『忘却症のための記憶』(10)

それでも鳥は血の籠から立ち上がって、わたしにその約束を尋ねはじめる。「わたしは籠の中の開かれた場所にいるのですか?」

 わたしはベイルートを通り過ぎて、羽根でできた籠を見る。1980年のことだ。わたしの詩は挑発的で冷笑的だった。わたしはただのよそものになっていた。

  ――おれは間違いを犯したのか?
  ――ああ、いっぱい
  ――ここから出ていけ!
  ――戦争は終わったのか?
  ――征服者はみんな去った、そして故郷は生まれ変わったのさ
  ――どこへ戻ればいい?
  ――あんたの国へ
  ――おれの国ってどこだ?
  ――アラブ諸国の中さ
  ――で、パレスチナは?
  ――平和がかの女をのみこんだ

 わたしはただのよそものになっていた。パリで何をしたらいい?あなたがベイルートでそうするようにいつまでロンドンにいればいい?あなたがベイルートにとどまるかぎり。

  教えてくれ――ベイルートに何があった?
  かれは言う――強くなったのさ。
  わたしは尋ねる――アラブ主義がかの女に勝ったのか、それとも……?
  かれは言う――どちらでもないよ。この地域に吹く風が勝ったのさ、かの女は水の中の島でも砂漠のオアシスのそれでもなかったんだから。元にいたところへ帰れ、ここの街はおまえを拒否しているんだから。

 そしてわたしはただのよそものになっていた。

 いったい何度わたしの不平不満を抱いたことか――どうしてレバノンの故郷はパレスチナと置き換えできないのか?どうしてエジプトのパンの一斤はパレスチナと置き換えできないのか?どうしてシリアの屋根の一枚がパレスチナと置き換えできないのか?どうしてパレスチナパレスチナと置き換えできないのか?

 どれほどここでよそものの気分を味わったことか、1980年の春に!風が警告する、空港への道が警告する、そして海が何かを警告する。そしてわたしはただのよそものになっていた。

 壁の上で政府のプラカードが、殉教者の写真と、新しいハイウェイの道標の上に故郷と一緒に掲げられた言葉をいまでも齧っている。ベイルートはこの道を通ってきたのだ。わたしは、南からやってきた政府の身分証明証を食べてしまった少女を待っていた。そしてかの女が政府を称える歌を歌っているのに気づき、かの女を宴へと連れていくための装甲車を待っている。

 故郷とはこういうものか。

 ベイルートは王位に就いた、発明品の美と、雄弁と、ベイルートがこの道を通ってくるときに逆らった約束事とともに。四年戦争を照らしていた不均衡への帰還が、いまやありふれた野望となる。ベイルートはいま一度、それが逆らっていた故郷の言葉になった。そうだろ?そうだろ?そうだろう?そしていま、唐突に、平和が南部を統べた。流血の連なるパレスチナと結ばれた地域を別にして。平和が南部を統べるだろう、パレスチナさえなければ。

 わたしはベイルートが南部を思って泣くのを見た。わたしは知識人や政府が南部を思って泣くのを見た、ということだ。突然かれらはベイルートレバノンの首都であり、南部がレバノンに属していることを思い出したのだ。そしてわたしは、かれらが南部のことを、ジェット機がその場を焼き払っていた間は忘れていたということを覚えている。ハダッドランドが設立される前は、かれらはカフェやバーに腰かけ、ビールを飲みながらビアフラの苦難を嘆いていたのだ。*1この時期故郷という概念が、故郷には国境がないことを認めるイスラエル人たちを苛立たせていた。故郷とは義務を意味し、義務とは南部をイスラエルの戦車やジェット機から防衛することを意味したのだ。そして、故郷という概念の中に、家というものは必要なくなった。

  ――何か新しいことあったか、友だちよ?
  ――豪華な建物が南部からの難民でいっぱいさ。で難民は家賃を払わないんだ
  ――何が新しいんだよ、友だちよ?

