に、最初に水を創られたと言っている。そしてその上に玉座を置かれたのだと。

 そして神(あまねき至高の!)が、ペンのあとに「椅子」を創られ、そして玉座、それから空気、それから闇、それから水を創られ、そこに玉座を置かれたのだと語られてきたのだ。

 わたしの見方では、この申し立て――アブ・ルザインの預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)に関する伝承から引き出されたことではあるが――水の創造が玉座の創造の前にあったということ、が真実に近いと思われる。語り継がれてきたこと(イブン・ジュバイルがイブン・アッバースに従って言うところ)によれば玉座が創られたときには、水は既に風に乗っていたということである。もしその通りならば、それらは水の前に創られたのだろう。

 あるものによれば、神はペンをほかのあらゆるものが創られる一千年前に創られたということである。

 かれらはまた、神(あまねき至高の!)天と地上の創造を始められた日についても意見を異にしている。アブダラ・イブン・サラーム、カーブ、アル・ターリクそしてムジャヒッドは日曜日に始められたと言う。一方、ムハマッド、イブン・イシャークは(アブ・フライラも同意する)創造は土曜日に始まったという。

 そしてかれらは、それぞれの日に何が創られたかということについても、異る意見を抱いている。アブダラ・イブン・サラームは、神(あまねき至高の!)は日曜に創造を始められ、日曜と月曜に惑星を創られたと話す。それから主は食物と高い山を火曜と水曜、天を木曜と金曜に創られた。主はその創造を金曜の最後の1時間までに終えられて、それからアダム(かれに平和を!)を創られ、それこそが最後の審判の時間ともなることであろう。

 アクラマーによればイブン・アッバースは、神(あまねき至高の!)は世界を創られる二千年も前に、水上の四隅に天空を置かれたと主張している。そして大地はその天空の下に転がり出てきたのだと。

 アブ・サリーとアブ・マリク(イブン・アッバースに従って)、更にムラー・アル・ハマダーニとイブン・マスードに依ったアル・サリイによれば、神(あまねき至高の!)は水の上に玉座を置かれ、水の前には何も創造されなかったという。主は水から蒸気を取り出され、それが水から立ち上ったとき、蒸気は上方に向かってそびえ立ち、主はそれを空と呼んだ。主は水を乾かして大地を創り、2日のうちにそれを7つに分けた、日曜と月曜のことである。主は大地を鯨の上に創られた。主(あまねき至高の!)がクルアーンにおいて「ヌーンとペン」とおっしゃったように、ヌーンと記された鯨の上に。鯨は水の中にあり、水は広く滑らかな石の上にある。石は天使の背中にあり、天使は岩の上にあり、岩は風の中にある、この岩こそがルクマーン*2において述べられているものである。鯨が動くと大地がかき乱され揺れる。こうして神は山をその上に置き、場所を定められたのだ。

 イブン・アッバース、アル・ダーハク、ムジャヒッド、カーブ、そしてほかの多くのものが、神が天と大地を創られた6日間は、何千年にもおよぶものだったと言っている。

 学識者たちは、昼と夜についても意見を異にしている。どちらがその配偶者より先に創られたのかと。夜が昼の前に創られたとするひとたちがいる。一方で昼が先だとするひとたちは、神(あまねき至高の!)ご自身が夜を創るまでは――そこには夜も昼もなかった――主が創られたすべてのものを主の光によって照らしていたのだと理由づけて言う。イブン・マスードは言っている。「主は昼も夜も持たない、天の光は主ご自身のみ面の輝きなのだ」。ウバイド・イブン・ウマイル・アル・ハリシは主張する。「わたしがアリーを訪ねたとき、イブン・アル・カッワが月の暗い部分について尋ねて聞いていた。『消された印なのだ』とアリーは答えた」

 イブン・アッバース預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)によるものとする長い対話の中で、アブ・ジャハールは太陽と月とその運行の創造について語っている。それらはふたつの車輪に載せられていて、それぞれに360の引き手がつけられて、同じ数の天使がそれを引いている。太陽と月は時折この車輪から空と大地の間の海に落下する。これが蝕である。天使はそれを引き揚げる。これが蝕の後の出現であるのだ。*3

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わたしは通りを歩いている、正確にその真ん中を、どこに行くのかを気にかけることもなく。まるで夢遊病者のように。わたしは何も思いつかない、そしてわたしは何も思い到らない。しかしわたしの衝突する感情のなかの怒りは、わたしが無視しているジェット機の叫びよりも高まっている。

 わたしたちにはレバノンが分からなかった。わたしたちはレバノンを分かることはなかった。わたしたちにはレバノンが分からない。わたしたちはレバノンを分かることはない。 

 わたしたちはレバノンで、磨かれた石に映ったわたしたち自身のイメージだけを見ていた――世界がその形状に再創造されるという幻想を、錯覚ではなく空想のための足がかりを。ビデオを撮るようなものだ、筋書きと台詞を書く、脚本をまとめる、俳優を、カメラマンを、監督をそしてプロデューサーを選ぶように、わたしたち自身がその配役のひとりだということにも気づかないまま、役目を割り振っていく。わたしたちは自分たちの顔と血をスクリーンで見て喝采を贈る、それが自分たちが作ったものだということも忘れて。製作過程がポストプロダクションの段階になるまでは、わたしたちを撮っているのは「他者」なのだと信じすぎてしまう。

