『忘却症のための記憶』(5)

 通り。午前7時。地平線には鉄でできた巨大な卵。だれにこの無垢な沈黙を伝えるべきか?通りは広くなっていく。わたしはゆっくりと歩く。ゆっくりと。わたしはゆっくりと歩く。ゆっくりと。ジェット機がわたしを捉え損ねないように。空虚が顎を開けている。しかしわたしを呑み込もうとはしない。わたしは目的もないまま動く。始めてこの通りにやってきて、ここを歩くのはこれが最後であるかのように。一方的なさよならだ。わたしは葬列に加わって歩くものだ、自分自身の葬列を歩くものだ。

 一匹の猫すらいない。猫を見つけることができたのならよかったのに。悲しみはない。喜びはない。始まりはない。終わりはない。怒りはない。満ち足りはない。記憶はない。夢はない。過去はない。明日はない。音はない。沈黙はない。戦争はない。平和はない。生はない。死はない。エスはない。ノーもない。波は遥か彼方の岸の岩の苔と結婚し、わたしはその、百万年にもわたって続く結婚から現れてきたものだ。わたしは現れた、わたしがどこにいたのかも知らぬまま。わたしの名前を、この場所の名前を、わたしは知らなかった。わたしに肋骨の一本を抜き取り、この絶対的な沈黙の対話の脚本を明かす力があるのか、わたしは知らなかった。わたしの名前は何だ!だれがわたしに名前を与えた!だれがわたしをアダムと呼ぶというのか?

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……そして神は「ペン」を創られ命じられた、審判の日まで残るであろうあらゆる存在を書き留めよと。それから繊細なる雲を創られた――その霧は預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)がアブ・ルザイン・アル・ウカージに「主は創造を始められる以前にはどこにいらしたのですか?」と尋ねたときに述べたものである。そしてかれは答えた、「麗しき霧の中に。空気が主の上も下も覆っていた。そして主は水の上に玉座を創られた」。

 わたしは言った。「この話は、すでに言われているように、神(あまねき至高の!)が最初に『ペン』を創られ言われた、『書け!』と。そしてペンは1時間も経たぬ間に仕事に取りかかった。また同様に言われる通り、神はペンを創られ、世界に存在を書き込ませたのちに、麗しき霧が創られたのだ。いま明らかなことは、書くための道具が無ければ書くことはできず、ゆえにペンがあり、そして何か書き付けるものもなくてはならず、それゆえに「守護された碑板」*1がある。それゆえに碑板はペンのあとに現れねばならないのだが、それは神のみぞ知ることだ。あらゆる陳述はそれなくしてはありえない、なぜならばその存在が表現というものの欠くことのできない一部分であると理解されているからだ」

 学識者たちの間でも、神が霧の後に何を創られたかということについては意見の一致を見ていない。アル・ダーハクによればイブン・マザームは、イブン・アッバースに従って、神はお座りになる玉座を創られたとした。しかしほかのものによれば神は玉座を創られる前に、最初に水を創られたと言っている。そしてその上に玉座を置かれたのだと。

 そして神(あまねき至高の!)が、ペンのあとに「椅子」を創られ、そして玉座、それから空気、それから闇、それから水を創られ、そこに玉座を置かれたのだと語られてきたのだ。

 わたしの見方では、この申し立て――アブ・ルザインの預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)に関する伝承から引き出されたことではあるが――水の創造が玉座の創造の前にあったということ、が真実に近いと思われる。語り継がれてきたこと(イブン・ジュバイルがイブン・アッバースに従って言うところ)によれば玉座が創られたときには、水は既に風に乗っていたということである。もしその通りならば、それらは水の前に創られたのだろう。

 あるものによれば、神はペンをほかのあらゆるものが創られる一千年前に創られたということである。

 かれらはまた、神(あまねき至高の!)天と地上の創造を始められた日についても意見を異にしている。アブダラ・イブン・サラーム、カーブ、アル・ターリクそしてムジャヒッドは日曜日に始められたと言う。一方、ムハマッド、イブン・イシャークは(アブ・フライラも同意する)創造は土曜日に始まったという。

 そしてかれらは、それぞれの日に何が創られたかということについても、異る意見を抱いている。アブダラ・イブン・サラームは、神(あまねき至高の!)は日曜に創造を始められ、日曜と月曜に惑星を創られたと話す。それから主は食物と高い山を火曜と水曜、天を木曜と金曜に創られた。主はその創造を金曜の最後の1時間までに終えられて、それからアダム(かれに平和を!)を創られ、それこそが最後の審判の時間ともなることであろう。

