『忘却症のための記憶』(3)

 かれらはわたしに恥をかかせる、わたしがかれらの前で恥じていることを知らぬままに。不明瞭さが不明瞭さに積み重なり、自分自身を擦りつけ、そして明瞭さとなって発火する。征服者は何だってできる。かれらは海を狙い、空を狙い、大地を、わたしを狙う。しかしかれらはわたしからコーヒーの芳香を根こそぎにすることはできない。わたしはいま、コーヒーをつくるのだ。わたしはいま、コーヒーを飲むのだ。まさにいま、わたしはコーヒーの芳香で満たされることだろう。そしてわたしは自分自身を羊から区別し、新たなもう一日を生き、あるいは死ぬのだ、わたしを取りまくコーヒーの芳香とともに。

 ポットを弱い火から外し、手は一日の最初の創造に取りかかるだろう。ロケット弾にも、砲撃にも、ジェット機にも気を取られることはない。これがわたしの求めるもの。わたしはわたしの夜明けを所有するために、コーヒーの芳香を行き渡らせていく。あなたの手の先にある、多量の銃火によってパチパチと音を立てる山を見てはならない。しかし、ああ、あなたは向こうのことを忘れることはできやしない。アシュラフィーヤでは、かれらが悦楽のなか踊っているのだ。昨日の新聞が、カーネーションを手にした婦人たちが侵略者の戦車の前に身を投げ出す姿を写していた。かの女たちの胸や太腿は夏の露骨さと喜びをまとい、救世主を受けとめんばかりであった。

 唇にキスして、シュローモ!ああ、唇にキスを!あなたの名前は何というの、愛するひと、わたしはあなたを名前で呼びたいの、わたしのダーリン。入ってきて、シュローモ、入ってきてわたしの家に、ゆっくりと、ゆっくりと、そして一気に、あなたの強さを感じとるわ。あなたの強さを愛してるの、わたしのダーリン!そしてやつらを砲撃して、わたしの愛するひと、やつらを虐殺して!やつらを殺して、わたしたちを待つすべての情熱でもって。レバノンの聖女があなたを守ってくれますように、シュローモさん!やつらを砲撃して、わたしの恋人、わたしが1杯のアラク酒と昼食を用意している間に。終わるまでどのくらいの時間がかかるの、わたしのダーリン?どのくらい時間かかるの?でも作戦はものすごく長いものになってしまったわ、シュローモ、長すぎる!どうしてそんなに遅いの、わたしの愛するひと?2カ月だなんて!どうしてそんなに進まないの?ねえ、シュローモ、あなたの体少し臭い。気にしないで!暑さと汗のせいだって分かってるから。ジャスミン水であなたの体を洗ってあげるわ、わたしの愛する人。どうして道でオシッコなんてするの?フランス語しゃべれる?だめ?どこで生まれたの?ターエズ?ターエズってどこ?イエメン?いいわ。いいの。あなたは違う人なのね。それでもいいの、シュローモ、お願いだからあっちで砲撃してきて、あっちで!*1

 そっと、スプーン山盛りの挽いたコーヒーを置く。カルダモンの香気とともに電気にかけた熱湯のさざなみ立った表面に、それからゆっくりとかき回す。最初は時計回りに、それから上下させる。2杯めのスプーンを加え、上下にかき回す。それから時計と反対回り、いま3杯めを加える。山盛りのスプーンの間はポットを火から外し、そして戻す。最後の接触のときには、スプーンを溶けた粉の中に漬けてしまう。ポットの上で少々沈め、引き揚げ、あとは落としたままにしておく。これを湯が沸き直す間に数回繰り返すと、青銅色のコーヒーが少量表面に残り、さざなみ立ち、沈もうとする、沈ませてはいけない、火を止め、ロケット弾に気を取られるな。コーヒーを狭い廊下に運ぶ。小さな白いカップ、暗い色のカップはコーヒーの自由をだめにしてしまう、に慎重に愛情深く注ぐ。蒸気の路とテントのごとく立ち上がる芳香を観察する。最初のタバコに火を点ける。この1杯のコーヒーのために巻かれたタバコはそれ自体、愛を追い求めるもの以外とは同様ではない味が、実存の風味がする。
女がタバコと一緒に最後の汗とかすれ声を燃やしてしまうがごとく。