 異った地点から見る力が、物それ自体の物質性に対して現実を付きつけることを容易にするための何かを見るための力がわたしたちに備わっているのだろうか?わたしたちの道徳とはわたしたちの下部構造だ。別の言い方をすれば、わたしたちはマルクスをかれの頭脳ゆえに必要とし、ヘーゲルを呼び戻して2本の脚で立たせる、サラディンのひとつのテントの入り口でイスラムを抱きしめたマキャベリの計略をもって。

 それがレバノンをそうあらしめる――学ぶことも分かることも困難にさせる理由なのか?それともわたしたちにはレバノンを知るための手だてを、適応のための礼儀以外には持ち合わせていないのか?

 わたしは答えに詰まっていた、自らを困惑に追い込んでいくにつれて。だれもレバノンを分かってなどいないのだ、仮の持ち主もその後ろ盾も、破壊者も建設者も、同盟者も友人も、そこへやってくるものも、あるいはそこから出ていくものも。関節の外れてしまった現実はつかまえられるものではないし、関節の外れてしまった意識もまたつかまえることは叶わないのではないのか?

 わたしは正しい回答など欲しくない、正しい回答が欲しいのと同じくらいに。

 わたしたちはレバノンを、生き残ろうとする本能と偉大なるエジプト人ガマール・アブデル・ナセールによって民族主義的な議論の段階にまで高められた血族関係とによってわたしたちの間に広まった言葉以外では、何も分かってはいない。ナセールは、いまやモザイクとなってしまっているアラブ大陸の住民たちに宛てて、かれらの深い喪失の感覚に向けて、川の土手をそのように名付けることで、そこにある泥――分派主義者と十字軍のクズども――が闇から蘇ってくることを隠しつつ、印象的な演説に乗せて語ったのだった。しかし民族主義者宣言が崩壊したとき、こうした分派主義者たちはかれらのあらかじめ割り当ててあった言葉を押し付けたのだった。*4

 ビデオ。

 わたしたちの実存の偶然性が、アラブ民族主義の議論によって引き起こされた幻影へと姿を変えられていったまさにその時、目にやさしいものだけを見ていたのだ、そして、主流派の代表者が包囲された少数派へと変わるまで徐々に意識から遠のいていくただの約束へと変わってしまう幻影を抱いたのだ。

 ビデオ。

 なぜなら今は預言者の時ではない――孤立が真実の羅針盤に姿を変えうる時でも、少数派(多数派の計画の残りのものだ)が導きの灯りと変わる時でもないからだ。

 ビデオ。

 なぜなら1967年6月戦争は、アラブ主義の終焉をうまくやってのけ、アラブの政治権力(戦争をでっち上げることを助けた)を、ひとびとの復讐心に基づいた代案の初期段階であることよりも、取り返すことのできない怒りを無力化することの言い訳へとその姿を変えさせてしまったからだ。こうしてかれらはその逸脱を地域主義と分派主義へと固めてしまったのだ。

 ビデオ。

 なぜならシドン侯――妹、妹ではなく姪だったかもしれないが、をイスラムに差し出すための教皇の特免状を待っていた――は、アクレを包囲下に置いていたイギリス軍に対する純粋な同盟者としては適任ではなかったからだ。

 ビデオ。

 なぜなら戦争の終わりを保証する平和条約の署名に伴なった中心の崩壊は、問題の核心に対する攻撃に乗り出すためのちゃらちゃらした言い訳を与え、それが原因を不一致と不和という結果へと変えてしまったからだ。*5

 ビデオ。

 なぜならアラブとフランク王国の間での、海岸から山へかけての土地の分割は、一般的な条件において、アラビの手中にいかなる砦や城を残すことを保証したものではなく、むしろ敵に小休止を与え、規則の例外を遷移していくための認可する原型の確立を可能にしてしまうものだったからだ*6

 ビデオ。

 なぜならこのアラビアの肋骨、折れてしまった肋骨、が法廷に召喚され、アラブ地域で広めることを否定されている言葉を巡らせることで王座の安楽を侵した罪によって告発されてしまったからだ。女、反対、本、政党、議会、自由、豚肉、民主主義、共産主義世俗主義といった言葉で。

 ビデオ。

 なぜならパレスチナは、故郷の土地からスローガンへとその姿を変えられてしまっているからだ。行動によってではなく、出来事に関する声明を作るための、クーデター産業――重かれ軽かれ――の宣言を飾り立てるための道具として使われることによって。カリフの最後の女の子孫の結婚までの間は。