 アクラマーによればイブン・アッバースは、神(あまねき至高の!)は世界を創られる二千年も前に、水上の四隅に天空を置かれたと主張している。そして大地はその天空の下に転がり出てきたのだと。

 アブ・サリーとアブ・マリク(イブン・アッバースに従って)、更にムラー・アル・ハマダーニとイブン・マスードに依ったアル・サリイによれば、神(あまねき至高の!)は水の上に玉座を置かれ、水の前には何も創造されなかったという。主は水から蒸気を取り出され、それが水から立ち上ったとき、蒸気は上方に向かってそびえ立ち、主はそれを空と呼んだ。主は水を乾かして大地を創り、2日のうちにそれを7つに分けた、日曜と月曜のことである。主は大地を鯨の上に創られた。主(あまねき至高の!)がクルアーンにおいて「ヌーンとペン」とおっしゃったように、ヌーンと記された鯨の上に。鯨は水の中にあり、水は広く滑らかな石の上にある。石は天使の背中にあり、天使は岩の上にあり、岩は風の中にある、この岩こそがルクマーン*2において述べられているものである。鯨が動くと大地がかき乱され揺れる。こうして神は山をその上に置き、場所を定められたのだ。

 イブン・アッバース、アル・ダーハク、ムジャヒッド、カーブ、そしてほかの多くのものが、神が天と大地を創られた6日間は、何千年にもおよぶものだったと言っている。

 学識者たちは、昼と夜についても意見を異にしている。どちらがその配偶者より先に創られたのかと。夜が昼の前に創られたとするひとたちがいる。一方で昼が先だとするひとたちは、神(あまねき至高の!)ご自身が夜を創るまでは――そこには夜も昼もなかった――主が創られたすべてのものを主の光によって照らしていたのだと理由づけて言う。イブン・マスードは言っている。「主は昼も夜も持たない、天の光は主ご自身のみ面の輝きなのだ」。ウバイド・イブン・ウマイル・アル・ハリシは主張する。「わたしがアリーを訪ねたとき、イブン・アル・カッワが月の暗い部分について尋ねて聞いていた。『消された印なのだ』とアリーは答えた」

 イブン・アッバース預言者(神の守護と許しがかれの救済にあれかし!)によるものとする長い対話の中で、アブ・ジャハールは太陽と月とその運行の創造について語っている。それらはふたつの車輪に載せられていて、それぞれに360の引き手がつけられて、同じ数の天使がそれを引いている。太陽と月は時折この車輪から空と大地の間の海に落下する。これが蝕である。天使はそれを引き揚げる。これが蝕の後の出現であるのだ。*3

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わたしは通りを歩いている、正確にその真ん中を、どこに行くのかを気にかけることもなく。まるで夢遊病者のように。わたしは何も思いつかない、そしてわたしは何も思い到らない。しかしわたしの衝突する感情のなかの怒りは、わたしが無視しているジェット機の叫びよりも高まっている。

 わたしたちにはレバノンが分からなかった。わたしたちはレバノンを分かることはなかった。わたしたちにはレバノンが分からない。わたしたちはレバノンを分かることはない。 

 わたしたちはレバノンで、磨かれた石に映ったわたしたち自身のイメージだけを見ていた――世界がその形状に再創造されるという幻想を、錯覚ではなく空想のための足がかりを。ビデオを撮るようなものだ、筋書きと台詞を書く、脚本をまとめる、俳優を、カメラマンを、監督をそしてプロデューサーを選ぶように、わたしたち自身がその配役のひとりだということにも気づかないまま、役目を割り振っていく。わたしたちは自分たちの顔と血をスクリーンで見て喝采を贈る、それが自分たちが作ったものだということも忘れて。製作過程がポストプロダクションの段階になるまでは、わたしたちを撮っているのは「他者」なのだと信じすぎてしまう。

 異った地点から見る力が、物それ自体の物質性に対して現実を付きつけることを容易にするための何かを見るための力がわたしたちに備わっているのだろうか?わたしたちの道徳とはわたしたちの下部構造だ。別の言い方をすれば、わたしたちはマルクスをかれの頭脳ゆえに必要とし、ヘーゲルを呼び戻して2本の脚で立たせる、サラディンのひとつのテントの入り口でイスラムを抱きしめたマキャベリの計略をもって。

 それがレバノンをそうあらしめる――学ぶことも分かることも困難にさせる理由なのか?それともわたしたちにはレバノンを知るための手だてを、適応のための礼儀以外には持ち合わせていないのか?