 いま、わたしは生まれてきた。わたしの静脈に興奮剤が行きわたっていく、カフェインとニコチンという、その生命が生み出す泉に触れることで。そしてその儀式はともに、わたしの手でつくられたものなのだ。「どんなに手が書こうとも」、わたしは自問する。「コーヒーをたてること以上の創造がありえようものか!」何度心臓医に言われたことか、タバコを吸いながら、「タバコを吸うな、でなきゃコーヒーを飲むな!」。そして何度ジョークで返したことか、「ロバはタバコも吸わないし、コーヒーも飲まない。そして書きもしないだろ」と。

 わたしはわたしのコーヒーを知っている。わたしの母のコーヒーを、そしてわたしの友たちのコーヒーを。わたしはその違いを当てられるし、その違いが分かっている。同じようなコーヒーはない、そしてわたしのコーヒーを守ろうとする思いは、その違い自体を申し立てることなのだ。「コーヒーの風味」などとラベルを貼れる風味などはない。コーヒーはコンセプトではないし、単一の物質でさえない。そして絶対的なものでもない。すべてのひとのコーヒーは特別だ。特別だからこそ、わたしはコーヒーの風味がもたらす、魂の優雅さと味を言い当てられるのだ。コリアンダー風味のコーヒーは台所の片付いていない女性。イナゴマメのジュースのようなコーヒーは主人がしみったれ。香水の芳しきコーヒーはご婦人がお出かけに気を取られすぎ。口のなかで苔みたいに感じるコーヒーは子どもじみた左翼。熱湯のなかで引っかき回しすぎて煮えくり返ったコーヒーは極右。カルダモンの香りでむせかえりそうなコーヒーは最近お金持ちになった女のひと。

 同じようなコーヒーなどない。すべての家にはそこのコーヒーがあり、すべての手についても同じことだ。同じような魂などないのだから。わたしはコーヒーが遥か彼方からやってきたことを伝えられる。最初に直線を描き、そしてジグザグと進み、ゆがみ、たわみ、ため息をつき、それから平らになって、岩ばった地面と斜面となる。コーヒーはそのなかに、ナラの木を巻き込み、そしてほどけて涸れ谷のなかに落ち込んでいき、振り返って、山を登ろうと願い欲して溶けていく。それを最初の家へと戻してくれる、羊飼いのパイプの蜘蛛の巣のように広がって山を登っていくだろう。

 コーヒーの芳香は帰還であり、最初のものへの返還なのだ。それは原始時代の子孫であるのだから。それは旅である、何千年も昔から始まり、そして今も続く。コーヒーは場所なのだ。コーヒーは内側を外へと浸透させる気孔だ。その芳香を通ることなしに、ひとつにできないものをひとつにする隔りだ。コーヒーは離乳のためのものではない。反対に、男を深く養う乳房だ、苦い味のなかから生まれる朝だ。男の世界の母乳だ。コーヒーは地理。

  わたしの夢から立ち上るのはだれだ?
  かの女はほんとうに夜明け前にわたしと話したのか、それともわたしはうわごとを言っていたのか、目覚めているときに夢を見ていたのか?  わたしたちは二度だけ会った。最初のとき、かの女はわたしの名を覚えた。そして二度め、わたしはかの女の名を覚えた、三度め、わたしたちはまったく会っていない。なぜいまになって、かの女はわたしに電話してきたのか、わたしがかの女の膝で眠っている夢から覚めて?最初のとき、わたしはかの女に言わなかった、「愛している」。そして二度めのとき、かの女はわたしに言わなかった、「愛している」。そしてわたしたちは、共にコーヒーを飲むことはなかった。

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わたしはレンズ豆のスープのなかのゾウムシを数えることに慣れきっていた、刑務所での毎日の食事だ。わたしは嫌悪感に勝利しきっていた、食欲なんてどうにでもなる、飢えは食欲よりも強いのだ。しかしわたしは、朝のコーヒーの不在と、その代わりに出涸らしのお茶を飲むことに慣れることはできなかった、それが刑務所暮らしを受け入れなかった理由だって?最初の釈放後に友人が聞いてきた。「いい時間過ごせた?」。「いや」、わたしは答えた。「コーヒーを出してくれないんだ」。「それはショックね!」、かの女は叫んだ、「でもわたしコーヒー飲まないのよ」。「朝のコーヒーに取り憑かれている女のひとなんてそうそういやしないよ」、わたしは答えた。「男はコーヒーで一日を始める、女が化粧に取りかかるように」