 新しい痛みが古い痛みを押しやり、新しい問題が古い問題を追いやってしまう。そしてあなたはただのよそものだ。

 こんな問いかけが、古いものと古い故郷を新しいものに置き換えようとする新しい均衡を求めるベイルートの軽蔑を目覚めさせてしまう。海流は、自分がそこからやってきた貝殻を探し求め、そしてひとは信じるものを死んじる権利を持つ限りにおいてのみ、ひとを責める権利を持つ。かれらは、約束のための戦争が終わり、国家当局の建物の建設が始まったのだと声を荒げる。しかし、鏡はもう、ただその前にあるものを映し出すだけだ。

 そして、まさにこの空が籠になる。

   ==========

そのすべてを超えて、あなたは白くあらねばならぬ――自由と生命それ自体より大切な何かがあるとしたら。それは何だ?

 白さだ。

博物学者の語るところによれば、白貂という、美しい純白の毛皮を有する小獣がいるが、猟師たちはこれを捕まえるとき次のような策を用いるそうだ。つまり、まず白貂がよくやってくるところ、よく通る場所をたしかめて、そのあたりを泥でせきとめてしまう。そうした上で白貂をおびきだし、そちらの方へ追いつめる。すると泥に阻まれた白貂は立ち止まり、泥のなかに踏みこんで自分の白い体をけがすよりはと、猟師に捕まるがままになるという。言うまでもなく、毛皮の白さを、自由や生命よりも大切にしているからさ。*2

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 爆弾には孫がいるのか?わたしたちだ。

 榴散弾の破片には祖父母がいるのか?わたしたちだ。

 そして沈黙が、見物人の沈黙が、倦怠へと変わる。いつ英雄が砕くのだ?いつかれは砕くのか、驚嘆と日常の行ったり来たりに避け目を入れるのか?英雄的行為は、その場面があまりに長くなって最初の興奮が薄れていくとき、倦怠を招く。この英雄的行為それ自体の問題が、主義主張ややかましい声援に縛られることのない普通のひとびとの中にだけ残っている、人生の文脈における倦怠の源流に至るまで引き延ばされてきたのではないのか?倦怠の地点にまで押しやられることで、そしてアラブの指導者たちは英雄的行為の方に顔を向けつつ、悲惨さの理由を訴えることができるのだ――パレスチナ人には責任があるのだ。畑から小麦が消えたことに対して。宝石と牢獄を戴いた建築の繁栄に対して。農業に代わって、普通の市民ならば支払うのに人生を2度生きなくてはならないほどの負債の状態の重みに縛られ、個人的な消費に関する心配で体重を減らしてしまった新しい階級、新しい金持ちの腹以外の何ひとつ産み出すことのない産業への転換に対して、責任があるのだと。

 エジプトはこの至福の状態を試してきた。パンを約束する蜃気楼の平和がパレスチナという税から解放され、殉教者たちに家族の元への安全な帰還とソラマメよりもましな食事を約束し、華やかに彩られた婚約の日々が、新婚の巣を求める不可能な捜索が終わるまで引き延ばされ、そして飢えはますます飢えたものとなる。そしてサダトは「平和の代わりに何を得られるのだ?」と問うものをみな牢獄に送り込んだ、自分自身の護衛の階級の若者が、ファラオと平和と蜃気楼それ自体を撃つために向けられやってくるまでは。

 そしてほかのものたちはどうなのだ?かれらはかれらの提案を学び、サダトの演説者の演壇への情熱を投げ捨てて、忍耐強く整然と、アラブ人の胃をアメリカ人の申し分ない体調に結びつけることを求めている、既成事実としての平和を先送りにする。かれらはアラブ人の胃を、人質と、英雄的行為の主題に反対する武器と沈黙で宣戦された戦いに変えてしまった。そして、少々当惑しつつ、かれらはイスラエル人を待っている、すべてのひとの代表として。この英雄的行為の舞台を、そしてこの雄弁の新たな形の演壇を焼き払うために。英雄的行為は倦怠をも招くのだ。もう充分だ!そしてかれらはこの倦怠を売り買いするやり方をどれほど変えてしまったのか。未来の時を待つのだと唱えるものがいる、わたしたちに戦争か平和かの状況を規定する権利を保証する、外からやってくる魔法の杖の意図によって、力の均衡がわたしたちの望むようになる時を。別のものは、終末を急がせようと望み、アメリカの船から今すぐ無条件で去るように助言してくる。さらにわたしたちの劇場をあたかも自分たちのものであったかのように乗っ取ろうとして、わたしたちに集団自殺を図るよう促してくるものもいるのだ。