 わたしは答えに詰まっていた、自らを困惑に追い込んでいくにつれて。だれもレバノンを分かってなどいないのだ、仮の持ち主もその後ろ盾も、破壊者も建設者も、同盟者も友人も、そこへやってくるものも、あるいはそこから出ていくものも。関節の外れてしまった現実はつかまえられるものではないし、関節の外れてしまった意識もまたつかまえることは叶わないのではないのか?

 わたしは正しい回答など欲しくない、正しい回答が欲しいのと同じくらいに。

 わたしたちはレバノンを、生き残ろうとする本能と偉大なるエジプト人ガマール・アブデル・ナセールによって民族主義的な議論の段階にまで高められた血族関係とによってわたしたちの間に広まった言葉以外では、何も分かってはいない。ナセールは、いまやモザイクとなってしまっているアラブ大陸の住民たちに宛てて、かれらの深い喪失の感覚に向けて、川の土手をそのように名付けることで、そこにある泥――分派主義者と十字軍のクズども――が闇から蘇ってくることを隠しつつ、印象的な演説に乗せて語ったのだった。しかし民族主義者宣言が崩壊したとき、こうした分派主義者たちはかれらのあらかじめ割り当ててあった言葉を押し付けたのだった。*4

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 わたしたちの実存の偶然性が、アラブ民族主義の議論によって引き起こされた幻影へと姿を変えられていったまさにその時、目にやさしいものだけを見ていたのだ、そして、主流派の代表者が包囲された少数派へと変わるまで徐々に意識から遠のいていくただの約束へと変わってしまう幻影を抱いたのだ。

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 なぜなら今は預言者の時ではない――孤立が真実の羅針盤に姿を変えうる時でも、少数派(多数派の計画の残りのものだ)が導きの灯りと変わる時でもないからだ。

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 なぜなら1967年6月戦争は、アラブ主義の終焉をうまくやってのけ、アラブの政治権力(戦争をでっち上げることを助けた)を、ひとびとの復讐心に基づいた代案の初期段階であることよりも、取り返すことのできない怒りを無力化することの言い訳へとその姿を変えさせてしまったからだ。こうしてかれらはその逸脱を地域主義と分派主義へと固めてしまったのだ。

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 なぜならシドン侯――妹、妹ではなく姪だったかもしれないが、をイスラムに差し出すための教皇の特免状を待っていた――は、アクレを包囲下に置いていたイギリス軍に対する純粋な同盟者としては適任ではなかったからだ。

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 なぜなら戦争の終わりを保証する平和条約の署名に伴なった中心の崩壊は、問題の核心に対する攻撃に乗り出すためのちゃらちゃらした言い訳を与え、それが原因を不一致と不和という結果へと変えてしまったからだ。*5

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 なぜならアラブとフランク王国の間での、海岸から山へかけての土地の分割は、一般的な条件において、アラビの手中にいかなる砦や城を残すことを保証したものではなく、むしろ敵に小休止を与え、規則の例外を遷移していくための認可する原型の確立を可能にしてしまうものだったからだ*6

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 なぜならこのアラビアの肋骨、折れてしまった肋骨、が法廷に召喚され、アラブ地域で広めることを否定されている言葉を巡らせることで王座の安楽を侵した罪によって告発されてしまったからだ。女、反対、本、政党、議会、自由、豚肉、民主主義、共産主義世俗主義といった言葉で。

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 なぜならパレスチナは、故郷の土地からスローガンへとその姿を変えられてしまっているからだ。行動によってではなく、出来事に関する声明を作るための、クーデター産業――重かれ軽かれ――の宣言を飾り立てるための道具として使われることによって。カリフの最後の女の子孫の結婚までの間は。

 境界線上で、境界線上で戦争は宣言される。

 このようにして、わたしたちはレバノンでは何ものも見ることはないであろう、ただかき立てられた希望――魂の小さな島の上の孤海への攻撃に伴なわれ、閉ざされた貝の約束に対するかれらの勇敢なる絶望からの防衛から立ち現われた――英雄的行為の目撃を別にすれば。名前たちはどんどん狹く、狹くなり、縮んでいくのだ。大海からアラビア湾まで広がった偉大なアラブの故国から、もっと限定されたものへと。シャルム・エル・シェイクヘルモン山ヨルダン川西岸、ナブルスの女学校、ガザのシュジャイヤ地区、サマーン回廊、ベイルートのアサード・アル・アサード通り、シナイのタバ・ホテル、ビル・アル・アベドがここに、シャディーラ難民キャンプ、空港のロータリー、砂漠か海の向こうの最後のバリケード