 そのことがわたしを悲嘆させたわけじゃない。ある朝、刑務所仲間がわたしに1杯のコーヒーを差し入れてくれた。わたしは強い欲望に陥ったが、しばし自分自身を熟考する時間を持った。もうひとりの囚人がカップの方向に願い入るかのような視線を投げつけていたからだ。わたしはかれを無視した、これはわたしのものだから。わたしはかれを無視した、そしてコーヒーを加虐的な歓びとともにすすり、そしてその後、罪の感覚が立ち上ってきた。

 20年前のことだ。しかし、あの哀願するかのような視線が、いまもわたしを捕らえて離さない、つねに自分自身を改めて審問し、自分の習慣を正すべきだと訴えてくる。刑務所の中での施しと分かちあいは寛容さの大きな基準なのだから。わたしは自分の精神的バランスを買い戻そうとして、かれにタバコの葉を気前よく恵んだが、それでさえもその罪を追い出すことはできなかった。何と自分勝手なことか!わたしは刑務所仲間からカップ半分のコーヒーを奪ったのだ。そのことがやがてわたしを罰する運命を呼び出した。1週間後、わたしの母がポットいっぱいのコーヒーを持って訪れた、しかし看守はそれをグラスに注いだのだ。

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 コーヒーを急いて飲んではならない。それは時の姉妹であり、ゆっくり、ゆっくりとすすらなくてはならないのだ。コーヒーは味覚の音であり、芳香の音だ、記憶と魂のなかへの侵入であり瞑想なのだ。コーヒーはひとつの習慣、タバコとともにある、でありもうひとつの習慣と組み合わせなくてはならない――新聞と。

 新聞はどこだ!今は朝の6時で、わたしは確かに地獄にいる。しかしニュースとは読むべきものなのだ、聞くものじゃない。記録されるまでは、起こったことは正確には起こってなどいないのだ、わたしは知っている、イスラエルの研究者がベイルートが包囲下にあることを「噂」だと否定し続けているということを。ヘブライ語で書かれていないかぎり、かれが読んでいることは真実ではないのだ。そしてまだ、イスラエルの新聞はかれの下に届いていない、かれはベイルートが包囲下にあることを認めはしないだろう。しかしそれは、わたしが被っている狂気ではない。わたしにとって、新聞とは習慣なのだ。新聞はどこだ!

 ジェット機のヒステリーは高まっていく。空は狂ってしまった。すっかり荒れ果てた。この夜明けは、今日が創造の最後の一日となると警告している。次はどこが攻撃されるのだ?どこが次に攻撃されないのか?空港の周りの地域は、こんな砲撃を吸収するには充分な大きさだし、海が自らを殺そうとするのを受け入れることだってできるのではないか?わたしはラジオを点けた、そして幸福なコマーシャルを聞こうと強いた。「メリット・タバコ――アロマをもっと、ニコチンをカット!」「正しい時間にシチズン時計!」「マールボロへどうぞ、歓びのある場所へ」「ヘルス・ミネラルウオーター、高山からの健康を!」。しかしどこに水があるというのだ?ラジオ・モンテカルロの女性アナウンサーの声は、まるで入浴でもしているか、興奮に満ちた寝室から中継でもしているかのように、はにかんだ様子を増していく。「ベイルートへの集中的な爆撃は」。ベイルートへの集中的な爆撃!こんな普通のニュース番組で、普通の戦争の普通の一日の普通のニュースのように報じられるようなものなのか?わたしはBBCにダイヤルを回した。死人のように生温いアナウンサーの声が聴取者の耳にパイプの煙を吹きかける。短波で放送された声は中波に変換される際に拡大され、ぞっとするような声の戯画化がほどこされた。「われわれの通信員によりますと、専門家の慎重な判断では、広報担当者がその件について触れることが困難であるということを別にすると、徐々に明らかになるであろうことは、抗争中の党派が疑いなく、そこで旋回しているパイロット不詳の戦闘機を明らかにする確実な両義性について特に言及しないかぎりにおいては、正確を期すことを欲したうえで確認したところ、美しい服をアピールするひとたちがいたということであります」。形式ばったアラビア語での正確な情報が、ムハマッド・アブド・アル・ワッハーブのくだけたアラビア語での歌でしめくくられた。「ぼくに会いにくるにせよ、どこで会うかを知らせてくれるにせよ/それともきみをひとりにして、ぼくが行くべき場所を教えてくれるのかな」

 まったく同じように単調な声。砂が海を説明する。雄弁な声には非難の余地がない、天気を説明するように死を説明するのだ、競馬やオートバイレースのようにはしない。わたしは何を探しているんだ?わたしは何度もドアを開けた、しかし新聞はなかった。ビルがあらゆる方向に倒れようとしているこの時に、わたしは何で紙なんか探しているんだ?書き足りないのか?