 もう充分だ!いつまでやつらは抵抗してるんだ?死ぬかベイルートから出ていくかしろ。いつまでやつらは、アメリカのテレビドラマを死体で中断させて、アラブ人の夕べを台無しにする気なんだ?いつまでやつらは休暇の季節のピークに、ワールドカップの時期に、戦いを続けて蛙のような醜い腹を膨らませるつもりなんだ?おれたちに受難と恥辱が回ってくる前にやつらを一掃しろ!この喜劇をやめさせろ!こうした上品な同情に威厳どけられた賢いひとびとは、この倦怠の舞台を描いた絵画にさえも深い興味を示す――「希望なんかないとかれらは気づく時だ。アラブ人からの希望なんてない――生きる価値などない国なのだ。指導者の幻想の中だけの国なのだ!これは負け戦で、かれらはその血をいつかのために取っておくべきなのだ」

 沈黙は、歴史の祝杯を空にするすべてのものによって玉座に就かされた。飾り立てられた馬が戦場に出るのは征服の季節だけだ。変わることのない話が言葉の疎外を待ち望み、わたしたちの背後に横たわる。変わることのない話が、弁士が演壇の玉座に登ってからというもの言葉の上に積み重なった錆をさらに重ねていく。変わることのない話が、切り離されて自分たちの間で争っているひとびとの話の上で届けられていった。この大きさで、かくも混沌に満ちたひとつの都市に、自分で別の名前をつけさせる時間を認める権利があるというのか?出来上がった絵の上に落書きをする権利があるというのか?よく囲まれた衝突の柵に近づき、敵の近隣という異なったルールを押しつける権利があるというのか?これこそがかれらの名前であり、かれらの題名「敵の近隣」。この場合は「ベイルートに死を!」というのが、従順の幾何学の外側に横たわった、この最後の通りの住所であるのだ。

 かれらは飽きた。飽きてしまった。待つということはずっと遠くへと行ってしまった、渇ききったアラビアのナツメヤシの木――集めたり貯めたるするより埋めてしまおうとする相続人の前に垂れ下がった――に成った熟れた果実にぶら下がる最後の意味の落下とともに。いつやつらはこの狂気を止めるのだ?いつやつらはいなくなるのだ?いつやつらは不明瞭な砂の向こうに消えていくのだ?やつらが倒れるときはおれたちが倒れるように、それはしかし健全な違いをもって?おれたちは玉座につまづく、やつらが棺につまづく間に、こだまする敗北から玉座へと直接向かおうとするときに。

 倦怠の小刻みな震えには、叡智とどこか似たところがある――わたしたち、そう、わたしたちは戦いの場所とその正解を決定するものなのだ、そしてわたしたちは苦難の時のさなかにしか武器を使うことはない。だれが苦難の時とはどんなものであるかなどと知るものか、そして苦難がこの快適な余暇の中にこそ棲まうものだということも。かれらはわたしたちよりも自分でよく分かっているのだ。怒りの湧き上がる街区や通りからそれはやってくるのだと。しかし何がひとびとを怒らせるのか?わたしたちはかれらの指導者をからかい、一方でかれらの冷淡さを許し、不治の病を治す希望それ自体を待ち望むことに病みつきになってしまっていたのだ。

 この大陸にはノーの言い方を知るものはだれもいないのか?だれもいない?だれも。

 国防大臣はシャンペンの泡を楽しんでいた、殺人者の仲間内で、テル・アル・ザータールの包囲が強化されたとの報せが飛び込んだ時に。ベイルートの包囲が強化された時には、かれらはどうやって楽しむのだろうか?かれらがプールを囲んでいる写真を見た――8月は暑くないのだろうか?そして、重装備で疲労困憊になった護衛兵が、膝まで垂れた笑みを安全に戻そうとして口をぽっかり開けているご主人さまたちの周りに集まっているのを見た。通行人の視線とベイルートの包囲から安全であるために。