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 あなたがたの手よ神聖であれ、最後の石と最後の残り火を握りしめたその手が。

 あなたがたの手よ神聖であれ、孤児となった海の廃墟からその力のみで山を浮上させるのだ。

 そしてあなたがたの焦げた影が新たなる生命を生み出す不死鳥の灰へと変わりますように、その灰とあなたたちから生まれくる子のための秣箱が創られるますように。

 そしてあなたがたの名が、あなたがたの歩みの下に広がる平原――大麦や小麦が盗まれた土へと戻る道を見つけるところ――に甘いバジルを芽生えさせるますように。

 あなたがたは寛大な血でこねられて形造られた月の如くわたしたちの中に上るもの、敵の前線を越えて逃げてきた砦の守り手に呼びかけるが、木霊のほかに応えるものはない。

 あなただけしかいない!

 あなたたちの歩み――それ以上にもそれ以下にも進まない歩み――の痕跡から、わたしたちは詩人が燧石の上で疾走する蹄から飛び散る閃光を集めるが如く、今や争いの中にある散らばった島々を集めるのだ。

 そしてわたしたちの上に今降りしきる金属の鷹の羽の天蓋から、わたしたちは部族たちにその名の限界を示すことだろう。

 あなただけ!

 そして守るのだ、あなたがするように、この狭い自然――窓からは見えぬ開かれた場所のように狭い――で心を鈍らせようとするものへの辛辣な歌を。

 あなただけ!

 あなたの後ろは、海。あなたの前は、海。あなたの右は、海。あなたの左は、海。その手に握られた大地それ自体である岩のほかに、固き大地はない。

 あなただけ!

 それから、持ちあげよ、別の100の都市をこのライフルの撃鉄の上に。そして古い街々をその馬小屋から、砂漠のでたらめな馬鹿のテントで育つ蝗の支配から救出せよ。

 わたしたちに道を示せ、わたしたちの死体ではない死体の重荷とわたしたちの言葉ではない言葉から垂れ下がる腐乱した果実を取り除く道を。そしてわたしたちは自らの歩みを追うだろう。わたしたちからアイデンティティーと生き方を奪ったカエサルのものではなく。

 わたしたちにとって、死は、死それ自体の死しか残されていない。

 あなただけ!

 あなたたちは意味の混乱に抗いこの沿岸の家系を護る。その歴史は従順に創られるべきではない。そして、その場所とは相続されるだけの単なる不動産なのだ。

 あなたがたの手よ神聖であれ、最後の石と最後の残り火を握りしめたその手が!

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  ――さようなら、先生
  ――どこへ?
  ――狂気へ
  ――どの狂気?
  ――あらゆる狂気へ、わたしがことばにこめた

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*1:訳注;クルアーンを指す

*2:訳注;クルアーン31章のこと

*3:イブン・アル・アティール「完結した歴史」から、英訳者による訳

*4:ここで著者は、民族主義者宣言という言葉を、ナセール大統領によって宣言されたアラブ連合の意味で使っている。1970年のかれの死をもって民族主義者宣言は崩壊した。多くのアラブ知識人は1967年の6月戦争はナセルのエジプトだけではなく、民族主義者宣言にも大きな打撃を与えたと考えている。著者がアラブの政治権力が「戦争のでっち上げを助けた」と書いているのは、そのなかのだれひとりとして、当時も、そして今もこの宣言に署名してはいないという理由による

*5:平和条約とは、エジプトのアンワル・サダートとイスラエルメナヘム・ベギンによるキャンプ・デービッド合意を指す。これによってファランジスト―イスラエル連合による「問題の核心」、つまりはパレスチナ人、に対する攻撃の道が開かれた

*6:フランク王国」という言葉は基本的には「ヨーロッパ人」を意味する。アラブ人はアラブ世界を侵略しに来たヨーロッパ人に対するいささか軽蔑を込めた気持ちでこの言葉を用いる。この用法はおそらく十字軍の時期に由来し、この章で重点的に示されているのは、著者が十字軍によるアラブの土地の分割(レバノンパレスチナでの)に対するアラブ側の和解案について述べているからである。本書のこれ以降においても同様であり、アラブの土地の異邦人による占領の暗喩として用いられている