 まったくそうではないのだ。こんな地獄の真ん中で紙を探すやつなんて、孤独の死を逃れ集団の死へと向けて走るようなものだ。かれはひと組の人間の目を探している。沈黙を分かちあい、互いに語りあうための。かれはその死に加わってくれる何かを探し求めているのか、証拠をもたらす目撃者を、死体を覆ってくれる墓石を、一頭の馬が倒れた報せをもたらしてくれる人を、発話と沈黙の言葉を、そして確実な死を待つことへの少なからぬ倦怠を。この鋼と鉄の獣が、だれひとりとして安らかに残ることはない、だれひとりとしてわれらの死者を数えることはないと叫ぶのを。

 わたしは自ら横たわる。わたしはわたしの周りのことやこの穴だらけの室内について説明する言葉を探す必要はない。ことの実際として、わたしは、この廃墟の中心へと落ちていくこと、だれひとり聞くことのない呻き声の餌食になることに怯えているのだ。そしてそれは苦痛である。わたしの苦しみの感覚の限界に到るほどの、まるでその出来事がいま実際に起こっているかのように思えるほどの苦痛。わたしはいま、そこに、瓦礫のなかにいる。わたしはわたしの中の獣が、苦痛で破裂するのを感じている。わたしは苦痛に叫びを上げるが、だれひとりそれを聞くものはない。これは幻想の苦痛なのだ、反対の方向からやってくる――これから起こるであろうことに発するものの。脚に傷を負ったひとが、切断手術の何年あとになっても痛みを感じることがあるという。かれらはもはや太腿などない場所に痛みを感じ、そこへと手を伸ばすのだ。この幻想の、想像上の苦痛は、かれらの日々は終わったのだと、かれらを追い立たることだろう。わたしにしても、わたしは起こったことのない負傷の苦痛を感じとる。わたしの両脚が瓦礫の下で砕けてしまったのだ。

 これはわたしにとって不吉の前兆なのだ。おそらくわたしは、恐れを感じることもなくロケット弾で一瞬にして殺されることはないだろう。おそらく壁が、ゆっくり、ゆっくりと倒れてきて、わたしの苦難は終わることなく、だれひとりわたしの助けを求める叫びを聞くことはないだろう。壁はわたしの脚を腕をあるいは頭を砕くだろう。あるいはわたしの胸の上に載しかかるだろう。そしてわたしは何日も、だれひとりとしてほかの生存者を探す時間のない時を、生きたまま送るだろう。おそらく眼鏡の破片が、わたしの目に残り、わたしは盲目になる。わたしの横腹に金属の棒が突きささり、わたしは、瓦礫のなかに押しつぶされた肉体として残された群集として、忘れられるだろう。

 しかしどうしてわたしはこんなにわたしの死体に何が起こり、どうやって終焉を迎えるかなどということを考えてしまうのか?わからない。わたしはよく整えられた葬儀をしてほしいのだ。わたしの全身、潰れてなどいない、は四つの色がはっきりと見える(その名は、その音が意味を示さない詩の一行から取られていたとしても)旗にくるまれた木の棺に納められ、わたしの友人たちとわたしの敵であった友人たちの肩で担がれていく。*2