 しかしわたしは、騒々しいアラブ人のデモによって、サッカーの試合で偏った判定をする審判に対して抗議の声を噴き出すほかのひとたちのようには、怒っているわけではない――サッカーが長きにわたるベイルートの抵抗以上に熱狂に火をつけるという理由だけではなく、ずっと抑えつけられてきたさまざまな源泉から噴出するアラブ人の胸中が、爆発することを許される地点をそこに見つけるからだ。*3サッカーの中にかれらは戦争の怒りを見いだす、物理的に国家を脅かすことのない戦争の――必ず休戦によって終わらねばならない45分間の士気の紛争、相手側で戦うときは(必要な士気と大衆の支持によってその兵器庫を満たして)隊列を組み直し、攻防戦を張り直し、国際社会で禁止された武器の使用を許可された国際部隊の監督下で戦いを再開する。戦場においてもどこにおいても厳格に管理されたこの限定された戦争は、そしてどちらの国の境界線をも侵すことなく終わる――エルサルバドルホンジュラスの間のような稀な場合を別にすれば。このケースでは国連安全保障理事会が国際的均衡を調整し、強制的に解決案を提出した。*4

 そしてわたしはサッカーを愛しているから、この対照にほかのひとがそうであるほどには怒りを覚えはしないのだ。ベイルートの包囲は、たったひとつのアラブ人によるデモさえかき立てはしなかった、一方でサッカーの試合についてならば、包囲の間にも多くのデモがあったというのに。なぜそういう場合ではないとでもいうのだろうか?サッカーは、支配者とアラブの民主主義――それは囚人と守衛を一緒に破壊すると脅してくるものなのだが――の牢獄の独房の中で支配されるものとの間の秘密の了解によって許された、表現の領域なのだ。ゲームは呼吸するための場所を表し、粉々になった故郷に、共有される何かをひとつに繋ぎ止める機会を許す、そしてその中で、双方のチームにとって、合意は境界線や関連する状況についてはっきりと定義されているのだ、たとえいかなる悪質なほのめかしが忍び込もうとも、そしていかなる抑圧された意味を観衆がゲームに投影しようとも。故郷は、あるいは精神の表明は、「他者」に対してその威厳と模範を保護している。武力の内部の取引に邪魔されることなく、観衆は政治の中で拒否された役割を担い、そこに形を与え、筋肉の知性とある終わり――ゴール――に向けて動き続ける選手たちの駆け引きにかれらを投影しているのだ。

 しかし国家の指導者は、自分自身を国家の精神の代弁者として指名し、勝利をかれの賢い規則とひとびとの意志とエネルギーを引き込む能力の結果として見るのだ。それはおそらく、かれが出来事を解釈するのに熟達した選手ではなく、国家の所有者でありその羊飼いであり、自分のポケットから金を出してスポーツを奨励するひとであるからだろう。しかしながら状況は引っくり返ったのだ、結果が欲し、望んだものから逸脱した時に――選手/故郷が「他者」の前に敗れた時に。このとき指導者は敗北の責任を否定する、そしてチームをあるいは伝統を、コーチを、選手/戦士の運の無さを、あるいは審判に代表される外部の力の持つ偏見をなじるだけなのだ。

 違う――敗北は単なるひとりの父以上のものだ。政治の世界では、敗北した指導者を責めるのはアラブの近代的伝統ではなかった。かれは大衆の前に出て憐みを請うだろう。そして大衆は、敵を出し抜くためにかれに玉座に留まっていてほしいとかれに頼むことで、かれを慰めるのだ。敵は何を望むというのか、指導者を引きずり降ろし、わたしたちをかれの存在の恵みから解放することのほかに?だからこそわたしたちに敵を打ち破らせ、敗れた指導者をわたしたちの死刑執行人として保つかのごときわたしたち自身に対する勝利を勝ち取らせよ。*5