 境界線上で、境界線上で戦争は宣言される。

 このようにして、わたしたちはレバノンでは何ものも見ることはないであろう、ただかき立てられた希望――魂の小さな島の上の孤海への攻撃に伴なわれ、閉ざされた貝の約束に対するかれらの勇敢なる絶望からの防衛から立ち現われた――英雄的行為の目撃を別にすれば。名前たちはどんどん狹く、狹くなり、縮んでいくのだ。大海からアラビア湾まで広がった偉大なアラブの故国から、もっと限定されたものへと。シャルム・エル・シェイクヘルモン山ヨルダン川西岸、ナブルスの女学校、ガザのシュジャイヤ地区、サマーン回廊、ベイルートのアサード・アル・アサード通り、シナイのタバ・ホテル、ビル・アル・アベドがここに、シャディーラ難民キャンプ、空港のロータリー、砂漠か海の向こうの最後のバリケード

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 あなたがたの手よ神聖であれ、最後の石と最後の残り火を握りしめたその手が。

 あなたがたの手よ神聖であれ、孤児となった海の廃墟からその力のみで山を浮上させるのだ。

 そしてあなたがたの焦げた影が新たなる生命を生み出す不死鳥の灰へと変わりますように、その灰とあなたたちから生まれくる子のための秣箱が創られるますように。

 そしてあなたがたの名が、あなたがたの歩みの下に広がる平原――大麦や小麦が盗まれた土へと戻る道を見つけるところ――に甘いバジルを芽生えさせるますように。

 あなたがたは寛大な血でこねられて形造られた月の如くわたしたちの中に上るもの、敵の前線を越えて逃げてきた砦の守り手に呼びかけるが、木霊のほかに応えるものはない。

 あなただけしかいない!

 あなたたちの歩み――それ以上にもそれ以下にも進まない歩み――の痕跡から、わたしたちは詩人が燧石の上で疾走する蹄から飛び散る閃光を集めるが如く、今や争いの中にある散らばった島々を集めるのだ。

 そしてわたしたちの上に今降りしきる金属の鷹の羽の天蓋から、わたしたちは部族たちにその名の限界を示すことだろう。

 あなただけ!

 そして守るのだ、あなたがするように、この狭い自然――窓からは見えぬ開かれた場所のように狭い――で心を鈍らせようとするものへの辛辣な歌を。

 あなただけ!

 あなたの後ろは、海。あなたの前は、海。あなたの右は、海。あなたの左は、海。その手に握られた大地それ自体である岩のほかに、固き大地はない。

 あなただけ!

 それから、持ちあげよ、別の100の都市をこのライフルの撃鉄の上に。そして古い街々をその馬小屋から、砂漠のでたらめな馬鹿のテントで育つ蝗の支配から救出せよ。

 わたしたちに道を示せ、わたしたちの死体ではない死体の重荷とわたしたちの言葉ではない言葉から垂れ下がる腐乱した果実を取り除く道を。そしてわたしたちは自らの歩みを追うだろう。わたしたちからアイデンティティーと生き方を奪ったカエサルのものではなく。

 わたしたちにとって、死は、死それ自体の死しか残されていない。

 あなただけ!

 あなたたちは意味の混乱に抗いこの沿岸の家系を護る。その歴史は従順に創られるべきではない。そして、その場所とは相続されるだけの単なる不動産なのだ。

 あなたがたの手よ神聖であれ、最後の石と最後の残り火を握りしめたその手が!

   ==========

  ――さようなら、先生
  ――どこへ?
  ――狂気へ
  ――どの狂気?
  ――あらゆる狂気へ、わたしがことばにこめた

   ==========

*1:訳注;クルアーンを指す

*2:訳注;クルアーン31章のこと

*3:イブン・アル・アティール「完結した歴史」から、英訳者による訳

*4:ここで著者は、民族主義者宣言という言葉を、ナセール大統領によって宣言されたアラブ連合の意味で使っている。1970年のかれの死をもって民族主義者宣言は崩壊した。多くのアラブ知識人は1967年の6月戦争はナセルのエジプトだけではなく、民族主義者宣言にも大きな打撃を与えたと考えている。著者がアラブの政治権力が「戦争のでっち上げを助けた」と書いているのは、そのなかのだれひとりとして、当時も、そして今もこの宣言に署名してはいないという理由による

*5:平和条約とは、エジプトのアンワル・サダートとイスラエルメナヘム・ベギンによるキャンプ・デービッド合意を指す。これによってファランジスト―イスラエル連合による「問題の核心」、つまりはパレスチナ人、に対する攻撃の道が開かれた

*6:フランク王国」という言葉は基本的には「ヨーロッパ人」を意味する。アラブ人はアラブ世界を侵略しに来たヨーロッパ人に対するいささか軽蔑を込めた気持ちでこの言葉を用いる。この用法はおそらく十字軍の時期に由来し、この章で重点的に示されているのは、著者が十字軍によるアラブの土地の分割(レバノンパレスチナでの)に対するアラブ側の和解案について述べているからである。本書のこれ以降においても同様であり、アラブの土地の異邦人による占領の暗喩として用いられている