 そしてわたしは、赤と黄色の花輪が欲しい。安っぽいピンク色は嫌だ。紫も嫌だ、死の香りを振り撒く色だから。それからラジオのアナウンサー、あんまりペラペラとしゃべらず、そんなにしゃがれ声でもなく、もっともらしく悲しみを表すことのできる人がいい。テープの合間にわたしの言葉を挟んで、かれにちょっとしたスピーチをしてほしい。わたしは静かな、粛々とした葬儀をしてほしいのだ、盛大で、離れ難く、ほかとは似ていない、美しかろうものを。喪の最初の一日に死んだばかりの死者の運とは何とよきものであろうか、弔問者たちが競い合ってかれを讃えてくれるのだから!かれらは一日の騎士であり、ある日の最愛の人であり、その日の純潔なのだ。誹謗もなく、悪意もなく、妬みもない。それはわたしにとっても良いことだ、わたしには妻も子もいないのだから。友人たちは、未亡人が弔問者に同情を抱くようになるまで終わることのない長く悲しげなお芝居から救われる。子どもたちも、部族のお役所仕事で運営される組織のドアの前に立たされる屈辱から救われる。わたしは独りで、独りで、独りでよかった。そういうわけで、わたしの葬儀には香典はいらないし、お互いの儀礼のために勘定を取っておく必要もない。だから葬儀が終わったあと、葬列に加わったひとたちはそのままかれらの日常に戻っていくことができるのだ。わたしは優雅な棺、そこから弔問者を覗き見られるような、で葬儀を行なってほしい、戯曲家タウフィク・アル・ハキームがそうしたかったように。わたしはかれらが立ち、歩き、ため息をつき、どのようにその唾が涙に変わっていくのかを見たい。かれらのあざけるかのような話を聞きたい。「かれは女ったらしだった」「やつは服の選択にやたらうるさかった」「やつの家の敷物は膝まで埋まってしまうような豪華なものだった」「やつはフランスのリヴィエラに城を、スペインに大邸宅を、チューリヒの銀行に隠し口座を持ってた。それから自家用ジェットをこっそりと。それから5台の高級車をベイルートのガレージに」「ギリシャにヨットを持ってたかは知らないが、家には難民キャンプをまるごと造れるような海上用のボートがごっそりあったぞ」「いつも女に嘘をついてた」「詩人は死んだ、かれの詩とともに。やつは何を残した?やつの役目は終わりさ、やつの伝説はおしまいだ、やつは詩と一緒に消えてしまったのさ。ま、何にせよ、やつの鼻は長かった、舌もな」。こんな調子の厳しい話だってわたしは聞き、想像力が緩むにつれ、わたしは棺のなかで微笑み、言おうとするだろう。「もう充分だろ!」。わたしは生き返ろうとするが、できるわけがない。

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 しかし、ここで死ぬということは――嫌だ!瓦礫の下で死にたくはない。わたしは新聞を探して通りに降りていくと偽るだろう。恐怖は、この人々のなかから爆発した英雄的行為――その前列には名前はよく知らないが、ベイルート在住者から選ばれた"純然たる魂"のようなひとびとがいて、このどしゃ降りの爆撃のなかで25リットルの缶を満たすだけの水を探すために日々の精力を傾けていたり、歴史のなかに抵抗と忠義の刻まれた瞬間を広げようとしたり、爆発する金属との戦いにかれらの肉体をもって報いようとしている――の熱狂のなかでは恥ずべきことなのだ。英雄的行為は、この燃えさかる夏のさなか、分断されたベイルートの、まさにこの部分に存在している。ここは西ベイルート。ここでは人は偶然死ぬのではない、むしろ生きているのなら、それは偶然生きているということなのだ、ロケット弾の射程から逃がれられる地表などないし、爆発から救われながら足を下ろせる場所などないのだから。だが、わたしは瓦礫の下で死にたくない。わたしは開かれた通りで死にたいのだ。

 突然、虫が、いくつかの小説で有名になったやつだ、わたしの目の前で散らばった。虫たちは色や形状によって厳格に自ら隊列を組み、死体を食い尽くし、肉体をほんの数分で骨まで引き剥がす。たった一度の襲撃、二度の襲撃で骸骨以外の何も残らない。虫たちはどこからともなく、地表から、死体それ自体から現れる。死体は、そのなかからやってきた、よく訓練された軍隊によって一瞬にして食べ尽くされる。確実に、それは英雄的行為と肉体をまとった人間を空っぽにする映像だ。かれを馬鹿げた運命に裸で突き出す、絶対的な不条理の前に、全面的な無のなかに。それは、死の賛辞から飛行への逃避から生まれた歌をも引き剥がす映像だ。この無から精神を救い出すための場所を開くという人間の想像力――死体のなかに棲むもの――が、この事実の醜さに勝利できるのだろうか?それは宗教とか詩とかが提示する解法なのだろうか?たぶん、たぶん。