 しかし一方で、サッカーでは状況が違う。ひとびとは選手やコーチや外国の審判に対して怒りを表明する力を持っているのだ。選手たちは国の誇りを裏切った、コーチのゲームプランが悪い、そして審判は偏向している。指導者についていえば、かれはどんな場合でも敗北について罵られることはない、なぜならかれはほかの、もっと大事な、何やかやで忙しいのだ。怒れる群集はいともたやすく街頭に出て、かれの写真を高く、とても高くに掲げ、その下に何らかの表現の自由を滑り込ませる。その自由は、望むのであれば西洋世界を呪うこともできる、国内での消費を高めるためのしぐさをつくるのと同じように。わたしたちが自由のために残してきたすべてのものが、これだ。その時わたしたちはそんなにたやすくそうさせていたのだろうか?わたしたちが快楽のために残してきたすべてのものが、これだ――だからこそ、わたしたちにこの良き存在の徴に対して拍手を送らせろ!国家はこのような熱狂の中に捕らえられている限り健康だ。サッカーの試合はもっと多くのことをわたしたちに教えてくれる。わたしたちに萎縮していない集団的な感情を伝え、いまもなお、倦怠で目覚めることのない街を、ゲームによって目覚めさせることを可能にするのだ。わたしたちの現在を通り過ぎたなにものかの中で、パレスチナ人は、特別な場所を占めることも、情熱と愛国的熱情を生成することもなかったのだろうか?すべてのことはかの女の名において、かの女のせいで、かの女のために行なわれてきたというのに?

 パレスチナ人の心に触れるあらゆるものが、アラブ人にとっても、悲しみや騒々しさや怒りとともに心に触れるものであった――ひとびとはこの集団的な心に下されるいかなる暴力のために指導者を打ち倒してきたのだ。しかし今は、支配者たちはひとびとを買収し、かれらにこの同意を諦めさせるために競い合う。アラブの軍事体制は、アラブ国家とその奴隷根性をなじるパレスチナ人の行動と理想に向けてはっきりと対峙しているのだ。パレスチナがなければ――想像の、架空の、達成不可能な、遅延する約束にあまりにも早く現れて「アラブの統一」を急ぎすぎる――パレスチナさえなければ、われわれにはもっと多くの自由と豪奢と快適があったのに。
このようにして公のアラブの主張が倦怠を抱かせるように放送される。しかしひとびとは知っているのだ、どうやって駆け引きをするか、どうやって出来事を読むか、そしてどうやって比喩的な言葉を解釈するかを。牢獄がパレスチナ解放のための条件などではない。そして「戦いの声を引き起こす声などない!」というスローガンが、たったひとつの声を押しつける――パレスチナはない、戦いはない、声はない。鞭よ永遠なれ!それゆえに、パンと自由の問題が解放という問いへと浸透し、アラブの支配者たちが、パレスチナをあからさまに禁止し、国立競技場の外へと閉め出し、アラブ国家の言論から社会状況への問いを排除することで、かれらのあいまいなゲームを裏切るまでは、かれらは無罪なのだと高く掲げる。

 サッカーが、以前はパレスチナが提供していたはけ口を提供している。その時は街が怒りに包まれるままにする、そして退屈を呼び起こすことのないゲームの中に抑圧された疑問をこっそり運び出させるままにして、支配者が競技場の門を閉めり機会を与えるのだ。

 ひとつの沈黙が、いままですべての立場とすべての色をふたつに裂くことのできたひとびとの幻想によって飾り立てられていた。

 ひとつの沈黙が、いまだに救出を待つことのできるひとびとの幻想によって飾り立てられていた。

 ひとつの沈黙が、外からの待ち望まれた希望によって金メッキされていた。外側から流れ出す革命のレトリックを導くかれらの沈黙――慎重に管理され、深く根づいたおべっかのレトリック、それが街と首都との役割を交換し、その街の名前において他の首都を告発する、自分たちの首都(極めて限定された知識だ)については免除しているというのに。ひとつの首都に絶対的な悪を、そしてもうひとつの首都の絶対的な善を割り当てるこのレトリックは、必要な時はいつでも、ほかの首都を自分たちのものとして代用する、首都と同義のものである革命的な奔出を立ち上げさせることもないまま。

 首都をあらしめよ!資本をあらしめよ!*6

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 なぜ偶像はこんなに揺れているのだ?なぜ揺れる?
 それは、実際とは反対のことを言うだろう。それは、それが包まれている沈黙とは反対のことを口にするだろう。
 それは続けていくだろう、始まりのレッスンを繰り返していくだろう。
 それは事実を栄光に満たすだろう、歴史――殺戮と拷問とともにある――が予言に満ち溢れているという事実を。そう言わなかったか?
 しかし、あなたは何も言わなかった、偶像閣下。
 かれは政権の地位に滑り込む、反体制であるために――そして、かれは反体制に滑り込む、政権の地位を得るために。かれは、別の権威のために権威と戦う。そして、かれはこんなにも絶対的な追随者であるのに、かれには自分の追随者がいない。
 あなたの時間だ、偶像閣下。永遠に偶像であるために何かを言えばいい。
 かれは何かほかのことを言うだろう、何かほかのことを言ったあとに。
 かれはベイルートから追い出されることを承諾しないというだろう。
 かれはわたしたちに、そう言うだろう。
 しかし、かれは何も言ってはいない。
 どうしてわたしは10回も「偶像」に会うのだろう。どうして「偶像」を見るのだろう?*7

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*1:「ハダッドランド」とは、レバノン南部に反政府系レバノン軍指揮官であるサード・ハダッド市長の管理下でイスラエルが設置した、1978年の撤退以降のいわゆる安全地帯であった。本書における南部からの難民に対する繰り返される言及は、この侵略のことを指している。デイヴィッド・ギルモア<1983、149ページ>によれば、生み出された「大量の難民の数は、25万人もの家のない人々を生んだと国連ははじき出している。その多くはすでに2度家を失なう経験をしたシーア派住民である。1回目は70年代初頭のイスラエルによる侵攻でベイルートへの移動を強いられ、再び南部における内戦で、本来の家に戻ることが安全のためだと説き伏せられていたのだ」

*2:セルバンテスドン・キホーテ」――『愚かな物好きの話』から。英訳J.M.Cohenp.290。日本語訳は「ドン・キホーテ 前編<二>」牛島信明訳、岩波文庫、2001、324-325ページ

*3:1982年、ベイルートの包囲中、アルジェリア代表がワールドカップの準決勝に進出し、ドイツに敗れた。この敗退は、審判の偏った判定によるものだとみなされ、アラブ諸国の首都では大規模なデモが行われた――これはおそらく英訳者の勘違いによる記述である。アルジェリア代表は1982年のスペイン・ワールドカップに出場し、第1ラウンド・グループBで西ドイツと対戦し勝利している。その後オーストリアに敗戦し、勝ち点で並びながら得失点差によって予選敗退した。判定をめぐるデモはおそらくオーストリア戦の後のものと思われる

*4:訳注;1969年のいわゆる「サッカー戦争」のことか。実際の調停にあたったのは国連安保理ではなく、米州機構だった

*5:この段落において参照されているのは、ガマル・アブデル・ナセルのことであろう。そのアラブ連盟に関する理想と世俗的アラブ民族主義を、ダルウィーシュは本書のあらゆるところで称えている。ナセルは1967年の敗北の後辞任したが、大衆は大規模なデモをもってかれを支えた。後に噂になったところでは<ダルウィーシュがここでほのめかしているように>、アラブ諸国は実際のところはこの戦争で負けたわけではない、なぜならイスラエルの目的はナセル大統領を引きずり下ろすことにあったので、ナセルが倒れていない限りは、この戦争は実際には負けではなかった、とのことである

*6:訳注;英語における"capital"という言葉には、首都、資本、大文字という意味がある。おそらくこの段落において英訳者はそのあらゆる意味において読まれることを想定しているが、日本語ではそれぞれ別の言葉となるため、その含意を翻訳することは難しい。「首都/資本/大文字」と訳すことは簡単ではあるが、それでは文学の文章としては成立しない。ゆえにこの日本語訳では、「街」との対比からとりあえず「首都」という訳語を採用し、最後の1行のみそれを「資本」と置き換えた

*7:「偶像」とは明らかにパレスチナ指導部の最高権力者のことであろう