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わたしはサミールを子どものころから知っていたから、かれが病院で昏睡状態にあると聞いても行かなかった。ジェット機がかれの脚と腕1本をずたずたにし、腹を引き裂き、目をえぐった。かれはスポーツシティの広場から負傷者を避難させようとしていたのに。かれに何が残されたのだろう?思うに、かれが最後に見たものは、少女たちのスカートの下で放てられた銃火だったのではないか?わたしたちはクフール・ヤシフの同級生だったが、かれはめったに出席しなかった。かれはさぼりがちな性格だったし、実際さぼっていた。本を読むよりも、海に行ったり、鳥を追いかけることを優先していた。かれは子どもっぽいいたずらに加わることはなかった。かれは聖書のヨセフのようにハンサムで、敬虔ではなかったが恥ずかしがりやだった。青く澄んだ目はアクレの海とかれの美しくも専制的な母親から受け継いだもの。くるみ色のちりちりの髪に、目を引きつける広い額。かれはとても遠くに住んでいて、肉体的に強かった。わたしたちは、なぜかれが学校を、家族を、故郷を捨てると決めたのかを、かれが6月戦争で逮捕されるまで知ることはなかった。少なくともイスラエルの新聞が「ハイファ爆破のため国境を侵入したフェダイン戦士を逮捕」と大きく巻頭に掲げるまでは。1967年の6月戦争の前夜だった。イスラエルプロパガンダは戦争の地慣らしをしようとして捻じ曲げられたものだった。それまでかれはわたしたちと運動をともにすることはなかったので、かれの背の高い手錠をされた姿を新聞で見るまでは、かれがフェダインの戦士であるとは信じられなかった。かれの父親は、わたしの従兄弟だが、途切れることのない拷問下でのサミールの呻き声を、警察がどのようにして壁越しに聞かせたかをわたしに語った。かれは、自分の甘やかされた息子―優雅でハンサムで、快適に満たされて育った――の体から立ち現れるゆっくりとした死の音によって完全に壊されてしまっていた。しかしかれの母親、際立って美しい女性、は母としての誇りによって自分の神経を落ち着かせ、精神的なバランスを取ることができた。かの女の息子は、他国に敗れた国を立て直そうとする男になったのだという理解に目覚めることで。こうしてかの女は悲しみを誇りへと変えたのだった。

 かれらはサミールに終身刑を宣告した、刑務所でかれは協力者としてふるまい、仲間のフェダインたちからの嘲りの目にさらされていた、かれがその計画を実行に移すまでは。かれは刑務所の調理場で働き、必要とする鋭利な物品を手に入れることができた、かれは計画実行の時間が訪れるまで何カ月も独房の鉄格子を切り刻み続け、そして数人の囚人仲間を自由にすることができた。かれは最後に脱出することに固執したので、看守たちは行動中のかれを捕まえ、再び格子のついた窓の向こうに押し込んだ。また終身刑が宣告された。三度めの挑戦のあと、三度めの終身刑が宣告された。このようにして、かれは自由になるまでに、3回の人生を送らなくてはならなかった。

 捕虜交換ののち、サミールはついに偉大なアラブの故郷の地の光のなかに抜け出した。しかしかれは理想とその現れの違いを信じることができなかった。かれは夢とそのための手段との矛盾を受け入れることができなかったし、外側の世界を例える囚人の伝統のなかに安んじることもできなかった。そしてその明らかな自由、内側において想像された自由は、確固たる信念からわき出る自由、心の安らぎ、外の世界との絆であり、規範として持たれるものであった。わたしたちはこうした心のなかの自由が、わたしたちのゆがんだ自由のなかに出てくるときの不平に慣れきっていた、わたしたちがかれらの理想をゆがめているという不満や、外の世界がどのようなものであるべきかというかれらのイメージにも慣れきってしまうように。

 20年後、ダマスカスでかれに会ったとき、かれは言った。「これでほんとうにいいのか?おれはこんなことのために入ったんじゃないし、こんなことのために出てきたんじゃない!」。しかしかれには、手段がもっと調和的でよりバランスのとれたものに置き換えようとする主張への極端な幻滅からかれを防ぐ、組織と理想が持つ紐帯への充分な忠誠心があった。かれは国家機構にひどく失望していたが、そこに密接に繋がっていた。「おれみたいな男は」、かれは言った、「肌の色を変えるみたいなことはできないよ。別に組織が脅迫してくるわけじゃないよ、でも、バランスを取って成り立っている物質のうちのひとつが壊れてしまうんじゃないかと思うと怖いんだ。で、おれはパレスチナの理想とそのひとびとのしもべじゃないかって考えてみるんだ、この派閥に属していようとどこにいようともね。派閥の抗争やらそのうちのどれか(別におれを代表してるわけじゃない)の選択に追随するような不実に溺れることもなく、こっちにいようとあっちだろうと、アラブ政権が主人なんだって」。

 かれは自分から離れていった、かれ自身を不条理の翼に下に隠して。かれは、かれの中核部隊の何らかの変化が、歴史の真実とその精神の温かさを損ねてしまうのではないかと恐れていた。なぜなら異議が、実際に社会と故郷にその存在をもたらす価値の不在が、倫理と愛国心によって強いられたものではない言葉の戦いのなかで流布する疑念と疑惑を浮上させかねないからだ。この類いの「国家的対話」は暗殺以外の何かを生んだためしはないし、わたしたちのだれひとりとして、告発を向けられることから免れはしないのだから。

 サミールはベイルートにとどまった。「自由」の代弁者が、かれの地位もかれのアラブ政権の主導権争いのなかで大声で主張する権利も失なうことのないまま、派閥のほかの構成者に仕返しをするためだけにビルを住民たちの上に倒壊させることができるような場所で、牢獄のなかの自由と自由のなかの牢獄というかれの疑問を問い続けるために。おそらくパレスチナ革命法廷は、目に余る罪を犯したとして、その指導者たちを審理するような伝統は持ち合わせてはいないと思われている。結局のところ、都合のいい言い訳が熱烈な演説に変わってしまうのを目の当たりにすれば、「人倫に対する罪」で裁かれるのはマリファナタバコで暇潰しをしたり、魅力的な女性の腕を掴んだりした、若き未来のある殉教者だけだ。サミールにとっては、イスラエルの刑務所から出てきたかれのようなひとびとにとっても、どうしてアラブの秘密警察の代表者たちが国民運動の指導者になって、他国とうまくやっていくために革命は「バランス」を保たなくてはならないと言いつくろうのを理解するのは、困難なことだ。わたしたちはアラブ連盟なのか?かれはこんな混乱した伝統に慣れることなどけっしてできなかった、かれは成熟したことなどなかったのだから。アラブの基盤とアラブの頂点との複雑な関係によって引き出されるパレスチナの政治談義の大きなひとまたぎに関する知識を通すことだけによって得られる「リアリズム」の段階に、かれが到達することなどなかったのだから。この談義が、甘やかされた息子であることよりも囚人であることを自ら見いだしたとき、一方で民主主義への問いが、アラブ民族主義への問いから切り離された。双方が別の方向に行ってしまったのだ。その結果として、わたしたちの「国家的統一」はアラブ政府間の団結の一構成要素に引きずり下ろされてしまったのだ。組織としてではなく、その一部に。

 しかしサミールは、牢獄のなかの自由と自由のなかの牢獄という問いに苦しめられ、わたしたちすべてを運命論の岸辺へと押し流す一般的な耽溺の波のなかへと向こうみずにも自分を追い込んでいった。そしてわたしは、かれのことを子どものころから知っていたから、バーヒル病院にかれを訪ねてはいかなかった。「かれだってこと分からないよ」、かれらは言った。「かれのことを愛していたとしてもね」、かれらは付け加えた。「かれが死ぬよう祈ってくれ。死だけがたったひとつの解放なんだから。かれは昏睡してる、死のうとしてるんだ、生きたまま」。

 かれは牢獄から解放されたのではなかった、やつらはベイルートでかれを追い抜いて、終身刑の代わりにジェット機で処刑したのだ。サミールは死んだ。家族のバジルの木が死んだ。

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*1:この節は、マロン派社会の構成員によるファランジスト民兵の根拠地であるアシュラフィーヤへの侵略の初期における、イスラエル郡に対する歓迎にかかわる皮肉な参照である

*2:パレスチナの旗の色は白、黒、緑、そして赤。文中の「詩の一行」とは「白はわれらが偉業、黒はわれらの戦い、緑はわれらの牧草地、赤はわれらが剣」。ダルウィーシュによる「その音が意味を示さない」という説明は、先の注5<第2回の注4>でほのめかされた、形式と実体の剥離を示す別の言い方ともいえる